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くらし

家庭防災(地震)について

防災訓練イラスト

災害はいつ(おそ)ってくるか分かりません。
被害を最小限に食い止めるためには、日ごろの準備が大切です。


家の中の安全対策

 1 家の中に逃げ場として安全な空間を作る

 2 寝室、子供やお年寄りのいる部屋には、家具を置かない

 3 家具は倒れにくいように置く

 4 安全に避難するために、出入口や通路には物を置かない

非常持ち出し品

 避難するときに持ち出す最小限の必需品。重さの目安は、男性で15kg、女性で10kg程度です。背負いやすいリュックサックにまとめておきましょう。

携帯ラジオ、懐中電灯、ヘルメット(防災ずきん)、非常食、水、
生活用品(ライター、缶切り、ナイフなど)、衣類、救急用品、
通帳類、証書類、印鑑、現金など
非常持ち出し品イラスト

 
非常備蓄品

 災害復旧までの数日間を自活するためのもの。 3日間分、できれば
5日間分を用意しましょう。

非常備蓄品イラスト
非常食・・・そのまま食べられるか、簡単な調理で食べられるもの。
アルファ米やレトルトのご飯、インスタントラーメン、切り餅、調味料など。
定期的に期限を確認し、いつも新鮮なものを補充しておく。
水・・・飲料水は1人1日3リットルが目安。さらに生活用水の確保も忘れずに。風呂の水は次に入るまで抜かずフタをして、寝る前にはいつもポットややかんに水を入れておく。
生活用品・・・燃料は短期間なら卓上コンロや固形燃料で十分。その他洗面具、ビニール袋、生理用品、ビニールシートなど。

地震が予知されたら

 警戒宣言が発令されたときは・・・危険予想区域(急傾斜地危険地域)の人は、速(すみ)やかに広域(こういき)避難(ひなん)場所に。その他の地域の人は、居住する建物の耐震性、地盤などの状況に応じて、必要があるときは広域避難場所へ。

避難のルール

 避難する前に・・・もう一度火元を確かめ、ブレーカーを切る。
各自が、住所氏名などを書いた防災カードを身に付ける。

 ヘルメットや防災ずきんで頭を保護する。荷物は最小限に。近所の人たちと集団で、まず決められた集合場所に。車やオートバイは厳禁(げんきん)。避難は指定された避難場所へ。

広域避難場所

 三島市内にある、公立の小、中、高校23カ所です。

上水道

伊豆島田浄水場の写真
                 伊豆島田浄水場

 三島市の上水道の給水は旧陸軍水道施設を譲(ゆず)り受け、昭和23年(1948)から開始されました。人口の増大に伴って、昭和39年(1964)、裾野市に主要給水施設である伊豆島田浄水場(じょうすいじょう)が建設されました。このときの給水人口は、約49,000人でした。
 
 昭和50年(1975)からは、静岡県が、三島市、熱海市、函南町に、柿田川の湧水を水道水として供給するために建設した、県営駿豆水道からの給水も受けるようになり、昭和63年(1988)には、山中新田地域への給水を目的とした山中新田簡易水道が設置され、平成元年(1989)から給水を開始しました。
  
 平成12年(2000)現在、伊豆島田浄水場には、60mの深井戸が6本あり、1日34,000tの水が市内15カ所の配水場に送られ、ここから三島の北半分の家庭に、また、県営駿豆水道からは1日30,000tの水が、三島の南半分の地域に給水できる体制が整えられています。
 三島市の上水道の水源はすべて地下水であるため、水温が安定しており、また消毒も少ないので、おいしい水を飲むことができます。

下水道

三島浄化センターの写真
                 三島市浄化センター
 
 生活雑排水の流入によって生じる河川や湖などの汚濁
(おだく)をなくすためには、下水道の普及が大変重要な役割を持っています。
 
 三島市では、大場川の西側地区を事業区域とし、市単独で事業を実施している単独公共下水道事業と、静岡県が事業主体となって進めている狩野川流域下水道(三島市、沼津市、裾野市、清水町、長泉町の3市2町で構成され、沼津市原の西部浄化センターで汚水処理を行う広域下水道)に接続するため、大場川の東側を事業区域とし、県事業と一体となって事業を実施している流域関連公共下水道事業の2つの下水道事業を行っています。

 
 単独公共下水道は、昭和39年度に都市下水路事業として計画され、昭和43年度には、汚水と雨水を一緒に処理する合流式下水道に変更し、さらに昭和46年度に現在の汚水と雨水を分けて処理する分流式下水道に計画変更、昭和51年(1976)11月、三島市長伏に三島終末処理場が完成したのに伴い、供用開始をしました。 

 三島終末処理場では、平成11年度現在、1日に約24,000、52,000人分の汚水処理が行われ、処理水は狩野川へ放流されています。
 なお、平成11年度末現在の下水道整備状況は、処理面積約700ha、処理人口約54,500人、普及率は49.4%で、静岡県下22市(下水道供用開始市は19市)中6番目となっています。下水道使用料は、上水道使用量に応じて算定され、平成12年度現在の使用料は、上水道使用量が、2カ月で50m³の家庭で3,930円になります。

簡易水道

簡易水道とは、給水人口101人以上、5,000人以下の人々に、水を供給する水道事業です。
 平成12年(2000)現在、三島市の上水道の普及率は95.6%ですが、市内には、中央簡易水道組合、久保町簡易水道組合、幸原簡易水道組合の3つの民営簡易水道組合があります。中央簡易水道組合は、本町の約140世帯に給水しています。昭和12年(1937)、町内の住民が利用していた井戸の衛生面から、伝染病を予防するために、安全な飲料水を供給しようと町内の有志9人が出資し、水道組合を発足させました。

 大場川に面している幸原地区は、かつて大場川の水位が低く取水しにくいうえ、地下水源が乏しく、生活用水の不足に悩まされていました。大正15年(1926)に、境川の川岸に井戸を掘り揚水して、この水を砂漉(すなご)しして配水する設備に成功し、水不足が解消されました。これをきっかけに、幸原地区約1,200世帯の住民に給水できるほどの簡易水道に発展しました。また、久保町簡易水道組合は約12O世帯に給水しています。

  この3つの簡易水道組合は民営ですが、万一の事故などで―時的に給水不能になったときには、臨時に市営水道に切り換えて給水することができます。

  また、安全な飲料水を給水するために、毎日欠かさず残留(ざんりゅう)塩素(えんそ)を点検し、静岡県の管理の下、月1回水質検査を受けています。簡易水道を運営するためには、地元の人たちのこうした管理と努力が必要です。簡易水道だけに料金はかなり安くなり、自然水ゆえに、美味しさも格別です。

協力 幸原簡易水道組合、中央簡易水道組合、三島市水道部、静岡県沼津保健所薬事環境課

ダイオキシン対策

清掃センターの写真
              清掃センター

 平成12年(2000)現在、稼動中の三島市のゴミ焼却(しょうきゃく)施設は、平成元年(1989)にスタートしました。当時は、焼却炉から出るダイオキシンを抑制(よくせい)するという考えはありませんでした。時代とともにさまざまな環境問題が表面化し、平成2年(1990)にダイオキシンに対する最初の国のガイドラインが示され、さらに平成9年(1997)に新ガイドラインが出されました。それによると、平成14年(2002)12月1日以後のダイオキシン濃度基準は、1ng/(注)(現在の基準は80ng/)以下でなくてはならないとあります。このため三島市では、その新ガイドラインの基準をクリアーするため、約24億円を計上し、平成12、13年度に施設改造します。
 改造の主な箇所は、集じん装置に流入する燃焼ガスの温度(約800℃)をおおむね200℃以下にする冷却設備を設置し、新しい排ガス処理設備は、ろ過形式になり、フィルターに吸着させ、よりきれいな排気ガスを放出します。

 (注)  nano(ナノ)は単位の前につけて、10億分の1(10-9)を表す。
    記号は
nで、ngはナノグラムのことを表す。

ゴミ削減対策

ごみ削減対策1のカルタ

         
 
 現代の多様な生活様式のなかでは、ゴミ減量の決め手になる解決策は見つかりません。三島市では従来から、コンポスト容器や、ボカシ容器を無料で貸し出していますが、平成11年(1999)9月から、メーカーが販売する「生ゴミ処理機」を購入しようとする家庭に、3年間の予定で補助制度を実施しています。

ごみ削減対策2のカルタ

 
 また三島市では、自分の袋を持って買い物に行くようにと「マイバッグでお買い物」を市民に呼びかけています。いずれはゴミになるスーパーの袋
(注)をできるだけ貰わないという、1人ひとりの姿勢と意識の高まりが、ごみ減量につながるのではないかと期待されています。

 市民は有料のゴミ袋を使用してゴミを出します。袋の大きさは20リットル、30リットル、45リットル用の3種類です。有料化された当初はゴミの搬出量は大幅に減量されましたが、その後は、また少しずつ増えています。

(注)三島市ではスタートする時点でスーパーの袋をゴミ袋に代用できるように、三島市の基準であるタンカル(炭酸カルシウム)含有率が30%以上か、少なくとも20%くらいのものに変更してくれるように、三島商工会議所を通して依頼しましたが、スーパー側から袋の強度に難があるという理由等で実現しませんでした。現在タンカル入りとうたっている物でも、含有率は5〜6%程度の物が多いそうです。



家庭ゴミについて

 三島市では平成12年(2000)現在、粗大ゴミは、市民が平日と毎月第1日曜日に清掃センターへ自己搬入することになっています。搬入した粗大ゴミは無料で受け入れています。
 なお、高齢者(65歳以上)、母子家庭などの自己搬入が困難な世帯には、随時電話連絡により戸別回収を実施しています。



容器包装リサイクル家電リサイクル略称)

リサイクルを呼びかけるカルタ

日本の国内での一般廃棄物のリサイクル率は10%と低く、今のままで廃棄物の埋め立てを行った場合、全国平均で平成20年(2008)ころには、埋め立て処理場がないという状態になるといわれています。

 平成9年(1997)4月から「容器包装リサイクル法」がスタートしました。平成12年(2000)現在、分別する手間は住民、中間処理は市町村、最終リサイクルは、メーカー(事業者)がやることになっていますが、メーカーには収集経費の負担はありません。しかし、ドイツでは収集経費もメーカーが負担することになっているため、メーカーは回収する容器に対して、収集しやすいように形状や収集方法などに工夫がなされているそうです。日本もこのようなシステムになれば、もっとリサイクルが進むのではないでしょうか。

 そこで平成13年(2001)4月から「家電リサイクル法」が施行されることになりました。この法律は、廃家電製品を破砕(はさい)し、鉄や銅、アルミニウム、ガラスなどの再利用できる原材料に分別して再商品化を目指すというものです。対象となる家電4品(冷蔵庫、エアコン、テレビ、洗濯機)を廃棄する消費者が、リサイクル料金を負担することになります。

リサイクル料金と法定リサイクル率は下記のようになっています。

 家電リサイクル法の対象4品目
          (経済産業省など調べ)

リサイクル料金

法廷リサイクル率(注)

冷蔵

4,600円

50%以上

エアコ

3,500円

60%以上

テレ

2,700円

55%以上

洗濯

2,400円

50%以上


 (注)リサイクル工程に入れた廃棄物の総重量と、得られた部品、原材料等の総重量の比率で表している。

これからのゴミ

ごみ削減対策3のカルタ

 ゴミは燃やしても灰が残ります。三島市の埋め立て処理場も平成22年(2010)ころには一杯になってしまいます。全国の自治体でもこれは大きな課題です。すでに埋め立てる場所がない自治体もあり、焼却灰を有料で引き取る業者さえいます。溶鉱炉(ようこうろ)のような超高温で溶かして道路の基盤材(きばんざい)などに使うそうです。しかしそのような施設を作るとなると、その地域の環境に大きな負荷がかかることになります。またこれから先、環境ホルモンなどの解明されていない部分や、未知の分野でどんな問題が出てくるか分かりません。そういうことを考えると、これからますます行政や企業、そして市民もゴミに対して責任のある取り組みをしなければならないでしょう。

 
 →あそびとまなぶ「バイリンガル環境かるた」            

尿処理場

 昭和63年(1988)に、全面改装し運転を始めた北沢にある施設は、コンピューターを備え、無臭の清潔な処理場となっています。ここでは、し尿18,000人分と浄化槽(じょうかそう)汚泥(おでい)65,000人分とを分けて処理することができます。

みしま聖苑火葬場

 平成9年(1997)8月に、三島函南広域行政組合立(こういきぎょうせいくみあいりつ)として、「みしま聖苑」を三島市字賀茂之洞(かものほら)に完成しました。

 この聖苑は、従来の火葬場のイメージを一新し、個人の終焉(しゅうえん)の場にふさわしい葬送(そうそう)環境を創り出すとともに、明るく近代的な最新の技術を集結した施設となっています。とくに火葬炉には再燃炉、電気集塵機(しゅうじんき)を備えることで無煙(むえん)無臭(むしゅう)煤煙(ばいえん)の除去を図るなど、環境に配慮した施設となっています。

 みしま聖苑は、周囲の緑豊かな自然環境との調和を図りつつ、火葬、待合、斎場の各機能を総合的に配置するとともに、斎場システムなど設備のシステム化により、地域住民にとって利便性の高い施設として、また荘厳(そうごん)な中にも(うるお)いと安らぎのある聖苑を目標に整備が図られ、人生(じんせい)終焉(しゅうえん)葬儀場(そうぎじょう)として管理運営されています。
 出典 『みしま』p.106〜p.109、『三島市誌 増補』p.162p.190

三島聖苑の全景写真
上空から見た、みしま聖苑の全景


石油コンビナート進出阻止


石油コンビナート進出阻止の幟旗
石油コンビナート進出阻止の幟旗

 昭和35年(1960)、静岡県は「第1次計画」で石油コンビナートの建設を発表しましたが、用地調整や港湾造成の予定地となった沼津市江の浦湾(えのうらわん)の漁民の反対で、翌年、“設備投資抑制政策”のため挫折(ざせつ)しました。

 昭和39年(1964)になって、三島市に「第2次計画」でコンビナートが来るということが県から持ち上がるのですが、そのころは、四日市、水島、市原の人々が“煤(ばい)煙と排水”で苦しんでいる状況でした。予定地とされた中郷地区の人々の中には、これが来たら大変だと次々に不安をつのらせていきました。

 三島市民は同年1月25日夜、三島市民懇談会を開き、話し合いました。コンビナート進出反対の理由として、(1)公害(2)三島は国立公園の玄関口、を挙(あ)げ対策を協議した結果、運動をしていくために、(1)署名を取る(2)カンパを集める(3)チラシの配布(4)四日市の視察(5)講演会を開くこと、を決めました。話し合いの中には、婦人連盟、青年団代表、商工農勤労者有志が入りました。
 1月14日に、町内会連合会が三島の将来にかかわる大問題として世論調査をすることを決めました。

 懇談会は対策協議会として運動していきますが、同年2月9日夜10時、貸し切りバス2台で四日市の公害の状況を視察に行きました。中郷地区で1台、市民で1台、同時に新聞記者などは列車で参加し、四日市保健所長から次のような貴重な話を聞きました。「一般の銭湯が60年で消費する重油を、火力発電所は1日で消費するので、森林、農産物や中郷のイチゴに害を及ぼすのは必至(ひっし)ですよ。5月6月になると“ぜん息患者”が多くなります」

 中郷の婦人は煤煙がひどいという塩田地区に行きました。「子どもは外で遊んでいなかったし、どこの家も戸を閉めきっていて、洗濯物を干していない」「魚は臭くて食べられない。この海岸は桜並木できれいだったのに。絶対に反対するように」と、元気づけられ、昼夜の強行視察でしたが、参加者の受けた強烈(きょうれつ)な印象は口から口へ伝えられ、市民の間に多くの話題を投げかけました。講演会では専門家と市民の代表が数字とスライドで訴えました。賛成派の人たちも水島に視察に行っていますが、人々を説得するには至っていません。中郷の婦人は、小学校にも報告しました。

 3月中郷地区は「土地の不売」の結論を市長に決議文として提出。三島市民だけの阻止(そし)運動では、“煤煙は来る”と心配し、沼津市、清水町と連携して運動しました。

 「風の向きは大丈夫」という国の黒川調査団の発表に対して、国立遺伝学研究所の松村調査団の数字には大きなくい違いが出ました。また、県立沼津工業高校の先生の指導のもと、高校生300人により行われた風向観測など科学的な調査も行われました。「三島は内陸型で、地形的にも悪条件で亜硫酸(ありゅうさん)ガスの影響は必至である」という、市原を視察した三島商工会議所工業部代表の調査は注目されました。「うどん店が、空が汚れていてはうどんが干せないと、カンパしてくれた。私たちも街頭に立ってカンパを求め、みんな手弁当で頑張った」と、梅名の女性は語っています。町内会連合会、婦人連盟がそれぞれ署名を取り、市民は80%を越える反対を示し、5月23日、コンビナート進出阻止三島市民大会には1,500人が参加しました。

 このようにして三島市、沼津市、清水町にまたがり計画された石油コンビナートは、昭和40年(1965)秋、進出阻止に成功しました。「公害が市民の健康と産業に悪い影響を及ぼす」と反対運動がくり広げられ、また『三島民報』などの活発な情報活動も背景にあり、「緑と森と水を守ろう」と中郷地区農民、婦人を中軸として全町内会、婦人連盟、商工農勤労者、市民層が手弁当で反対の運動をし、学習をして署名を取り、進出を防止することに成功しました。国立遺伝学研究所の松村調査団の援助もあり、「公害を事前に阻止した実例」として、この運動は全国的に高く評価され、今なお語り継がれています。

出典 『三島、沼津石油コンビナート進出阻止の住民運動』、『見えない公害との闘い』、
   『静岡県民衆の歴史を掘る』


三島市原水爆反対

昭和29年(1954)3月1日アメリカのビキニ水爆実験によって、警戒区域外にいた焼津のマグロ漁船第5福竜丸(ふくりゅうまる)が被爆(ひばく)し、乗組員全員23人が入院。やがて久保山愛吉乗組員が死亡。一方、汚染マグロが問題になり、日本人の食卓をおびやかす社会問題となって、原水爆禁止運動に発展しました。

  三島市では、山本五十六(いそろく)大将と同期の元海軍退役大佐河辺恒次をはじめ、小出正吾、山口重方、酒井郁造、池田信、松島正晴などの呼びかけによって、市議会議員、医師会、婦人会、青年団、労働組合など超党派的に結集、昭和29年(1954)9月12日「三島市原水爆反対の会」が結成されました。全国大会(注)より1年前のことです。

「3.1ビキニ水爆被災(ひさい)事件」をきっかけに、全国的に取り組まれた原水爆禁止署名は1年余の期間で、有権者の過半数にあたる3,400万人に達しました。

こうした市民の反核平和の運動を反映して三島市議会は、昭和31年(1956)から3年間続けて核実験禁止要請決議をし、昭和34年(1959)には「三島市平和都市(核非武装)宣言」を満場一致で行いました。
 活動は、被爆者救援運動を中心に、平和行進、各種募金活動などを行っています。

→  小出正吾
(注) 日本原水爆被害者団体協議会結成大会

男女共同参画社会


百人会議を主催した静岡県海外研修女性の会
「百人会議」を企画・主催した「静岡県海外研修女性の会」

憲法では個人の尊重、男女の平等がうたわれていますが、現実の社会では、議会や審議会や企業、地域社会の中で、重要なことを決定する場に女性の参画が少なく、不平等を感じる場面が多くあります。女性が各人の個性や能力を発揮できない場面も、多く存在することも事実です。


女性問題は人権問題であるという世論の高まりや少子高齢化時代の到来(とうらい)、女性の就労の促進など、社会の流れの変化、職場、学校、地域、家庭で「男は仕事、女は家庭」といった固定的性別役割分担にとらわれず、それぞれの個性と能力を発揮できるような社会づくりが必要となってきました。

国は女子差別撤廃条約(さべつてっぱいじょうやく)を昭和55年(1980)に批准(ひじゅん)、男女雇用機会均等法を昭和60年(1985)に公布、平成7年(1995)世界女性会議での「北京行動綱領(こうりょう)」の採択(さいたく)など、国内外の取り組みを経て、国内では「男女共同参画社会基本法」が平成11年(1999)に公布、施行されることになりました。

三島市では、平成8年(1996)三島市女性行動計画「みしまアクションプラン」を策定し、男女共同参画社会づくりを推進しています。市の審議会、委員会等への女性の積極的登用を図り、女性登用率30%を目標とし、また、市女性職員の管理職への登用を進めています。

さらに、各種講座、各種事業をとおして男女共同参画事業の推進に努めています。特に、三島市では他の市町村に先がけて女性史講座を開催し、その講座生を中心にして『聞き書き みしまの女性たちのあゆみ』を発刊、平成11年(1999)から3年がかりで明治生まれ編、大正生まれ編、昭和生まれ編を作成しています。

また、市民活動として平成12年(2000)には、静岡県海外研修女性の会により、男女共同参画セミナー「県東部百人会議」が三島市民生涯学習センターで開かれ、市民と議員が、男女共同参画社会実現に向けて熱心に討議(とうぎ)しました。

特定非営利活動法人(NPO法人)

 保健、福祉、国際協力、環境保全など12分野の公益的な活動を目的にする非営利団体をいい、平成10年(1998)に施行した特定非営利活動促進法(NPO法)により、申請、認証の手続きを経て法人格が与えられます。事務所を置く都道府県に定款(ていかん)(注)や事業計画書、収支予算書などを提出する必要があります。また、事務所が2つ以上の都道府県にある場合は内閣府に提出します。

 法人格を取得することで、団体としての契約が可能で、資産保有や財産管理が容易にできます。一方毎年事業報告や財産目録を提出する義務は、一般の法人同様に生じ、事務が繁雑化(はんざつか)する留意点(りゅういてん)もあります。

 平成13年(2000)現在、三島市のNPO法人は、あいあいアシスト、グラウンドワーク三島、富士山クラブ、リベラヒューマンサポート、三島体育協会、倶楽部四季遊山の6団体です。

(注) 法人の目的、組織及びその業務執行に関する基本を記載した文書

NPO:Nonprofit Organization



NPO法人富士山クラブの『バイオトイレ設置活動」
富士山クラブのバイオトイレ設置風景1
ボランティアの手により山頂に上げた杉チップ(1袋で1kg)

富士山クラブのバイオトイレ設置風景2
山頂に設置したバイオトイレの処理槽に杉チップを入れる

完成したバイオトイレと募金箱
 完成したバイオトイレと募金箱
  
  

銭湯今昔 


 戦後、三島市内に銭湯は10軒ほどありました。しかし、家庭内の風呂の普及とともに、しだいにその数は減り、平成13年(2001)10月現在、営業しているのは大正13年(1924)創業、泉町の「桜湯」1軒です。 

 「桜湯」の古谷節子さんに話を聞きました。「創業(そうぎょう)当時は木造でしたが、昭和41年(1966)にコンクリート造りの建物に改築しました。浴場の壁は、表富士、裏富士がタイルで描かれています。燃料は普段は燃し木を使い、燃料が足りなくなる冬には灯油を使うこともあるんです。お客様も年々少なくなってはいますが、若い方からお年寄りまで、1日平均50人ぐらいの方が利用しています」。

 入湯料は、平成13年(2001)現在340円です。


 

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