(第207号) 子どもの文具 ~石盤・ノート・鉛筆~ (平成17年8月1日号)

 文具には、昔も今も勉強の好き嫌いはともかく、心ときめくものがあります。とくに昭和30年代から増えてくる商品文具は、キャラクターやデザイン、機能など新しいものが発売されるたびに、その時代の子どもたちの心をひきつけ、「象が踏んでもこわれない」筆入れなど、流行をつくったものも多くあります。
 文具が少年少女時代を彩るようになったのは、明治の近代教育が始まってからのことです。それまでの江戸時代では、寺子屋で「読み、書き、算盤(そろばん)」の手習いだったため、必要な文具教材は筆と紙、算盤といったものでした。
 しかし、明治の文明開化とともに近代教育が始まると、国語、算数、理科、社会など多教科の学習をすることになり、それぞれにノートが必要となりました。明治の初めころは、各自で安い半紙をと綴じ合わせ大福帳のように作り、これに毛筆で書き込んでいました。
 明治13年(1880年)頃から欧米で使用されている石盤(せきばん)が導入されるようになりました。石盤は、小さな黒板のようなもので、この石盤にロウ石や滑石(かっせき)を棒状に加工した石筆(せきひつ)で字や絵を書き、ふきんで消して繰り返し使っていました。しかし、面積が小さく、書いた記録が残らないことから、使用は低学年に限られていました。
 国産洋紙は、明治後半(1900年頃)から生産が急上昇し、学習用の雑記帳が市販されるようになりました。商品としての児童用学習ノートは、当時からすでに各教科ごとにその授業内容の筆記に便利なように編集に工夫が凝らされていました。また表紙も教科書に類似したり、子供の関心を引くようなカラフルな図柄になっていました。
 一方鉛筆は、明治20年(1887年)から国産化が始まりました。初期は品質が低いものでしたが価格が安いことから、鉛筆とノートは学校教材として広まっていきました。また鉛筆の字を消す道具、消しゴムも使われるようになりました。
(広報みしま 平成17年8月1日号掲載記事)