平成25年度広島市平和祈念式中学生派遣事業

 
 三島市は、昭和34年12月21日市議会において「平和都市(各非武装)」を宣言し、平和都市実現のための運動を展開しています。
 この一環として平成7年度から市内の中学生を毎年8月6日の広島市平和祈念式に派遣しています。これは、三島の将来を担う若い人たちが戦争の悲惨さや平和の尊さについて再認識した思いを広く伝えられる人になってほしいと願うからです。
 祈念式への参列のほか、広島平和記念資料館等の見学や原爆の子の像への献花、三島の水を平和の泉に献水し、平和への思いを胸に深く刻み込んできました。
 それでは、参加者の感想を紹介します。

三島市立錦田中学校1年 内田 悠斗

 広島を訪問し、僕は「命の尊さ・平和の大切さ」について、考えさせられました。今迄は映像でしか見る事のなかった原爆の破壊力を、2日間を通して肌で感じることができました。
『平和記念資料館』での遺品の数々は、想像を絶する恐怖心を覚えたと同時に、ぼく自身に「心の変化」をもたらしました。手の震えが止まらず、カメラに収めることができないものも数多くありました。特に火傷を負った人々の人形が印象的で、目を背けたくなる光景でした。
 でも、68年前のこの事実を受け止め、今回体験したことを忘れず、「中学生の僕たちにできること」を身近なことからしていかなければならないと強く感じました。(例)互いを認め合い、敬う。人助けをする。いじめや差別をなくす。
 最後に、今でも終わりなき被爆との闘いに苦しんでいる人々が大勢いるということを認識し、日々「自分が何をすべきか」を考えながら行動していきたいいです。

三島市立南中学校1年 島田 辰哉

 68年前の広島に8月6日に原子爆弾を落とされました。この日、広島は、世界で原子爆弾を投下された唯一の都市となってしまいました。私はこの研修で、原爆ドームと資料館そして平和祈念式に参加しました。原爆ドームは骨ぐみのみとなり、外壁が黒く焼けこげていました。その姿だけ、実際に見ても、どれほどの被害が大きく、悲惨だったのか分かりました。資料館の中では、主に原子爆弾に関する沢山の展示があった。実際に、被爆した人の抜けてしまった髪の毛やろうで作られた被爆者の人形があり、その体は、爆風で皮膚がただれて垂れ下がっていた。廃墟と化した広島を苦痛に耐えながらも町をさまよって歩く、そんな光景が68年前のこの国で実際に起こったのだから、本当に戦争というのは恐ろしいと思いました。そして、爆心地から一キロメートル以上離れた場所でもほとんどの家が全壊といった信じられない威力を持っている。しかしそれだけではない。原爆から出る放射能は人体にかなりの影響を与えてしまう。
 こんな広島や長崎のような悲劇を二度と繰り返してはならない平和のために、一番になくさなくてはならないものは戦争です。戦争は、たくさんの命を奪い、人間だけではなく、動物や地球の環境を傷つけ、壊してしまう。確かに人それぞれ宗教、人種の違い、違いがあって当然です。しかし、こういった違いを認め合い協力していかなければ、平和は生まれないと思う。平和を望んでいる人が多ければ多いほど平和がおとずれると私はそう思っています。

三島市立北中学校1年 白根 雛奈

 八月五・六の二日間、広島市平和祈念式中学派遣事業で広島に行きました。 広島に行って一番心に残ったのは、平和祈念式です。今年は原爆投下から六十八年を迎えました。式典には約五万人が参列したそうです。外国からも七十ヵ国の代表とEUや国連からも代表の人が来ていました。
 戦争や原爆のことは、私の祖父母が生まれるよりも前だったので、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんに話を少し聞く程度でした。他には、学校で教えてもらい、遠い昔に日本は大変な時代があったんだなと思っていただけでした。今回の記念式典で参列のために調べたり、実際に資料館に行ったり、広島の街を歩いたり、式典のことで私は考えました。資料館や原爆ドームをまのあたりにして、とてもこわい気持ち、悲しい気持ちになりました。涙がでてきたこともありました。
 原爆の一瞬の光で多くの命が奪われました。爆心の真下の人は光も音も感じることもなく亡くなったと聞きました。その瞬間は命が助かってもとてつもない破壊力と放射線の影響で、その日のうちや数日後に亡くなる人、重い障害に苦しんで亡くなる人がたくさんいたそうです。原爆は人や物に大きな被害を与えただけでなく、生き残った人も言葉では表現できないような多くの苦労や困難をおこしました。
 犠牲になった人の中には、私のような中学生もたくさんいます。私は今、将来なりたい職業、友達との楽しい約束、これからやりたいこと・・・夢や未来を思いえがくことができます。毎日がとても楽しいです。それなのに犠牲になった人達は未来を一瞬でうばわれました。どんなにくやしかったことか。私みたいにやりたいこと将来への思い、考えがたくさんあったことでしょう。戦争がおきなければ、原爆がなければこんなひさんなできごとはなかったのに。広島に行き平和の大切さをより大きく感じました。昔の人たちの苦しい経験があって今の日本があり、私達は平和な生活が送れるのです。私が平和のために活動するというと、まだ小さいことしかできませんが、まず自分の周りの人を大切にしたり助けてあげることはできます。自分と違う考えや文化の人を否定せずに、お互いを認め合うことも大切だと思います。はじめはとまどうことも多いと思いますが、私はそれをできるようにしたいです。
 今も世界のどこかで戦争をしている国があります。戦争の理由はそれぞれあると思うけれど一日でも早く、戦争のない地球になってほしいです。そして、ひさんな目にあうような人がいない世界にしたいです。
 今回の式典の資料に書いてあった、ジョージ・サンタヤーナさんの「過去を記憶できない者は、その過去をくり返す運命で負わされる」という言葉があります。辛いこと、忘れてしまいたいほどの過去のひどいでき事は、ただ覚えていることが大切なのではなく、さらによい未来をつくるために記憶しておくことが大切だそうです。
 平和のために広島で学んだことを忘れずに、活動をしていきたいです。そして、一人でも多くの人に平和の大切さを伝えていきたいです。

三島市立中郷中学校2年 畠 涼太朗

 今、日本は憲法で戦争を行わないことが決められています。そして、もちろん核ももっていません。ですが、他の国では、これが当たり前ではありません。今でも核を持っている国も少なくありません。ですが、唯一原子爆弾を人がいる場所に落とされた日本はそのような国々に核の廃絶をうったえつづけ、その先頭に立たなければいけないと改めて思いました。68年前の朝、人々は普段と変わらない生活を送っていました。しかし、1個の爆弾が一瞬にしてすべてをうばいました。その日広島は一面焼野原となり地獄となりました。そして68年たった今も放射線などの影響を受け、多くの人が苦しみ、多くの人が亡くなっています。そんなおそろしい事を世界は2度と繰り返してはいけないと思います。被爆者は今、平均年齢が78歳を超えています。いずれ戦争を体験した人もいなくなってしまいます。2度と同じあやまちを繰り返さないためには僕たちが後世に語りつぐことが大切だと思います。
 そして、戦争中は十分に食べられなかったり満足に勉強も出来なかった子供たちがいたことを忘れずにこれからを過ごしていきたいです。

三島市立北上中学校2年 平野 慧太郎

今回、広島に行く前から、原爆のことは、本で読んだり、テレビで見たりして、恐ろしい爆弾だということは知っていましたが、実際に自分の目で見た広島は、想像以上の衝撃でした。
 平和記念資料館では、一人ひとりの大事な人生が一瞬にして消えてしまうこと、たとえ生き延びることができても、怪我や病気、偏見に苦しみ続ける人々の写真や遺品などが展示されていました。僕は、改めて戦争を絶対に起こしてはいけないということを、友人や周りの人達に伝えていくことが大切だと強く思いました。 それから、原爆が投下されて、すさまじい暑さの中、命を落とした方々に、三島のおいしい水を献水してきました。
 この度は、広島への派遣事業に参加させていただき、貴重な体験をすることができ、とても感謝しています。ありがとうございました。
 最後に、原爆で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

三島市立中郷西中学校3年 窪田 美穂

 わたしは、戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを、被爆した広島の地で実際に学びたいと思い参加させていただきました。
 資料館には、原子爆弾が落とされる前と落とされた後の模型がありました。広島市はもともと工場や学校も多い発展していた場所で、投下前の模型にはたくさんの建物がありました。しかし、投下後の模型はほとんど何もない状態でした。アメリカは原爆を落とすことでどのくらいの被害がでるのか実験のため天候がよかった広島を選びました。投下した後、町の様子や被爆者の状態を撮影していました。どうしてアメリカはそのようなひどいことができたのだろうと悲しい気持ちになりました。「生死の境をさまよう」という題名の人の模型がありました。その人たちの体は火傷で皮膚が溶け血まみれでした。わたしが想像していた以上に被害が大きく、言葉を失ってしまいました。同時に、戦争は絶対に繰り返してはならないという気持ちが、広島へ行く前より強くなりました。「人影の石」というのを見て、逃げる間もなく亡くなってしまったのかと思うと悔しい気持ちになりました。核兵器を地上からなくし戦争をしないという決意が大切だと思いました。戦争の実態は広島へ来るまでよくわかりませんでした。わたしたち中学生はそのような実態や戦争にいたる道筋の真実をしっかりと見つめ、伝えていくことが必要だと改めて思いました。わたし自身も、この貴重な体験を伝えていき少しでも社会に貢献できればと思いました。

三島市立山田中学校3年 田淵 明日香

 わたしは今回の1泊2日の研修で、平和のありがたさと、それを持つことができなかった人たちの無念の思いを改めて感じることができました。
 1日目に訪れた資料館では、今までなんとなくしか見ていなかった文章の資料や隅の方にある展示をひとつひとつ丁寧に見ることができたので今までとは違う、とても深い思い出となりました。原爆投下以前の広島の姿、原爆投下までの経緯、そして投下後に懸命に復興してゆく広島。今までは投下直後の悲惨な状況ばかりに目をとられて見えてこなかった広島の様々な姿がとても衝撃的でした。特に復興していく広島の姿はとても印象的でした。人々が共に協力しあい、おどろきのスピードで回復していく様子はなんだかとてもあたたかかったです。しかし、その影にはいつも心の傷がついていて、人々をいつまでもおびやかしている、そんな現実があったことも事実です。原爆症の恐怖、親族の死の悲しみ、それ以外にも私には想像もつかないような傷を抱えていたと思います。私はそれを感じたとき、「ああ、平和ってこんなにも有り難く、尊いものなんだ」と心から思いました。そして平和を持つことが叶わなかった当時の人々はどんなに無念だったろう、そう思いました。式典の黙とうの時間、亡くなった方々のことを想っていると、鐘の音がその叫びに聞こえてきました。私たちはこれからも原爆のことを伝え続けなくてはならない、そう強く思わされました。
 今回広島に行き、たくさんのものを感じられたことを大変うれしく思います。

日本大学三島中学校3年 大橋 実紅

 「都会だー!」広島に降りた時、皆で叫びました。私にとって今回は初めての広島であり、初めて原爆について触れ合う機会でした。最初は原爆について何も知らなかったので、初めていく「平和記念資料館」が本当に楽しみでした。あの場にふさわしくないワクワクがずっと止まりませんでした。資料館の中では、原爆の説明から始まりました。私でもわかるような常識的なことからです。68年前のいつ、どの国が、どこの場所で原爆を落としたのか。「そんなの知ってるし」と思った私は、これから暇かもしれないと考えました。しかし、その後たまたまみたある写真に私は衝撃を受け、おもわず息を飲んでしまいました。人の身体のケロイドや爪の変形、そして皮膚は溶け流れ、全身に火傷をおう被爆者たち。私は気が重くなり、目を背け、持っていたカメラの電源を思わず切ってしまいました。「こんなに原爆はひどかったのか?」「被爆者たちが持っている後遺症とはこのことなのか?」頭によぎる疑問は増えるばかりでした。なぜ、さっき暇だと思ってしまったのだろう。早くも後悔がでてきました。その写真を見てから、他のもの、写真、文章をすべて読んだり、見たりし、時間が許す限り原爆のことを考えました。そして原爆ドームを見て改めてその破壊力に驚かされました。こんなことがまた起こったらと考えるとすごく怖いです。しかし、現在でも原爆のような核兵器は世界中にいくらでもあります。またいつ、どの国が広島と同じ目に合ってもおかしくない状況なのです。広島市長さんが宣言しました『68年間の先人の努力に思い致し「絶対悪」である核兵器の廃絶と平和な世界の実現に向け、力を尽くすことを誓います』広島市の小学生が誓いました『方法は違っていてもいいのです。大切なのは、私たち一人一人の行動なのです。さあ、一緒に平和をつくりましょう』本当に核兵器を廃絶することができるのでしょうか。本当にこの世界に平和が訪れるのでしょうか。そして、未来を託された私たちに一体、何ができるでしょうか。
 この式典に参加し、私は思いました。今、私が知っていることは、ほんの一部分しかありません。だから、もっと知るために被爆者から話を聞こうと考えています。そして、未来の子供たちに今度は私が経験したことや、争いの酷さ、平和の尊さを伝えていこうと思います。