平成26年度広島市平和祈念式中学生派遣事業


 三島市は、昭和34年12月21日市議会において「平和都市(各非武装)」を宣言し、平和都市実現のための運動を展開しています。
 この一環として平成7年度から市内の中学生を毎年8月6日の広島市平和祈念式に派遣しています。これは、三島の将来を担う若い人たちが戦争の悲惨さや平和の尊さについて再認識した思いを広く伝えられる人になってほしいと願うからです。
 祈念式への参列のほか、広島平和記念資料館等の見学や原爆の子の像への献花、三島の水を平和の泉に献水し、平和への思いを胸に深く刻み込んできました。
 それでは、参加者の感想を紹介します。

三島市立錦田中学校2年 西島 昂希(ニシジマ コウキ)

 私は、広島で主に二つの大事なことを学びました。一つ目は、原爆の事実です。これは、原爆資料館で学びました。原爆投下後、広島市内が火の海となって、黒焦げ死体が広がり、全身やけどを負った人達が水を探しながらさまよう、まさにこの世の地獄であったことを知り、今も人々を苦しめる原爆の悲惨さや亡くなった多くの人たちのことを思い、胸が締め付けられるような気持になりました。
 二つ目は、平和の大切さや尊さです。これは平和祈念式で様々な立場の方々のお話から学びました。今、当たり前に生活できていること、どんな人でも生きる希望を見つける事ができ、誰もが安心して暮らせる世界がとても大切だということです。しかし、世界中には核兵器も戦争もあり、普通に暮らせない人々がたくさんいます。核兵器と戦争だけは一番最初になくさなければならないと強く感じました。
 原爆の真の恐ろしさを知る国は、日本しかありません。しかし、原爆を体験した人々は、年が進むごとに減ってきます。これからは広島で学んだ私たちが、原爆の恐ろしさと平和の尊さを多くの仲間や次世代へと伝えていかなければならないと思います。それが、平和祈念式に出席し、平和の大切さと原爆の恐ろしさを学んだ自分の役割だと思っています。

三島市立南中学校2年 馬渕 歩果(マブチ アユカ)

 私は、広島に行って平和なことが幸せであることを改めて感じることができました。
 今私たちが、家族や友達と笑ったり、楽しく過ごしていられるのは、戦争を経験した方々の「平和を守りたい」という強い気持ちと努力でできているのだと思いました。
 平和記念資料館でお弁当箱や髪の毛、眼鏡など数々の遺品を見ました。黒く焦げているものや、形の分からないものもあり、衝撃を受けました。
 戦争中という厳しい状況の中であったけれど、昨日と同じ生活が一つの原爆によって一瞬でなくなってしまったことを恐ろしく思いました。
 戦争をすることで、人が死んでしまったり、後遺症が残ってしまったりと罪のない人が犠牲になってしまう戦争をもう二度と起こしたくないと強く思いました。
 広島に行って、私が見て感じたことを人に伝えていくこと、そして、たとえどんなに小さな力だとしても、平和のためにできることを探していきたいと思います。

三島市立北中学校2年 土屋 穂佳(ツチヤ ホノカ)

 雨が降りしきる中、映像でしか見たことのない原爆ドームが私の視界に大きな存在感で飛び込んできました。69年前のこの日、この場所で人々はどんな酷い体験をし、どんなつらい思いをし、どんな恐ろしい光景を見たのでしょうか。8月5日に訪れた記念資料館での体験は私が知っていた以上の惨劇で私の脳裏に強く刻まれ、その光景が目に浮かびました。それと同時に、何故対話解決ではなく戦争を始めたのか、何故爆弾を落としたのか。原爆を落とすことによってどれほど多くの人が被害を受けるか想像できたはずなのにという悔しさと悲しさの何とも言えない感情が心にわいてきました。
 私たちが平和で暮らすことができるのは、この悲しい歴史があるからこそだと考えさせられました。しかし、この忘れてはいけない悲しい歴史を伝える人々が年々高齢化によって少なくなっていると聞いています。私の祖父祖母は終戦直後の生まれなのでほとんど戦争のことを聞くことができませんでした。今、私たちの世代で8月6日の三島市の朝のサイレンが「広島黙祷」であると全ての人が答えることはできないと思います。私たちにとって広島とはあまりに遠く、まるで別の世界のように感じられますが、本当はこんなに身近にあり、まだ終戦から69年しかたっていません。私たちがどれだけ恵まれた環境であるかを考え、この平和や自然を守りたいです。私は二度と悲しい歴史を作ってはならない事を伝えるメッセンジャーになりたいです。そして、あの焼野原だった広島が、たった69年で大きく近代化されていて、人間の強さ、すごさも感じることができました。

三島市立中郷中学校2年 長谷川 詠一(ハセガワ エイイチ)

 僕は、この広島市平和祈念式に参加し、広島に投下された原爆の恐ろしさを改めて感じました。祈念式の1日前、僕たちは広島平和記念資料館に行きました。そこでは、8時15分ぴったりを示したまま動かない腕時計、熱線・爆風によってボロボロになってしまった僕たちと同じ年の男の子の制服、放射能を多大に浴び、抜け落ちた女性の髪の毛、そのような原爆の被害にあってしまった人々の遺品の数々が保管されていました。このようなものを見ると、原爆は女性、子供関係なく、ましてやその人の生きる権利など関係なく、全てを焼き尽くしてしまったように感じました。しかし、69年が経った今でも、原爆の被害は続いています。昨年の平和祈念式から今年の式典までに80人近い被爆者が亡くなっているそうです。戦争の爪痕は無くなっていくどころか、今も深く人々の胸に刻まれ続けているのだと思いました。当時の被爆者の平均年齢も時が経つにつれて、どんどん上がっていき、今では80歳程になっています。被爆者が語ることに、しっかりと耳を傾け、同じ被害を繰り返さないためにも、世代を超えて原爆の恐ろしさを伝えていかなければならないと思います。
 広島市平和祈念式では、8時15分から1分間の黙祷を捧げました。僕は、原爆で亡くなってしまった14万人の方々のことを思うと、とても胸が痛くなりました。実際に原爆が投下された地で黙祷を捧げることができ、とても貴重な体験になりました。

三島市立北上中学校1年 奥村 望(オクムラ ノゾミ)

 私は、初めて広島に行きました。今回の広島派遣事業では、平和の大切さや戦争の恐ろしさを知ることができました。
 1日目は原爆ドームと資料館に行きました。原爆ドームでは原子爆弾の恐ろしさと怖さに言葉を失ってしまいました。無くなってしまったガラスや崩れてしまった壁。どれもが心を痛めつけられるような所ばかりでした。
 その後に平和記念資料館に行きました。資料館では原子爆弾が投下される前と投下された後の広島の街の模型があり、投下された後には町や家々がすべてなくなっていました。原爆で亡くなったひとの中には、私と同じくらいの年齢の子や私より小さな子がいたそうです。初めて家の庭で育ったお米をお弁当にしてわくわくしながら学校に出かけた中学生や、庭で三輪車で遊んでいた男の子。そういう楽しい思いを持っていた人たちが一瞬で恐ろしい闇に引きずりこまれてしまったのだと思うと本当に平和は大事で、原爆は恐ろしいと実感しました。私はこの広島市平和祈念式派遣事業に参加して、平和についてたくさん考えることができました。これをきっかけに戦争が起こらない事に感謝して、原爆で亡くなった人の願いを込めて平和を大切にしていきたいと思います。
 戦争を体験した人があと10年もすればいなくなってしまうと聞きます。私たちの使命は、戦争の恐ろしさを未来に伝えていく事だと思います。私も今回感じた事、考えたことを友達や小さい子に伝えていこうと思います。ありがとうございました。

三島市立中郷西中学校2年 川原 一馬(カワハラ カズマ)

 「Hope for Peace」 これは、僕が広島平和記念資料館の中で、被爆者の苦しみや原爆の恐ろしさを訴える人にもらったある物に書かれていた言葉です。ある物とは、折り鶴が乗せられた紙飛行機です。原爆の被害にあった方々の「平和を願う想い」を乗せた鶴が世界にその思いを広めてくれるように、この世界から人間同士で傷付けあう事が無くなるようにと願いを込め作ったとその人は話してくれました。僕はその人の話や展示してあった資料に圧倒されました。これが戦争なんだ。これが69年前に日本が体験した「現実」なんだ。僕はこんなことはもう繰り返してはいけないと強く思いました。
 今、世界には戦争をしている国があります。果たしてそんな事をして何になるのだろう。傷つけあい血を流しあって、そこから何が生まれるのだろう。こんな悲しいことはなくしたいです。
 「Hope for Peace」 僕も平和を願います。

三島市立山田中学校2年 浅倉 呂海(アサクラ ロミ)

 私はこの体験を通して、改めて平和の尊さを感じることができました。私は、今まで「平和」について深く考えたことがありませんでした。戦争を起こさないことが「平和」、人々が幸せに暮らしていることが「平和」。そう考えていた私がいました。しかし、それ以上に「他人とのコミュニケーションを取ること」が「平和」への第一歩になるのだと、この二日間で感じることができました。
 資料館へ足を踏み入れた私は戦争のすさまじさを目の当たりにしました。戦争によって変わっていった日常、後遺症によって苦しめられる人々の姿…。戦争を体験したことのない私たちには考えられないような光景でした。その光景から当たり前と思うことの幸せを考えさせられました。今、当たり前にできることでも、当時の人々が当たり前にできなかったことはたくさんあると思います。当たり前を当たり前にできる幸せを感じ、命を大切にすることから平和のありがたさを少しでも感じていきたいと思います。
 祈念式では平和を心から願いました。黙祷を捧げた時に、私は自分の平和への想いが少しずつ大きくなっていると感じました。一人一人が平和を願う姿は世界全体へと届くと思います。「コミュニケーションを取ること」は難しくありません。一人一人の小さな思いを伝えることで平和の輪は広がります。私は今回このような体験を通して平和への思いが少し変わりました。平和のありがたさと平和とは何なのかを伝えていけるようになりたいです。また、原爆で亡くなられた方々の思いを背負って世界中が平和になるように努力していきます。

日本大学三島中学校3年 井口 碧(イグチ ミドリ)

 中学で原爆に関する書物を読んでから少しずつ意識が高まっていきました。どうして落とされたのか?どうして落そうとしたのか?当時はどんな戦況で、どのように生活していたのか?たくさん知りたいことが増えていき、いつかは自分の目で確かめたいと思うようになりました。
 広島に着き最初に訪れたのは原爆ドームです。その場だけは周りと雰囲気が違う気がして、とても不思議な感覚を得たのを覚えています。「焼け焦げた建物」であっても、現代の私たちに何かを訴えかけるようでした。資料館には様々な遺品が展示されていました。ガラスの向こう側であっても、当時の悲惨さ残酷さが言葉に表せないほど伝わってきました。言葉にならない苦しみ、悲しみを展示資料が伝えてくれた気がします。資料館で感じた空気がとても重く、苦しいものだったのを忘れられません。
 祈念式でもそのような雰囲気が感じられました。広島市長の平和宣言、子供の平和への誓い、来賓の方々のメッセージ…。すべてが私の心に響きました。それらを思い出すと今でも気分が重くなり、胸が締め付けられるような感覚が起こります。
 たった二日間でしたが、参加前の自分より得られたことが多くあったのではないかと思います。私たちが愛する国に原爆が落とされたこと、悲しみを分かっていながらも核兵器を作る国があること、そんな世界であっても何も貢献できない自分…。様々なことに憤りを感じながらも、平和であるためには他人への少しの思いやりが本当に必要だと思います。「自分の利益」ではなく、「他人に何をしてあげられるか」を考えれば、少しでも、少しずつでも世界は変わっていくと思います。
 最後に、原爆で尊い命が奪われた方々にご冥福をお祈りするとともに、少しでも将来が明るく、平和に近づけることを願っています。