(第177号) 生活の必需品 ~三島石の石臼(いしうす)~ (平成15年2月1日号)

三島石の石臼(いしうす)
 現在は小麦粉や米の粉などは近所のお店やスーパーでいつでも買うことができ、これを材料とした料理や菓子作りが手軽にできます。

 今から50~60年程前までは、米の粉・小麦粉などは各家庭で米や小麦を石臼で挽(ひ)いて粉にしていたのです。市街地には「搗屋(つきや)」(米屋。かつては水車の動力を用いて米や小麦を搗き、精米していたのでこの呼び名があります)が多くありましたので、そこで求めることもできました。農村地域では、石臼を挽くのはおばあさん、お母さんの仕事でした。ゆっくり「ゴロゴロ」という石臼を挽く音は年配の方達には懐かしい思い出でしょう。こうして出来た粉でうどんやダンゴが作られたものです。

 ところで石臼はいつ頃日本で使われるようになったのでしょうか。

 弥生時代の精米はもっぱら搗臼(つきうす、餅つきなどきね杵でつく臼)が使われていました。あすか飛鳥時代に石製す摺臼(すりうす、上下に分かれた石臼)が伝来した記録があります。鎌倉時代に喫茶の習慣がもたらされると共に、室町時代初期に抹茶(まっちゃ)を挽く茶臼が上層階級にひろまりました。室町時代末に粉挽き臼が使われ始め、江戸時代中期には庶民に普及したといわれます。

 かつてはどの家にも一台あった石臼ですが、三島の石臼には他とは違う特徴があります。写真をよく見るとわかるのですが、あちこち小さな穴があいているのです。これは、材料の三島石が溶岩石であり、溶岩が固まる時出来た穴が残っているのです。古い石屋では「三島石は、あたりがいいので石臼に向いていた」と言っています。

 三島石はかつて日大の東側一帯で採掘されていました。市内では、石垣、家の土台石、川の護岸などに使われ三島独特の景観となっています。石塔や、鳥居に三島石を用いているところもあります。黒っぽい色で小さな穴があるのが特徴です。近所を散歩する時に三島石を探してみてください。意外に多く見つけることができます。
 (広報みしま 平成15年2月1日号掲載記事)