平成28年度広島市平和祈念式中学生派遣事業

28広島派遣中学生2

 三島市は、昭和34年12月21日市議会において「平和都市(各非武装)」を宣言し、平和都市実現のための運動を展開しています。
 この一環として平成7年度から市内の中学生を毎年8月6日の広島市平和祈念式に派遣しています。これは、三島の将来を担う若い人たちが戦争の悲惨さや平和の尊さについて再認識した思いを広く伝えられる人になってほしいと願うからです。
 祈念式への参列のほか、原爆死没者慰霊碑献花台への献花や三島の水を平和の泉に献水し、さらに、広島平和記念資料館等を見学し、平和への思いを胸に深く刻み込んできました。
 それでは、参加者の感想を紹介します。

三島市立南中学校1年 大塩 京太郎(オオシオ キョウタロウ)

 日本の遠い、昔原爆が落とされた所というくらいしか知らなかった。原爆、その原爆を落とした国の大統領が、初めて広島を訪れた年に広島に行く機会をもらった。広島に到着。三島とは全く違う様子、空気。そんな事をまず着いてすぐに感じた。そして、原爆ドームの方へ。思っていたより意外と小さく、当時のままというのが良くわかった。見た目はかなりボロボロで、また、それぞれのコンクリートなどの様子。かなりけずられ細くなっていたり、鉄が曲がった状態。そんな細かな所もよく見るとわかる。ですが、痛い思いをしたのは当時広島に住んでいた人々。急におそわれ、原爆を落とされ、人々がどんどん目の前でなくなっていった。そんな事から生と死。この文字が浮かびあがった。生きるとは何か、死とは何かと。また、果たして、今は平和なのか。僕は、唯一の被爆国である日本の全ての人が、笑顔で安心して豊かに生きていけるという事こそが平和ではないのかと思う。どれだけの人が苦しんでいったのか?苦しんでいる人が今もいるのか?また、その時の街の様子はどんなだったのかが、広島に行って良くわかりました。平和という言葉の意味も。尊さも。

三島市立北中学校3年 村瀨 京(ムラセ ミサト)

 「平和」という言葉を辞書で引いてみると、安らかに和らぐこと、穏やかで変わりないこと、戦争がなくて世が平穏であること、と書いてあります。今は、何もなかったように、健康で楽しく暮らしているのが、あたり前のようなのに、祖父母が若かった70年前は戦争によって多くの命が奪われたという過去があると思うと、少し変な感じがします。何も起きていないこの時代に生きていて、とても幸せだと思います。 しかし、祖父母たちは口では表せない程、大変な思いをしたことでしょう。自分の家族、友達を亡くした人の気持ちは想像できません。 しかし、今の時代、鋭く人を傷つける言葉であふれています。 また、いじめによる自殺が世の中を騒がせています。私達は、命を簡単に捨ててしまったり、軽々しく人を傷つけるような言葉を発して良いのでしょうか。 戦争中に生きていた人々は、それを絶対に許さないと思います。その時代、生きたいという強い気持ちをたくさん持っていたのにも関わらず、天皇のため、我が祖国日本のためといって、亡くなった人も少なくありません。家族をおいて、戦争に行かなければいけない、死んでしまうかもしれないと二重苦で苦しみ、悩んだと思います。残された家族も、悲しみや痛みを背負ってもがき苦しんだでしょう。そして、苦しみと戦い、一生、この事実と戦っていかなければならないのでしょう。暗黒の戦争を経験し、亡くなった人々、戦争を全く知らない人々も、みんな平和を望んでいると思います。 けれど、今はまだ本当の平和とは言えないと思います。 現在も、イラク、中東の地域では争いが起こっています。ただ、戦争の現実から目をそらしても戦争は消えて、なくなったりしません。 また、戦争を体験した人々のお話を聞ける時間は、日に日に少なくなってきています。一人でも多くの人々に戦争がどれだけ悲惨なのかを伝え、実行に移せば、平和への扉は開くと思います。戦争から目をそらさずに、一歩ずつ前進していき、戦争がなくなり、みんなの笑顔が戻る。そんな本当の平和の実現は、不可能ではないのです。

三島市立錦田中学校3年 妻木 奏子(ツマキ カナコ)

 私が今回、広島に行って感じたことはたくさんありました。平和祈念式典に参列した後に見学した資料館では、目をそらしたくなるような写真や資料がたくさんあり、遺品の説明文などを読んでいると涙があふれそうになりました。私が広島に行った日と同じように、暑い一日が始まろうとした夏の朝、普通に暮らしていた人々の上に落とされた、たった一発の原子爆弾によって、一瞬で10万人以上の命を奪ってしまったということが、どれほど恐ろしいことかを考えさせられました。 今、世界には地球をすべて破壊してしまうほどの核兵器があるといわれています。戦争は、地球上のすべての生命をおびやかすものであると自覚しなくてはならない事だと強く感じました。 広島と長崎に原爆が落とされ、戦争が終わって71年が経った今年の5月、原爆を投下した国の現職大統領が初めて広島を訪れました。その時、オバマ大統領は、「核のない世界を追及する勇気を、核保有国は持たなければならない。」と訴えました。本当にその通りだと私も思います。 平和の泉に献水し、慰霊碑に献花しながら、原爆の犠牲になった人たちのご冥福を祈ると共に、私は71年前の出来事をしっかり考え、次の世代にも伝えて行かなければならないと思いました。 慰霊碑に書かれている「過ちを繰り返さぬ」ように。

三島市立中郷中学校2年 宮下 桃華(ミヤシタ モモカ)

 私が原爆ドームに行って感じたことは、原爆でドームから落ちたがれきが、原爆が落とされた当時のまま残っていて、原爆はとても恐ろしいということが分かりました。  そして、平和祈念式典に参加して、核兵器を国の中で所持している方々が来ていて、献花もしてくれて、原爆で亡くなられた方々の供養にもなったのではないかなと思いました。 資料館では、8時15分で止まったままの時計や、黒こげになったお弁当箱などがあり、さらに、血がついて破けている服がすごく痛々しかったです。  そして、平和について考えたことは、安倍内閣総理大臣や広島市長が言っていたとおり、核兵器を所持しない勇気をもつことだと思います。原子爆弾は地表面が3,000~4,000度にも達する温度で皮膚がとけて、それが足まで垂れ下がったり、水が欲しいと泣き叫ぶ人たちを想像するだけで、胸が痛くて痛くて、想像するのをやめたいほどなので、絶対に核兵器は持ってはいけない、手放す勇気が必要なものだと思います。

三島市立北上中学校1年 秋山 怜南(アキヤマ レイナ)

 私は今回、この広島市平和祈念式に参加して感じたことがあります。一番印象に残っているのは、原爆の恐ろしさです。私の今までの想像とは、はるかに違って人間の肌を溶かしたり、服をぼろぼろにしたり、罪のない人々の命を一瞬にしてうばってしまいました。たとえ、生き残った人でも、目に見えない放射線や後遺症によって、人々を最後まで苦しめています。家族や友達を失った人の悲しみは、いまだ消えることはありません。原爆というものは、人の命ばかりではなく、人の「心」もうばってしまうものなのだと痛感しました。  資料館に行って見学してみると、71年前の「時」が感じられるものがたくさんありました。8時15分のままで止まった時計や、こげた髪の毛、食べることのできなかったお弁当など、原爆というものが、どれほど恐ろしく、こわいものなのかが、強く感じられました。 私は二度と、この恐ろしさを繰り返したくはありません。そのためには、核兵器のない世界を実現しなければなりません。私ができる第一歩は、人に伝えることだと思います。広島市平和祈念式に参加して、感じた思いをたくさんの人達に伝えて、核兵器のない世界は、たくさんの人の命や心、健康を守るのだと思ってもらいたいです。 私はこの広島市平和祈念式を通じて、平和というのがどれほど尊く、大切なものか感じることができて良かったと思います。この経験を生かして、近い将来、核兵器のない世界をつくり上げることが私の願いです。私は今回、この広島市平和祈念式に参加して良い経験ができたと思います。ありがとうございました。

三島市立中郷西中学校2年 大野 楓夏(オオノ フウカ)

 わたしは、原爆ドームや広島平和記念資料館に行き、戦争の残酷さ、平和の尊さを学びました。原爆ドームは、ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続けており、核兵器の恐ろしさを目の当たりにしました。資料館では、目を背けたくなるような写真もたくさんありましたが、しっかりと見ることで、「戦争」を知ることができました。強烈な熱線により、人が腰掛けていた部分が影のように黒く残った、人影の石を見たときに、ほんの一瞬で14万人の人々の命も、日常も、夢も踏みにじんだ核兵器に怒りを覚えました。  核兵器のない平和な世界を創るために、広島の方々は、「あの日の出来事を伝える」と約束し、いろんな苦しみ、悲しみを乗り越え、世界へ発信してきました。そんな中、今年5月、原爆投下国の現職大統領として初めてオバマ大統領は広島を訪問しました。これは、核兵器のない平和な世界を創るための一歩だと思います。  わたしたち中学生は、平和のためにできることは、大人より少ないかもしれません。しかし、友達や家族を大切にしたり、人助けをしてあげたり、今からできることはたくさんあります。わたしは、今回の体験を回りの人に話すことからはじめたいです。

三島市立山田中学校3年 齋藤 元気(サイトウ ゲンキ)

 この世界から核兵器をなくし、平和をつくる。それが僕たちに任された使命であります。  僕たちには、被爆者からの託された声を伝える責任があります。一人一人が戦争を知らない人、未来へ命の尊さと平和を語り、伝えなければいけません。  未だに核を持っている国があります。1945年8月6日のような事をまた繰り返すのでしょうか。被爆者は「こんな思いを他の誰にもさせてはいけない」と言っています。人間には核を作る力があります。核を使う力もあります。しかし、核をなくす力も持っているはずです。今の世界が核をなくす力を出し合えば、平和になれます。人間には平和にできる力があります。人類史上最初の原子爆弾が広島に落とされ、一瞬にして街を燃やし、人々を恐怖にし、時計を止まらせ、お弁当を黒くこがし・・・、多くの人々の命を奪い、今なお、多くの人々が苦しんでいます。  絶対にやってはいけないこと、それは戦争をすること。そして核兵器を持つこと。  これからの日本、そして世界から核兵器をなくし、平和な未来にしていくため、全力で訴えます。

日本大学三島中学校3年 神戸 伶(カンベ レイ)

 私が今回、広島に行って感じたことは身近な物の尊さ思いです。例えば、身近な物では日常、おりがみです。これらは皆さんにとってはあるのがあたり前になっています。しかし、71年前に、私たちが行った広島は、原子力爆弾を落されて、それらが一瞬にして失われました。よく学校の先生が「尊いぎせいの上に私たちの平和があるんだ」と言いますが、今いち私はそれがわかっていませんでした。 そして私は広島に行って、71年前の原子力爆弾が落とされたことについて知っていくにつれて、その意味が明確にわかりました。罪の無い人たちの何気ない日々が、たった一発の爆弾によって失われてしまったのです。その後に戦争が終わって、今私たちの何気ない日々「平和」が生まれたのです。  最後に原子力爆弾が落とされた後の話です。原子力爆弾が落とされた後、生き残った人たちは想像が出来ないくらいの後遺症になりました。その中の1人は、鶴を千羽折れば助かると信じ1,300羽以上折って亡くなった人がいます。これらを踏まえて、私は戦争は絶対にしてはいけないと思いました。なぜなら、それによって、罪の無い人が巻き込まれ、戦争が終わったあとも後遺症などが残るからです。

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