平成29年度広島市平和祈念式中学生派遣事業

29広島集合写真

 三島市は、昭和34年12月21日市議会において「平和都市(各非武装)」を宣言し、平和都市実現のための運動を展開しています。
 この一環として平成7年度から市内の中学生を毎年8月6日の広島市平和祈念式に派遣しています。これは、三島の将来を担う若い人たちが戦争の悲惨さや平和の尊さについて再認識した思いを広く伝えられる人になってほしいと願うからです。
 祈念式への参列のほか、原爆死没者慰霊碑献花台への献花や三島の水を平和の泉に献水し、さらに、広島平和記念資料館等を見学し、平和への思いを胸に深く刻み込んできました。
 それでは、参加者の感想を紹介します。

三島市立南中学校3年 齋藤 千紘

 私は原爆が落とされた広島について知っているつもりでしたが、実際は私の知っていたことは三分の一にも満たなくて、二日間広島に行って学んだことがたくさんありました。六日に「平和祈念式典」に出席したときは、約五万人が、平和公園に集まって献花や献水しているのを間近で見て、誰もが世界の平和を強く願っているんだなと感じました。平和記念資料館には、被爆前と後の広島のパノラマ写真がありました。この写真を見たとき、私は心が痛くなりました。あんなににぎわっていた広島の街が一瞬で焼け野原になってしまったということを思うと、写真を見るのがつらくなる程、悲しい気持ちになりました。資料館以外でも、原爆ドームなどを近くで見たとき、心がしめつけられました。  
 私は、この二日間で感じたことや学んだことをレポートにまとめて戦争を二度と起こしてはいけないこと、平和について考えたことを学校の友達や家族などに伝えていきたいと思います。広島での体験をこれからも大切にして、あの日に広島で起きた出来事を自分以外の人たちに知ってもらえるようにしていきます。

三島市立北中学校1年 石田 敦也

 僕は広島に来て、都会だけど自然もあふれていて、人が多く、にぎやかできれいな活気のある街だと思いました。平和記念資料館では、1945年、8月6日、午前8時15分に落とされた1発の原爆の被害のことを学びました。約14万人の人々が亡くなりました。大きなきのこ雲の下は、一瞬にして家族、知人、未来、施設、社会的機能をうばい破壊しました。ここに来て今まで知らなかった戦争・核兵器のこわさを知り、国と国との戦争でここまで人を殺す兵器を作る人間の心のこわさを感じました。  
 広島に来て、ぼくの日常が平和であることを強く感じました。平和祈念式の中で、広島の松井市長は、「きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶の願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい」と話していました。ぼくはまず最初にクラスのみんなに広島の原爆のことを話したいと思います。そしてこれからも平和について考えていきたいです。

三島市立錦田中学校3年 安斎 優

 毎年、この8月6日はテレビの向こうで行われている式を見ていた。幼い頃は広島で何があったのか知らなかったから、なぜこの式が行われているのかも知らなかった。しかし、年が上がっていくにつれ、その出来事と式の意味について少しずつ分かってきている。このタイミングで実際現地にて式に参加したことで「平和」とは何かを改めて考える機会となった。72年前、8月6日に広島、9日は長崎に原子爆弾が落とされ、その後終戦。それから日本は武器を持たない平和主義の国へなった。資料館の展示物から、原子爆弾の被害、失われた人々の命、残された人々への影響、平和を得るための人々の努力。そういったものが教科書や本とは比べものにならないぐらい鮮明に伝わった。同時に多くの命を奪った原子爆弾の影響で今も苦しんでいる人がいること、その出来事があった上で今も核兵器が存在していること。それはとても悲しいことだと思った。
 辞書では「戦争がなく、世が穏やかな状態のことまた心配やもめごとがない様子」のことを平和と指しているが、戦争をやめ、武力を捨て穏やかに生きていても、世界のどこかで核兵器が存在しているこの状態を簡単に平和と言ってはいけない気がする。最近では戦争を経験した人が少なくなってきて、つい戦争とは無縁だと錯覚してしまう。しかしそんなことはなく、辞書の「平和」には届かない、未完成な平和であること。それを忘れず未来へ伝えること。それがこの平和な国へ生まれた者の使命ではないかと私は思う。

三島市立中郷中学校2年 長篠 美里花

 今回の2日間は、私にとって、とても貴重な体験となりました。 まず最初に原爆ドームを見て、とても衝撃を受けました。原形が分からないほどまで、崩壊していました。資料館では、被爆者の遺品や、被爆前と後の広島の写真などが展示されてありました。中でも印象に残ったのは実際の、火傷をおった被爆者の写真です。皮膚が焼けただれ、手や顔が溶けてしまっていて男女の区別もつかないほどでした。何の罪も無い人たちが、このような姿になってしまったのを見て、とても悲しくなりました。資料館で「熊本悦子さんの日記」というのを見ました。その日記は8月5日で終わっていました。8月6日は原爆が投下されたという事実が被爆者の遺品を見て分かり、人々の記憶に一生残ってしまうものだと思いました。2日目は、平和祈念式典に参列しました。驚くほどの人が参列していて、海外の人もたくさんいました。日本人だけではなく、他国の人々も広島の原爆について関心を持っている人が多くいるということが分かりました。その後、戦時中に水を飲めなかった人たちのことを思い三島の水を献水したり献花などをしました。
 私はこの研修に参加して、テレビでは分からない悲惨さや、平和の大切さについて考え学ぶことができました。今回この研修に来ていない学校の皆や家族、その他多くの人々にも伝えていきたいと思います。これから世界が少しずつでも平和になってほしいです。

三島市立北上中学校1年 平野 花音

 この度、広島市平和祈念式に参加する機会を与えていただき、とても感謝しております。 漠然としか考えられなかった戦争や原爆のおそろしさを、実際に広島で見た事で詳しく知ることが出来、とても有意義なものでした。原爆が落とされる前は私達と同じように、学校や会社で普通に生活していた人々が一瞬にして地獄の世界に一変してしまいました。展示物の時計や衣類など1つ1つが当時の方々の苦しみ、悲しみを教えてくれました。平和公園の周りには、様々な団体がそれぞれの考えを持ち、集まっていました。広島のあちらこちらから「平和」という文字があふれでていて、皆平和を願う気持ちは同じだと思います。昔だけではなく、今現在も世界のどこかで戦争はおこっているし、核保有国も存在するのです。
 私は、まずこの広島で学んできたことを周囲の人達へ伝えていくことから始めていきたいと思います。

三島市立中郷西中学校2年 河野 もも

 今回、参加してみて、改めて、考えたことが3つあります。1つめは、祈念式の“平和への誓い 子ども代表”の中でもありましたが、広島の復興についてです。一面焼け野原で心をいやす花も無い、色の無い真っ黒な世界。その地に復興のために、と足を踏み出した人々の勇気。その人たちのすばらしい勇気が無かったら、再び広島に笑顔が戻ることは無かったでしょう。2つめは、”広島の心を世界へ“で聞いた海外の広島への意識です。海外では、広島の復興がまだ終わっていないと勘違いしている人や、もう過去のことと思っている人がいるそうです。私は、日本人だけが8月6日に原爆について考えるだけでは、いけないと考えます。  その理由が3つめです。日本だけのこと、過去のこと、ではないのです。現時点で核は世界に1万5千もあると言われています。再び戦争が起こり、その大量の核が使われてしまったら、たくさんの人の大切な命が奪われます。
 全世界の人々が核はいけない、と認めない限り、苦しむ人は増え続けます。資料館内の時計には今から331日前に世界のどこかで核が使われたと、示していました。1年以内にまた苦しんだ人がいた、ということです。許せません。世界から核がなくなるまで、二度と原爆で大切な人を失った悲しみが、生まれないように、私は核廃絶を、訴えていきます。

三島市立山田中学校1年 日吉 爽一郎

 僕は、広島に行ったのは初めてではなく、少ししか見ませんでしたが、一応平和記念資料館も見たことがありました。なので、大体分かるかなと思っていてかなり軽い気持ちで応募しました。なので、受かった時も、「あっ、受かったんだ。」と思っただけでそこまでびっくりしたりはしませんでした。しかし、いざ行ってみると、色々と新たなことを知ることができ、また、そのことについて考えることができました。 ここでは、僕が広島に実際に行って考えたことを、僕なりの意見を入れながら、交えながら書いていきたいと思います。僕には、前回広島に行った時に見た少しばかりの物の中で、印象に強く残った物があります。それは、朝銀行の前で銀行が開くところを待っていた人たちのところに原爆が落ち人の影が写った石です。とても悲惨な物ですが、この他にも、たくさんの悲惨な物が広島にはあり、当時を伺うことが出来ました。8時15分でとまった時計、皮がはがれて死にかけのかっこうで、水を探す人々や、急性障害が起きて苦しむ人々の写真。黒くこげた服、三輪車、弁当箱。そして何より、公園に変わった繁華街、中島町。僕が広島に行って強く感じたこと。その内の一つは、そこに当たり前の平和があった、という事です。そこにあった物が、原型を留めない姿になり、皮肉にもそれを見ることによって、平和の尊さを改めて知る。これはとても悲しいことだと思います。72年前の8月6日に原爆が落ちたことは、もう変えられません。僕達に出来ることは、この事実を皆が知り、考えて、原水爆を無くしていけるようにすることだと僕は思います。僕は、日本が原水爆を無くしていく方向の最先端にいると思っていたので、日本があの案に賛成しなかったと聞いた時は、正直驚きショックでした。確かに、原水爆は、今の世界と密接にからみ合っており、解くことは非常に難しいと思います。しかし、原水爆をだからと言って放置、増殖させてはいけません。原水爆は「絶対悪」だからです。
 そこで、やはり皆が協力し、原水爆を無くしていくように努力していくことが大切だ、と思います。世界には、戦争が好きな人なんていません。同じように、原水爆が好きな人もいないはずです。誰もやりたくないはずのことをいつまでも繰り返すと、このようになるよ、と広島や長崎等の負の遺産たちが教えてくれています。世界のムダな核競争が、一刻も早く終わってほしい。それが、僕が何よりも強く感じ思ったことです。

日本大学三島中学校3年 上原 大

 僕は今年の夏、生まれて初めて広島を訪れました。僕が見た広島は、今までテレビで見たり、話を聞いたりしたものとは、あまりに違っていて、とても衝撃を受けました。熱で変形したビン。焼けこげて、何日も苦しんだ人々の写真。8時15分で止まった腕時計。広島には想像を絶する現実がありました。僕はとても胸が痛みました。ここでの体験や悲しい気持ちを絶対に忘れてはいけないと思いました。多くの人に伝えていかなければならないと強く思ったのと同時に、ぜひ皆にも広島を訪れてもらい、つらい体験をした広島の方々の気持ちに少しでも寄り添ってもらいたいと思いました。僕は今回の広島訪問をきっかけに、再び広島を訪れたいと思います。今度は家族と一緒に。将来は自分の子供を連れて行き、広島のことを忘れることなく伝え続けていきたいと思います。
 今回の広島訪問を終えて、平和についてもう一度、じっくり考え直すべきだと感じました。そして、毎日ご飯が食べられる、学校に通えるなど当たり前の日常があることに感謝をしなければいけないと思いました。また、世界唯一の原爆投下による被爆国として、平和の尊さ、核兵器の使用禁止を世界に訴えていくことが必要だと強く思いました。最後に、今回、このような機会を与えてくださった三島市長をはじめ、市役所の方々に感謝をしたいと思います。ありがとうございました。

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