平成22年度広島市平和祈念式中学生派遣事業

式典
 三島市では、平成7年度から市内の中学生を毎年8月6日の広島市平和祈念式に派遣しています。これは、三島の将来を担う若い人たちが戦争の悲惨さや平和の尊さについて再認識した思いを口コミ等で広く伝えられる人になってほしいと願うためです。
 祈念式への参列のほか、広島平和記念資料館等の見学や原爆供養塔への献花、三島の湧水を平和の泉に献水し、平和への思いを胸に深く刻み込んできました。
 
 それでは、参加者の感想を紹介します。

三島市立錦田中学校 2年 鈴木 日花里

 忘れてはならない65年前の8月6日午前8時14分30秒全てを焼き尽くした一瞬の閃光。暗雲から垂れる大粒の黒い雨・・・。広島に原子爆弾が投下された日です。この原子爆弾によって何人もの人が命を落とし、何人もの人が病気、後遺症に悩まされています。大きな音がして外に出てみると空は真っ黒。何人もの人の皮膚が垂れ下がりぞろぞろと歩いている。たくさんの死体が辺り一面に散乱し、その中から今にも死にそうな人が助けを求めている。そういった姿を想像するだけで胸が苦しくなります。 平和祈念式典で潘基文国連事務総長がこんなことを言っていました。「私たちの力をあわせる時がやってきたのです。」私は国連事務総長がこの広島の平和祈念式典に参加したことによって世界が核なき世界実現に向けて動き出しているんではないかなと思いました。「皆さん、65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。今日、ここ平和記念公園には一つのともしびが灯っています。それは平和のともしび、すなわち核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日を実現できるように努めようではありませんか、それとともに、広島の炎を消しましょう。その炎を希望の光へ変えようではありませんか。」65年経った今でも被爆者の方にとっては忘れられない悲惨な思い出です。被爆者の中には、それまで何でもなかった人が、何年か経ち、原爆が原因とみられるがんや白血病に日々悩まされている方もいます。そんな方たちの想い、「二度と起きてならない戦争や原爆のこわさを伝えたい。」これからは、私達の世代が歴史を学び、過去のあやまちに目をそむけず、本当のことを伝えていくことが大切だと考えます。 私は広島に行って、一緒に行った他の中学校の人と友達になれて、この仲間同士、広島の原爆投下にあたって、一緒に考えられる仲間ができてよかったと思います。この仲間で、学校の友達などに、平和の大切さ、原爆のおそろしさなどを伝えていき、それがどんどん広まって世界中のみんなが世界の平和について考えられたらいいなと思います。私は6日という日を核なき世界へ、”平和を取り戻す始まりの日”として地球上のみんなが平和について考える日としていきたいです。2度と戦争というあやまちを繰り返さないために・・・。

三島市立南中学校 2年 渡邉 誠

 広島。そこは原爆が落とされた街。  僕は、この活動を通じて、こういう考えを改めようと思った。二日間で僕達七人は、とても貴重な体験をした。その中でも一番よかったのは、原爆ドームを見たことだ。人が通り抜けられるような大きな穴が何個もあり、上部は鉄骨だけで形作られている。そんな光景が目の前にあった。この負の文化遺産は、近い未来に崩れてなくなってしまうという。僕達より後に生まれてくる子供達にも、この光景を見せたい。その時には何も感じなくても。写真では見せられない「何か」が心の片隅に残ると思うから。僕はその「何か」が心の中に残ったと思う。しかし、まだそれがなんなのか分からない。この「何か」が分かった時に「平和とは何か」この質問に答えることができるのだと思う。今は世界を巻き込む大きな争いは起きていない。でもそれは、核の脅威によって守られるものだ。変にいじるとバランスが崩れて世界が争いで埋め尽くされてしまうだろう。今は平和なのだ。最終的には無くさなければならないけど、今は何もしない方がいい。というのが今の僕の考えだ。でも僕はそれが答えだとは思っていない。知識や経験がまだ少ししか無い今の考えなど、二、三十年後の僕が聞いたら、「何と愚かな考えをしているのだ。」と思うだろう。脅威が何にも無い、純粋な平和がつくられた時、その答えが分かるのかもしれない。  でも僕は、この活動で感じたことがある。それは、三島と同じように、人がいて、木があって、建物があって、動物もいる。どことも変わらない、どこにでもある街なのだ。しかし、「原爆が落とされた」というレッテル一つで皆が特別視してしまう。もしかしたら、こういった偏見をなくすことが、純粋な平和の一歩なのかもしれない。だから僕は広めたい。「広島。そこは負のレッテルに負けないくらい素晴らしい街なんだ。」ということを。

三島市立北中学校 2年 杉本 慎太郎

 僕はこの広島平和祈念式などの体験で感じた事を二つにまとめました。まずは一つ目です。皆さんはクミコさんの「INORI~祈り~」を知っていますか。2歳の時被爆し、10年後白血病で亡くなった佐々木禎子さんの甥の方が禎子さんのその時の心情や生活風景などを父又は母に聞いて作った曲です。禎子さんの事を忘れないで欲しいという気持ちがこもっています。広島に行く前から僕はこの歌を聴いていました。戦争の悲惨さや被爆者の苦しみが分かる歌です。その歌詞の中で一番印象に残っているのは「もう少しだけでいいからみんなの側に居させてください」という歌詞です。広島に行ってなお一層この言葉の理解が深まりました。そして禎子さんはその願いをかなえる為に千羽鶴を折り続けたのですが、死に直面した恐ろしさ生きたいという祈りの込められた思いを、もうこれ以上僕の口から説明することは出来ません。原爆投下から65年という節目の年です、皆さんこの歌を聴きながら、戦争、原爆とは何かを今一度考えてみてください。 そして、二つ目です。平和祈念式に参加した感想です。今年の式には潘基文国連事務総長や米のルース駐日大使などの初参列などに注目が集まりました。僕は本人を見る事はできませんでした。でも事務総長のあいさつ、市長や子供代表のお話など式には「平和」への願いが溢れていました。僕は原爆を無くすのはできないのではないかと他人事のように考えてしまうこともありました。ですが同じ日本人として人間として意識を変えなければいけない、と思いました。そして世界中の人々の意識を変えていけるように僕も協力していきたいと思います。

三島市立中郷中学校 2年 加藤 亮太郎

 8月6日8時15分、一しゅんで多くの命が失われ多くの家族がばらばらになったということを知りました。核ばくだんとは、そのくらい力の強い、そして、無傷の人でも病気で死んでしまう、恐ろしいばくだんということも知りました。 僕らと、同じくらいのとしの人も、大勢なくなったそうです。たった一つのばくだんで広島を焼け野原にし、多くの人の未来をうばい、多くの人を苦しめた。いくら戦争といっても、関係ない人たちをまきこむのは、まちがってると思いました。今でも、まだ世界で核はなくなっていないので、核がなくなるまで平和とはいえないと思いました。永遠にこの青い空がまっくろにそまらないでほしいと思いました。

三島市立北上中学校 2年 林 明澄

 八月六日、午前八時十五分。  カーン、カーンと鐘が響いた。私は心から日本が平和であり続けることを祈った。世界中から核爆弾が無くなるように祈った。その一分間はとても長かった。  広島での一日目は原爆資料館を見学した。二日目は平和祈念式典に参加した。  原爆資料館に行ったのは二回目だ。一回目に行ったときはただただ恐怖を感じていたが、今回は、冷静に平和について考えることができた。  私は、広島のホテルのテレビを見ていて、アメリカ人の世論調査のこんな意見を聞いた。「広島に原爆が落ちたのは、戦争を終わらせるためで仕方がなかったことだ。」私はそれを聞いて腹が立った。もし、その人達が原爆資料館を訪れていたら、そんな事は言えないと思った。爆風で飛んできたガラスが体に入り、長年痛い思いをしてきた人、熱風で全身がケロイド状になった人、自分が放射能を、浴びたことによって、おなかの中にいた子供までもが障害児になってしまった被爆者。複数の瓶が熱風で全部一つにくっついてしまった。広島の人が原爆でどれだけ苦しんだのか、私には想像できない。あの日、熱線で広島は焼かれた。戦争を終わらせるために仕方がなかったという意見は言い訳だと思うし自分勝手だと思う。戦争を終わらせるためだったら、多くの人を殺して良いのか。二十六万人の尊い命が原爆で失われたというのに・・・。  平和祈念式典は他の何より印象に残った。とにかく暑かったけれど、原爆が落ちたとき広島にいた人は、もっと暑く、つらかったんだろうと思った。子供の平和宣言で私たちより小さな年の子供達も世界が平和になって欲しいと願っているのだと思った。  今回、広島に派遣してくださり、ありがとうございました。私たちがこれからの未来を担って、核兵器のない世界を実現できるよう、努力していきたいと思います。  原爆で亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りします。

三島市立中郷西中学校 1年 山部 詠史

 僕は広島の平和祈念式に参加し戦争の悲惨さを学びました。祈念式前日市内にある広島平和記念資料館や、近くにある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に行きました。平和資料館では、8時15分で止まった時計や禎子さんの折り鶴などがありました。また、平和祈念館では、三好妙子さんと小田直子さんの被爆体験記を聴き、地下1階で他の人が書いたり、言ったりした体験記を見ました。収容所でまわりの人がどんどん死んでいくことを書いた作文や詩がありました。次の日、8月6日広島原爆の日、菅総理や駐日大使や国連事務総長、広島市長、遺族代表、市議会議長などの方々が、出席しました。その中にアメリカの駐日大使であるルース大使が出席。また潘国連事務総長が英語であいさつをしました。英語だったので何言ってるんだろうなと思いました。菅総理は潘国連事務総長と同じく、あいさつという名目で話しをしました。テレビで見るのと実際に見るのは違うということがよくわかりました。だから、僕は、この広島市平和祈念式中学生派遣事業に応募してよかったと思います。来年、行く人にも、このことを感じてもらいたいと思います。1人だけ1年だったけど2年生は優しく楽しかったです。

三島市立山田中学校 2年 野口 湧太

 今回、初めて広島を訪問し、平和祈念式典に参加させていただきました。被爆から65年たっている広島ですが爆心地に近い所に原爆ドームがそのまま残されていて自分の目で見て、改めて原爆のすさまじさを実感しました。  私が一番衝動的だったのは、平和記念資料館で見た写真です。その写真には実際に原爆による被害をうけた人々がうつっていました。体中がやけどだらけで血や肉が見えている写真があり、みているのがとてもつらくなりました。他に原爆が落とされた瞬間、石の階段に座っていた人がとけてしまい、そのやけあとが石に残っている階段もありました。  この原爆により、約14万人の人が死亡したと言われています。爆心地から1,2キロメートルでは、その日のうちにほぼ50%が死亡し、それよりも爆心地に近い地域では80~100%と推定されています。また、即死あるいは即日死をまぬがれていた人でも、近距離で被爆し、傷害の重い人ほどその後の死亡率が高かったようです。  一回の爆発により、あっという間にたくさんの人が死んでしまったこの事実を私達は決して忘れてはいけないと思います。そして今もなお被爆により、苦しんでいる人がいるということ、原爆のおそろしさを一人でも多くの人に伝えていきたいと思いました。今年初めて国連事務総長や、米国からルース駐日大使が参列した、祈念式典に私も参加することができ、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。