平成24年度広島市平和祈念式中学生派遣事業

式典
 三島市では、平成7年度から市内の中学生を毎年8月6日の広島市平和祈念式に派遣しています。これは、三島の将来を担う若い人たちが戦争の悲惨さや平和の尊さについて再認識した思いを口コミ等で広く伝えられる人になってほしいと願うからです。
 祈念式への参列のほか、広島平和記念資料館等の見学や原爆供養塔への献花、三島の水を平和の泉に献水し、平和への思いを胸に深く刻み込んできました。
 
 それでは、参加者の感想を紹介します。

三島市立錦田中学校2年 栗原伶奈

 私は戦争の事についてもっと知ろうと思い、今回の広島市平和祈念式中学生派遣事業に参加しました。 広島に行くのは初めてでこの原爆について行く前にある程度下調べをしましたが、現地に行くとやはり違ったものを体験できました。  広島平和記念資料館に行くと、まわりの人たちは「すごい」「涙が出そう」「悲しい」等の声を漏らしていました。勿論、私も同じ気持ちでした。飾ってある物や写真の一つ一つが原爆のことを語っているように見え、本当に残酷で悲しくなりました。 私達は路面電車であるおじいさんに出会いました。そのおじいさんは原爆体験者で色々な事を教えてくれました。でもそのおじいさんは「本当は悲しいから話したくない」と言っていました。  被爆者、体験者にしかわからないこと、私達には分からないことがたくさんあると思います。  現在、被爆体験を伝える人達は減っています。原爆のことを自分が知り家族や友達など色々な人達に「戦争は絶対にしてはいけない」ということを伝えていくことが大切だと思います。  今回は貴重な体験ができてよかったです。

三島市南中学校2年 西尾 知真

 僕は戦争があったと言う漠然とした事実を知っていても意味がないと思ったので、もっと具体的に戦争で何があったのか、知りたいと思いこの事業に参加しました。 資料館で見た被爆した方達の写真、原爆が落とされた街の模型等には言葉にできない程の衝撃を受けました。 現実に起こったしまったことで、その結果、大切な人を亡くされたり、体調を崩されて今でも苦しんでいる方がたくさんいることを知りました。  僕は今回経験させていただいた事を活かし戦争では、本当に悲しい思いをするんだと言う事、何があってもしてはいけない事があるんだと言う事を伝えて行きたいと思います。  急に大きな事はできませんが、まず僕は友達、家族、地域の方々のお互いの違いを認め合い、相手の立場に立って考えて見る事で、平和を築いて行きたいと思います。一人一人がその様な考えを持てたら世界平和につながって行くと信じています。

三島市立北中学校2年  田島 実羽子

 私は、今回広島市平和祈念式に参加し、戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさを身を持って感じました。記念資料館で見た、8時15分で当時のまま止まった時計、原子爆弾の被害にあった人達の写真・・・私は、本当にこれは現実でおきたものなのか自分の目を疑いました。しかし、これは事実、今、私達の普通の生活や、友達と一緒にいるのは、とても幸せなことだと改めて感じました。 原子爆弾は、たった一つ落ちただけで何百人、何千人もの命を奪い、一瞬でのどかだった街が焼野原になる、とても恐ろしい兵器です。・・・今、核兵器を所有している国がいくつもあります。日本は唯一の被爆国として全世界に原子爆弾の恐ろしさを伝えるべきです。そして、少しでも早くこの世に”核兵器の無い世界”をつくりあげてほしいです。

三島市立中郷中学校1年 廣田 悠仁

 僕は、この広島市平和祈念式に参加し、「平和」について考えるきっかけとなりました。67年前の夏、広島に原爆が投下されたという事実を忘れてはならないと思います。何もかもが無くなり、14万人もの尊い命が奪われたことを。  1日目の平和記念資料館で、黒こげになった弁当箱、焼けこげた学生服、人影が残ってしまった石などを見ました。それらを見て、原爆のおそろしさや平和の大切さを改めて感じました。  2日目の平和祈念式では、「核と人類は共存できない」という言葉が印象に残っています。その言葉を聞いて、原爆が投下されたということを受けとめ、そのことを未来へと伝えていき、このようなことが二度と起こらないようにしていくことが大切だと思いました。  この経験を生かし、困っている人を助けたり、相手のことを考えたりと身近なところから「平和」をつくっていきたいなと思いました。また、貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。

三島市立北上中学校1年 白鳥翔一

 僕は今回この広島市平和祈念式に参加して、多僕は今回ヒロシマに行って、色々な体験ができたことに感謝いたします。  広島の路面電車に乗った時に、ひとりのおじいちゃんが、原爆被害の話をしてくれました。内容は、おじいちゃんと被爆で亡くなった妻が一緒に逃げている時に、妻が石で転んだのを知らずに、おじいちゃんは逃げてしまい、後ろを振りむいたら、妻がいなくて、探してみつけた時には、もう亡くなっていたそうです。原爆は、一瞬で色々な物、人、心を失う物だと思うので、これからは、原子力に頼らない世の中になってほしいです。  原爆ドームを見た時に、僕のイメージ以上に大きくて驚き、原爆ドームの奇跡を感じました。  平和の泉に水をかけた時に被爆で亡くなった人達の喉が潤って下さいと想いながら、かけました。絶対!!この世から争い事がなくなることを祈ります。

三島市立中郷西中学校1年 巻井 美優

私は、三島市平和祈念式中学生派遣団に参加して、今まで知らない原爆のことをたくさん知ることができました。 私がこの派遣団に参加した理由は、原爆が投下された広島へ行き、原爆の怖さや原爆が投下された後の歴史や現状を知り、友人や周囲の人達に、自分が広島で見て学んだことを伝えたいと思い参加しました。  1日目は、広島平和記念資料館へ行きました。原爆が投下された時の遺品や写真があり、一つの原爆が多くの人の命を奪い、多くの人を苦しめているのだと思いました。幼い子供達も原爆の被害にあい、その時の子供たちは、今でも、誰にも分からない苦しい気持ちを抱えながら暮らしているのだと思いました。  資料館には、現在に至るまでの資料も多く展示してありました。世界の国々が原爆の怖さを知り二度と同じことをくり返さないように、現在では世界各国が協力して平和活動をしていることがわかりました。  原爆ドームの見学もしました。初めて実物の原爆ドームを見ました。原爆ドームは、考えていた以上にひどかったです。ドームは、がんじょうな建物のはずなのに、原爆によってボロボロになってしまいました。原爆は、本当に怖いものだと思いました。  2日目は、広島平和祈念式典に参加しました。早朝から小さい子供や海外の人達が多く参加していました。  式典では、子供達の「平和への誓い」が印象に残りました。  平和への誓いは、広島の小学生の子供たちが代表で話していました。私たちよりも年下なのに広島の子供達は原爆のことをちゃんと考えているんだなと感じました。  平和への誓いの中で、私は何か特別なことをしなくても自分の気持ち次第で平和を作り続けることができるんだなと思いました。  この派遣団に参加して、二日間という身近い期間でしたが、広島の原爆の歴史や現状、広島市民の想いを学び、共感することができました。今回の体験をいろんな人たちに話し、自分の生活にも活かしていきたいなと思いました。  平和への誓いをこころに刻んで、平和のために自分が今できることをしていきたいと思いました。

三島市立山田中学校1年 渡邉 妙子

 私は、あの広島に行ってきました。現在は、たくさんのお店が並び、ビルも立っています。しかし、他の県とはちがうところがありました。それは所々に石碑があることです。そして折り鶴が置いてあることです。するとあの日広島にいた人々の思いが私に伝わってきました。「ただ事にしてはいけない。」と。  その後私は広島のことを軽くみすぎていたことを思い知らされることになりました。広島平和記念資料館内の数々の遺品、原子爆弾投下後の町、人の再現、そして写真。私の想像をはるかに超えました。前を見られなくなっている人もいました。外国から来た人も多くいました。私は、広島のことを教科書、本などを使って勉強するだけでは学びきれないと思いました。  そして平和祈念式。一番目にある原爆死没者名簿奉納では、毎年亡くなられている方がいるんだと改めて思いました。そして、いろいろな代表者が話をされました。最後の「ひろしま平和の歌」では、歌うことができなかったので、覚えたいと思いました。 最後に原爆ドームを見たら、らせん階段がグニャリと曲がっていました。がれきも散乱していました。  これらのものを日本人はもちろん、外国の方も見ていただきたいと思いました。そして、核兵器を持っている又は作っている国の人たちが広島に来てどれだけの人が亡くなり、どれだけの建物がなくなるのか知ってもらい成果が平和になってほしいと思いました。