平成30年度広島市平和祈念式中学生派遣事業

30原爆ドーム前集合写真

 三島市は、昭和34年12月21日市議会において「平和都市(各非武装)」を宣言し、平和都市実現のための事業を実施しています。
 
 この一環として、平成7年度から市内の中学生を毎年8月6日の広島市平和祈念式に派遣しています。これは、三島の将来を担う若い人たちに戦争の悲惨さや平和の尊さについて再認識していただき、そこで感じた思い等を多くの人に伝えていただきたいためです。

 派遣事業では、平和祈念式への参列や広島平和記念資料館の見学のほか、原爆死没者慰霊碑献花台への献花、原爆の子の像へ折り鶴の奉納、平和の泉への献水等を行い、平和への思いを胸に深く刻み込んできました。

 それでは、参加した8人の中学生が、広島市平和祈念式派遣事業を通して感じたことなどを紹介します。

三島市立錦田中学校3年 久保田 結理 さん

久保田さん
 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参加して、私は核廃絶や世界恒久平和への思いをより深めることができました。

 こども代表による「平和への誓い」は力強い意志や希望が感じられ、広島の人々と共に平和な未来をつくっていきたいと思いました。そのためには、原子爆弾が投下された日のことを忘れたり風化させたりしないことが必要です。背中に大やけどを負って苦しむ少年の写真。原爆が落ちた8時15分で時が止まったままの時計。これらのものから、私はいろいろと思いをめぐらせました。そして、この73年前に起きた事実に正面から向き合うことが大切だと思いました。

 世界から核がなくなるまで燃やし続けるといわれる「平和の灯」を見ました。核という武器を持つことによってお互いを脅し合い、世界を平和に保つという考えは本当に危険です。「平和の灯」が消える日のために、世界のリーダーたちが核廃絶に向けた取り組みを深めてくれることを願っています。

 広島は、とてもにぎやかな場所でした。路面電車が行き交い、高層ビルのようなものが立ち並んでいました。過去の恐怖と向き合い前進してきた広島市民の方々の努力の証、という感じがしました。将来を担う私たち若者には、多くの人々によって積み上げられてきたものを受け継ぎ、伝承していく使命があります。私が今回広島を訪れて体験したことや感じたことを、まずは身近な人に話します。そして、自分の思う平和とは何なのか、改めて考えてみたいと思いました。

三島市立南中学校 2年 鈴木 庵里 さん

鈴木さん
 私は、今回の平和祈念式に参加して改めて平和の大切さを学べました。

 実際に原爆ドームや資料館などを見て、崩れている建物や焦げている多くの物など、とても衝撃的でした。会場には、当時の新聞、写真の展示場所が設けられており、焦げて道端に倒れている人々の写真や、今もなお苦しみ続けている被爆者の記事、「別に原子爆弾は落とさなくてよかった。」と怒りを覚えたアメリカ軍の記事などを見て、8月6日午前8時15分一瞬にして広島の日常が変わってしまったんだと身にしみて感じました。それと同時に悲惨さも伝わってきました。

 式が始まり、市長の話や、被爆者の話などを聞いて、生で聞くと記事やテレビよりも説得力や、酷さが何倍にもなって感じられました。同時に今の世の中がどれだけ幸せかということも伝わってきました。

 今回、貴重な体験をして私は成長できたと思います。私達時代は幸いにも戦争を経験したことがありません。それは先祖の人たちが戦争はただ人を殺し合うだけの不幸なことだと分かって止めてくれたからです。 しかし、被爆者、経験した人々が亡くなっていく中、戦争がだめという存在が少し薄れてきている感じがします。私は、今回の経験で戦争はだめだということを改めて感じられましたが、戦争の意識が薄れてきている若者がたくさんいると思います。そういう人々に、今回の経験を伝えていきたいです。最後に、核兵器がこの世にあっては絶対だめだと、改めて分かりました。

三島市立北中学校 1年 梅原 萌瑠 さん

梅原さん
 “73年前の8月6日8時15分、広島に人類史上初の原子爆弾が投下され、広島の街を一瞬にして破壊した”それは誰もが知る事実です。

 でも、そのおおまかに伝えられた事実の裏には人々の人生があり、命を奪われた多くの人の想いがあります。どこにいても知ることができ、身をもって感じることのない表面的な事実、それよりも平和祈念式に参加し、感じたこと、学んだことを大切にしてそれを伝えることで、皆に平和について考えてもらいたいです。 ですが、「平和」そのたった二文字の言葉を考えることはとても難しい気がします。世界中の人が考え、全員がそれぞれの答えを出したとき、世界は、核兵器も戦争もなく、安心して明日を迎えられているのだと思います。

 平和とは、自然に笑顔になれること。平和とは人も自分も幸せであること。平和とは夢や希望をもてる未来があること。こども代表で誓いをした小学生の言葉です。単語で区切られ、その一言一言に思いが込められていました。もし私が彼女達と同じ立場だったら、あの場で堂々と誓える自信がありません。それだけ、知識や意識が少なかったのです。でも無力ではない。その言葉に少し救われた気がします。こんな私にもできることがあります。自分にできることをひたむきに、頑張っていきたいです。

 被爆から73年。原爆を経験した人が減ってきています。私たちが大人になった時に、被爆者が生きているかは分かりません。大人になったら、次の世代に伝えられるよう、今のうちに、沢山のことを学ぼうと思います。唯一の被爆国である日本に生まれた一人として、強く平和を願い、強く平和を訴えます。

 最後になりますが、三島市役所の方、一緒にいってくれたみんな、ありがとうございました。

三島市立中郷中学校 2年 永田 ひかり さん

永田さん
 平和記念資料館で見た遺品の数々。悲惨な写真とそこに写る人々。それらを前に私は言葉を失ってしまいました。事前に少し勉強をして、知っているつもりでいましたが、実際は全然違っていたことが分かりました。

 73年前の8月6日、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放ち、摂氏100万度を越える原子爆弾が炸裂し、強烈な熱線と爆風が広島を襲いました。これが人類史上最初の原子爆弾です。何の罪もない多くの命が突然奪われました。

 ある人は体中に大やけどを負って水を求めながら、またある人は崩れた建物の下敷きとなり、生きたまま炎に包まれて苦しみながら亡くなりました。原爆によって死亡した人数は、昭和20年(1945年)12月末までに約14万人とされています。とてもむごいことです。

 私は今、家族や友達に囲まれて、したいと思うことをして、楽しくそして穏やかに生活しています。急に大事な人を失ったり、住むところがなくなるなんて信じられません。 人々の夢も希望も未来も、命と一緒に奪っていった核兵器が世界には、まだたくさんあります。人類と核兵器の共存はあり得ません。日本は唯一の被爆国です。「自分たちと同じ苦しみや悲しみを今後誰にも経験させてはならない。」という被爆者の思いと、原爆被害の悲惨さをまだ若い私たちが、これからは伝えていかなければならないと思いました。

 献花台の石碑に記されてた「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」今回の派遣事業で心に残った言葉です。多くのことを学び、考える機会となりました。二日間、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

三島市立北上中学校 1年 福井 多朗 さん

福井さん
 僕は今回広島でいくつかの体験をしました。原爆死没者慰霊式、平和祈念式に参加しました。又、記念資料館では原爆の恐ろしさを見ました。

 いつも通りの朝、いつも通りの生活、8時15分、一瞬にして町が消え、多くのぎせい者が出ました。命は助かっても、被爆して、苦しみながら死を迎えた人も多くいます。被爆した三輪車に直前まで乗っていた子供もいました。まだ幼く小さな命も多く失われました。もうこんな残酷で、悲しみしか残らない戦争は、二度としてはいけないと強く思いました。

 僕としては広島での体験をより多くの人に伝え、知ってもらいたいです。原爆投下から70年以上もたった今、人々は原爆の恐ろしさと悲惨さを忘れ去ってしまい、誰の記憶にも残ることのないものとなってしまうのは、絶対にあってはならないことだと思います。この先、10年たっても、100年たっても、この事実が人々の記憶に残っているようにするために、これからもっと学んで、戦争、原爆について、より深く学び、考え、伝えたいと思います。

三島市立中郷西中学校 2年 大房 そら さん

大房さん
 私は初めて広島へ行きました。広島は、とても人が多く、緑豊かな場所でした。73年前、この場所に原子爆弾を落とされたと思うと苦しく感じました。

 平和記念資料館へ行くと、初めに原爆の被害の規模が分かるモニターがありました。私が思っていたより規模が大きく、悲しくなりました。

 先へ進むと、数々の遺品や写真がありました。三輪車、学生が着ていた服・・・色々な遺品がありました。原爆が落ちる前後の広島、家族写真、全身やけどになってしまった人・・・さまざまな写真がありました。どれもつらく、悲しいですが、特に衝撃を受けたのが、銀行の入口にある階段に残った人の影の写真です。もとは、そこに人がいた、と思うと胸が痛みます。

 実際に私が見た事実、平和の尊さをまずは、自分の周りの人々に伝えていきたいと思います。

三島市立山田中学校 2年 渡邉 陽菜 さん

渡邉さん
 私は今回の広島平和祈念式に参加して、今までよりも平和について考えるようになりました。

 私たちに残されたものは、原爆で亡くなった方の遺品や被爆者の方の証言。実際に「戦争」を経験した方が減っていく中、次の世代につないでいくには、私たちが伝えていかなければいけないとあらためて感じました。広島に原爆が落とされたという事実は変わることはありません。私たちに変えられることでもありません。それでも次の世代に伝えていくことなら私たちにできます。二度と同じあやまちが繰り返されないよう、風化させないために。そのためには、まず私たちが今回学んだことを、家族や友人に伝え、戦争の悲惨さを多くの人に知ってもらう必要があります。

 もちろん、実際に被爆した方にしかわからないことがたくさんあると思います。しかし、残された遺品はかくすことなく原爆のむごさを教えてくれます。このように次の世代に伝えていくことは、できないことではありません。私たちは、今回経験したことを伝え、たとえそれが小さなことでも、それが大きなことにつながり、この世界での平和が実現されるための一助になればいいと思います。広島市平和祈念式への参加は、私にとってとても心に残る経験となりました。また、このような経験を与えてくれた方に感謝しています。

日本大学三島中学校 3年 津留 幹太 さん

津留さん
 僕は2度目の平和記念公園に行ってきました。

 中学1年生の時に三島少年の船で沖縄のひめゆりの塔に、中学2年生の時にパサディナのホームステイで全米日系人博物館に行き、様々な場所で太平洋戦争のことについて見てきました。その中でも広島が、1番胸が痛みました。なぜなら、原爆が落とされた後に撮った痛々しい写真や、変形してしまっている物が悲惨さを強く物語っていたからです。くっついたビンや、焦げて曲がった三輪車、8時15分で止まった腕時計などたくさんの物がとても残酷に見えました。中には、見ると心が痛むものや、直視しづらい物もありました。こういう物を見ると今はとても平和なんだなと思い、平和だからこそ、この平和を継続するために未来に語り継がなければならないとも思いました。

 平和祈念式には、たくさんの国の人が来ていました。多くの人々が、平和に対して強い意識を持っているということが分かりました。平和祈念式に参加し、戦争や原爆がいったいどれ程たくさんの人を悲しませるものなのかを改めて実感することができました。また、平和について改めて考えることも出来ました。この広島で見た物や被爆者の平和についてのメッセージを後世に伝えていかなければならないと思いました。なぜなら、この戦争のような恐ろしい過ちを繰り返してはならないからです。

 原爆が落とされて73年間、平和だった日本。100年経っても200年経ってもその平和を維持していかなければなりません。それがこれから大人になっていく僕たちの義務であると思います。