箱根路に馬子唄流れて松並木

三島ゆかりの作家とその作品

芭蕉、一九、其角、蓼太の旅情

箱根路
 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き

 芭蕉の名吟の一つであるが、笹原新田の東、富士見平に句碑がある。この前に、「関(箱根の関)こゆる日は雨降る、山みな雲にかくれたり」とある。

 箱根こす人もあるらし今朝の雪

 も芭蕉の句であるが、元禄7年(1694年)の最後の旅の5月16日に、曽良あての書簡があって、

「はこね雨難儀、下りも荷物を駕籠に付けて乗候。漸に三嶋に泊り候。三嶋新町ぬまず屋九良兵衛と申飛脚宿、能き宿とり申候。今迄の一番にて御座候」

とある。この元禄7年の旅の俳句、

 どむみりとあふちや雨の花曇
 (あふち=せんだん)

 これは三島宿の東端の梟(きょう)首塚のせんだんの木を見ての句であると言われているが、広小路の蓮馨寺には、

 いざともに穂麦喰はん草枕

 の一句がある。


 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は通称、弥次喜多道中記で知らない人はいないが、三島宿でのごまのはいや飯盛女郎とのやりとりは特に面白い。

 駕籠に濡れて山路の菊を三島かな
 駒曳きや岩ふみたてて箱根山

 は其角の句。

 三島から飛び石いくつ苔のはな

 の蓼太の俳句の風情に旧道の石畳、松並木、一里塚を思いだしながら、江戸期の『東海道名所記』に街道の苦労を思うのも三島の特徴である。



紹介にあたりましては「市制50周年記念誌」を参考にさせていただきました。