平成27年度広島市平和祈念式中学生派遣事業

H27広島中学生派遣事業集合写真

 三島市は、昭和34年12月21日市議会において「平和都市(各非武装)」を宣言し、平和都市実現のための運動を展開しています。
 この一環として平成7年度から市内の中学生を毎年8月6日の広島市平和祈念式に派遣しています。これは、三島の将来を担う若い人たちが戦争の悲惨さや平和の尊さについて再認識した思いを広く伝えられる人になってほしいと願うからです。
 祈念式への参列のほか、広島平和記念資料館等の見学や原爆供養塔への献花、三島の水を平和の泉に献水し、平和への思いを胸に深く刻み込んできました。
 それでは、参加者の感想を紹介します。

三島市立錦田中学校3年 永井 詩音(ナガイ シオン)

 今回、広島に行き感じたことは3つありました。
 1つ目は、戦争がいかに残酷で悲惨なものであったのかということです。私達は平和な時代に生まれ、飲む水も、食べ物にも困らずそれを当たり前として生きています。ですが、70年前は十分な水もなく、本来なら学校で勉強しているはずの生徒が工場で働き、国のためにと命をかけて戦う。今では本当にあったことなのか信じられないほど悲惨な出来事でした。
 そして、日本の戦争の歴史において忘れてはならないことが、2つ目に感じた原爆の恐ろしさです。日本は唯一の被爆国であり、原爆の恐ろしさを世界に伝えることの出来る国です。私は、授業で戦争のことを勉強したり、テレビ番組で見たりするうちに戦争に興味を持ちました。
 今回、原爆ドームや広島平和記念資料館を見て、あ然としました。被爆し火傷を負った人の写真やろう人形、母が形見として切り取った髪の毛、8時15分で止まった時計、学生の服、お弁当箱、三輪車、黒い雨の跡、そして飲むものがなく黒い雨を飲む人々の絵。そこには私の想像を絶するものが沢山ありました。この人々は何を思っていたのか、原爆を落とした人は何を考えていたのか。私には想像できませんでした。
 そして、3つ目に、祈念式に参加して、私達ができることから平和を創り上げていこうと思いました。今、こうしていられることを当たり前だと思わずに、そして70年前の出来事を決して忘れず次の世代へ永遠に平和な世界が続くように伝えていけるような人になろうと思います。そして、被爆された方々も戦争を知らない私達世代も願いは一つ。それは世界平和です。

三島市立南中学校2年 西島 美奈子(ニシジマ ミナコ)

 対戦国の方々もご出席され、共に平和を祈り、黙祷する式典に立ち会う事が出来ました。
 私を含めてですが、全ての人が、原爆ドームに原爆犠牲者の慰霊碑という現実を目の前に戦争の怖さを知り、感じ、平和の有り難さに感謝する心を再認識出来たと思います。
 戦後70年、被爆者の平均年齢は80歳を超えたそうです。広島では「語り部」がなくならない様、被爆体験伝承者の養成を進め、戦争の悲惨さを語り継ぐ取り組みもとられ、原爆ドームが永久保存することも決定したそうです。
 今、国会では安全保障関連法案について審議されていますが、安倍首相も式典で平和についての思いをしっかりとお話しなさっていました。
 今回、この広島市平和記念式典に出席する機会に恵まれた事が、一番の良い経験です。戦争のもたらす悲劇を知らない人だけになる未来に向けて、「語り部」が広島にしか居ないのでは、問題です。三島市から派遣していただいた以上、私も平和な日本、そして美しい故郷三島を守ることができる様、「語り部」になります。

三島市立北中学校3年 鈴木 春菜(スズキ ハルナ)

 私は、広島でたくさんの事を学びました。その中で最も心に残ったのは二つの事です。
 一つ目は、「戦争を二度と起こしてはいけない」という事です。今までも、戦争を起こしたくないという気持ちはありましたが、広島の平和記念資料館や原爆ドームを実際に見て、その気持ちがより一層強まりました。原爆ドームの骨組みはむき出しになり、壁は所々大きく欠けていて原爆の恐ろしさを物語っていました。広島平和記念資料館では、八時十五分で止まった時計や全身に大火傷を負った人々の写真など、想像をはるかにこえるような生々しいものがたくさんありました。中でも、被爆した人を再現したろう人形がとても心に残りました。髪の毛は熱でボサボサになり、表面の皮膚は溶けて指先に垂れ下がり見た人を震えあがらせんと言わんばかりでした。他にも様々な遺品や証言などがあり当時の人達の心境や環境などを詳しく知ることができました。しかし、どの写真の人達も苦しそうだったり、大切な人を失い悲しむ人々、無残に燃えた建物。この状況を自分の住む三島や家族、友達だったらと思うとひどく心が痛み、絶対にこんな悲劇を繰り返してはならないと心からそう思いました。
 二つ目は、「この戦争であった事を全て次の世代の人に語りつがないといけない」という事です。私は広島に行く前に自分なりに資料を読んでみたり、ネットでしらべてみたりもして知識を十分につけて行ったつもりでした。しかし、広島では文章では伝わりきらないものがたくさんありました。広島に行かなかったら知らなかった原爆の恐ろしさや被爆者の苦悩など実際に見たり聞いたりすることで戦争について考えさせられました。これは私だけでは無いと思います。このことを知らない多くの人々に実際に見たり聞いたりしてもらい、この出来事を語りつぐことで戦争の恐ろしさを一人一人が理解し、平和の意識を高め、二度と起こさない様にすることが私達の使命だと思いました。

三島市立中郷中学校2年 甲斐 奈菜美(カイ ナナミ)

 私は今回、広島を訪れたのは2回目です。ですが、1回目のときは、私はまだ幼く原爆の恐ろしさをしっかりと理解することができませんでした。世界でただ一つの被爆国である日本人として、広島のことを学び少しでも理解して今後に生かしたいと思ったので参加させてもらいました。
 そして今回、広島市平和祈念式への参加をしてみて、今から70年前の8月6日、広島で起きた出来事の話を聞いているうちに、自分が体験したかのようにとても胸が痛くなりました。また、広島平和記念資料館では数多くの品が展示してあり、ひとつひとつの品からその時の苦しみや悲しみがとてもよく伝わってきました。
 一つの原爆で14万人もの命が奪われてしまったのはとても悲しいです。
 遺族の方々の悲しみを忘れずに、戦争を知らない私達の世代も広島への思いを忘れずに、もう二度と戦争を起こし原爆が落とされないように、平和の大切さを伝えていかなければいけないと改めて感じることができました。

三島市立北上中学校2年 蒲谷 亜美(カバヤ アミ)

 祈念式に参加して最初に思ったのが、想像以上に人が多いということでした。また、外国人の人も多くて日本国内だけではなく、海外からも注目されているのだなと知りました。
 祈念式で話を聞いていて、実際には見たこともない原子爆弾の恐ろしさ、当時の人々の恐怖、さらに、後遺症などで未来にまで影響するということを、改めて、深く理解しました。そして、その原子爆弾を使うまでに発展してしまった戦争を、私たちは絶対にしてはいけないし、日本のみならず、全世界にも同じ考えを広めていければと思いました。
 式典の後、献花するために公園内を歩きました。その時ふと周りを見渡しました。晴れた空、輝く太陽、セミの鳴き声、すれ違う人々。それを感じていると、数十年前にここに原子爆弾が落ち、尊い命が奪われていったとは、とても思えませんでした。そして、平和なのはもちろん大切ですが、平和すぎて過去のことを忘れ去ってしまわないようにするのも大切なことだと思いました。
 私は、平和とは過去の出来事を伝えていき、そして毎日何事もなく暮らせることだと思います。でも、私たち中学生には、何か大きなことをやる力はありません。だから、まずは家族、友人、後輩など様々な人に、広島はこんなところだった。式はこんな風だったと話すことから始めます。きっとそれだけでも、何かにつながるはずです。今回この研修に参加できてよかったです。

三島市立中郷西中学校2年 高橋 沙也(タカハシ サヤ)

 戦後70年経った今、広島で見てきた戦争の悲惨さは、原爆ドームや資料館で物語っていた。私は小学生のときに、「はだしのゲン」を読み、日本で戦争があり、ものすごく大勢の人々が亡くなったことを知った。そして、広島と長崎に落とされた原爆をなぜ作り出してしまったのかと悲しい気持ちになった。私のように、一人一人が戦争に興味を持ち、戦争をすると大勢の人が亡くなり、自分の家族も、自分も死んでしまう残酷ものだと思ってもらいたい。同じ過ちをもう二度と繰り返さないようにするには、今生きている人間全員で考えることが大切だということと、それを伝え続けていかなければいけないと、今回の「広島平和祈念式」で学んだ。
 今までは、テレビで放送されていた住民のデモや国会で戦争の憲法について話し合っていることも難しすぎて、私には関係ないだろうと思っていたが、他人事ではないと気づくことができた。自分の目で見た原爆の遺品や被爆資料は言葉にできないほどの苦しみが伝わってきた。そして、辛うじて生き残った人も、心と体に大きな痛手を受け、多くの被爆者が今も苦しんでいる。このことを忘れないようにしたい。    戦争を体験していない私たちは、戦争の時代を生き抜いてきた人の話を聞いたり、本を読んだり、ニュースを見聞したりして、戦争について教わる必要があると思う。そして、新しい日本のために、平和な世界のために核兵器をなくし、平和について考えていきたい。

三島市立山田中学校1年 池田 理愛(イケダ リア)

 私は、この広島の研修を通して、改めて戦争の悲惨さを感じました。原爆資料館で見た懐中時計は原爆が投下された8時15分ピッタリに止まっていて、その時計を持っていた人は、その後、亡くなってしまったそうです。そのほかにも、被爆した方々の衣服も展示してあり、ボロボロの布切れになってしまっていて、服だけを見ても、こんなにボロボロでその服を着ていた人たちのことを考えると、大きな火傷や怪我を負ってしまったということが衣服から分かりました。被爆してしまった方々は、どんなに熱くて苦しかったか、ということを考えると心がとても痛くなりました。
 祈念式典には、全国、海外からも沢山の人たちが来ていました。会場の石碑には「どうか安らかに眠ってください。過ちはもう二度と繰り返しませんから」と、刻まれていました。それを見て、私はこう思いました。今、日本は海外の戦争に加わって、また武力を持とうとしています。でも、そんなことをしたら、70年前と同じように、沢山の人々が亡くなり、戦争へ行く人たちも家族と離れて、つらい思いをしながら戦地へ行くことになってしまいます。そうしたら、平和記念公園の石碑に刻まれていることは嘘となり、平和は保たれなくなり、亡くなった方々も安らかに眠ることなどできるわけがないと感じました。
 最後に、三島のきれいな水で献水することができてよかったと思います。

日本大学三島中学校3年 竹中 一晴(タケナカ カズハル)

 私は、今回広島に行って戦争と原子爆弾の悲惨さを感じました。特に、資料館で原子爆弾投下後の広島の人々の写真を見たときです。原子爆弾のせいで皮膚が焼きただれている写真、爪が変形している写真、それらの写真は私が一番記憶に残っている写真でもあります。更に私が驚いたのは、8時15分で止まっている腕時計です。実際にこの広島に原子爆弾が落ちたという実感が湧きました。資料館には正直言って見たくない写真もたくさんありました。気分が悪くなる人もたくさんいると思います。ですが私は見てよかったと思います。戦争の特集番組などは、そのような被爆者たちの悲惨な写真が出るので見るのを避けてきました。しかし、今回しっかり見れたことで、昔あったことが学べました。
 日本が平和でも世界のどこかでは紛争や戦争をしている。人間はもしかしたら争うことがやめられないのではとよく思います。原子爆弾やいろいろな科学兵器は絶対使ってはいけないと思います。せめて、ケンカで終わりにしてくれたら、世界中は平和になると思います。

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