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三島・箱根・富士の名前が付く植物


 静岡県東部は、日本の地質構造上、東北日本と西南日本を分けるフォッサマグナ地域(注)と呼ばれる<糸魚川(いといがわ)−静岡構造線>の東側に位置し、富士山、箱根、愛鷹山、伊豆半島を含む地域には、周囲から侵入し、適応した植物群が分布しています。

 フォッサマグナ地域を特徴付ける植物は、
(かりょくじゅりん)域に分布する種が多く、フジアザミ,サンショウバラ、コメザクラ、ハコネラン、フジアカショウマ、アシタカツツジ、ハコネコメツツジ、フジハタザオ、フジオトギリなどがあります。

(注) 昭和24年(1949)前川文夫博士によって植物分布上特有な植物が生育する地域として名付けられた。


フジアザミ(キク科)

フジアザミの絵 
 アザミの仲間では最大のもので、根は太く横に伸び、葉は大きく広がり、草丈1mにも達することがあります。9月ごろ、その頂
(いただき)に直径10cmもある大きな頭状花(とうじょうか)を付けるさまは、アザミの王の風格があり、富士山にもよく似合っています。








ハコネサンショウバラ(バラ科)

ハコネサンショウバラのイラスト 
 サンショウに似た樹形や葉をもつバラという意味で、名付けられました。

 バラ科では、世界で最も大きくなる幹をもち、高さ6mにも達するものもあります。6月の梅雨ごろから咲き始め、直系5〜6cmで淡紅色の大形の花は花弁5枚、まさにバラの王様と言えます。

→  みしま花ごよみ
出典 『箱根の植物』


ミシマザクラ(バラ科)

三島ざくらの写真

三島市の花、ミシマザクラ


 ミシマザクラは、国立遺伝学研究所(以下、遺伝研)の竹中要
(よう)博士がソメイヨシノ(染井吉野)の起源を明らかにする研究中の過程で生まれたものです。

 花はわずかに赤みを帯びた白色で、オオシマザクラ(大島桜:花は白色で、伊豆七島や伊豆半島に多く見られます)に似ています。これはソメイヨシノがオオシマザクラとエドヒガン(江戸彼岸:花は微紅色。国内に有名な古木、巨木、たとえば盛岡市の石割
(いしわり)ザクラなどがあります)との交配(こうはい)により生まれているので、花はオオシマザクラに似たと思われます。

 この花は三島で生まれ、三島市の市制30周年(昭和46年、1971)を記念して、「市の花」に指定されました。

 ミシマザクラは三嶋大社境内、神門前
(しんもんまえ)の参道沿いに植えられています。また遺伝研では、一般公開日(毎年4月、日時は新聞、ホームページで発表)に見ることができます。遺伝研には多種類のサクラがあり、ミシマザクラの木には、「No.230」の木札が掛かっています。           

  国立遺伝学研究所
出典 『遺伝研の桜』


竹中 要(たけなか よう)

竹中要の写真
ミシマザクラを生んだ 
植物学者


明治36年〜昭和41年
(1903〜1966)





 国立遺伝学研究所において、多くの業績を残した竹中要博士は、明治36年(1903)兵庫県に生まれ、昭和2年(1927)東京帝国大学(現、東京大学)理学部を卒業。昭和24年(1949)4月、三島市に国立遺伝学研究所設立のときに、同研究所の細胞遺伝部長に就任しました。

 ソメイヨシノの種の起源の研究中に、ミシマザクラが生まれました。博士はサクラのみならずアサガオ、イネ属、あるいはタバコの植物癌などの研究にも専念し、特にアサガオの研究では、昭和29年(1954)の国際シンポジウムで多くの外国人研究者の称賛を得ました。

 ミシマザクラは、三島市の新庁舎の竣工
(しゅんこう)記念に、市民からの公募により三島市の花として制定されました。三島をこよなく愛した竹中博士の功績をたたえる市民の気持ちの現(あらわ)れでしょう。

 昭和40年(1965)市の新町名施行(しこう)時には、竹中博士のサクラを記念して、「桜ヶ丘」が生まれ、毎年春には桜まつりが開かれています。

 研究所内で語り継がれる思い出話も多く、竹中博士は学者タイプではなく、庶民的で気楽なオジサンという感じで、相当な酒豪
(しゅごう)で有名であったということです。また博士は三島の人かと聞かれると、「私は三島の産ではないが、現在三島に住んでいるのだから、当然三島の氏子(うじこ)だろう」と答えたなどの話があります。

 竹中博士は、ユーモアあふれる人情の厚い人としてしのばれ、残された業績は大変に尊いものとして語り継がれています。昭和41年(1966)には勲3等旭日中綬章の栄に輝きました。

出典 『三島市誌 増補』p.1197


ミシマサイコ(セリ科)

 ミシマサイコのイラスト
 高さ30〜130cm、葉は単葉で細長くて硬く、8〜10月に、黄色の小さい花が咲きます。日当たりのよい、草原などにみられる多年草で、かつて三島地方に多産し、根を乾燥させて良質の漢方薬としたことから、三島柴胡
(さいこ)という名が付けられました。解熱(げねつ)、鎮痛(ちんつう)、抗(こう)炎症(えんしょう)、肝臓(かんぞう)機能(きのう)障害にもよいとされ、江戸時代には三島のみやげとして、広く知られていました。近年三島周辺でほとんど見られなくなり、薬品としては関東以西の地方で栽培されたものが用いられています。



ミシマバイカモ(キンポウゲ科)


 ミシマバイカモは冷たい清流の中だけに育つ多年生(たねんせい)水生植物です。昭和5年(1930)楽寿園の小浜池でミシマバイカモの写真発見されました。糸のように細裂(さいれつ)した沈水葉を持ち、直径1〜1.5cmほどのウメに似た白い可憐(かれん)な花を水中や水面に咲かせます。バイカモの類は国内に広く分布しますが、ミシマバイカモは水面近くつける手のひら型の浮葉に特徴があります。花はほとんど一年中見られますが、5月〜9月に多く咲きます。昭和35年(1960)ころまでは市内の川や湧水池に自生していましたが、湧水の減少により絶滅してしまいました。

 平成7年(1995)に「三島ゆうすい会」、「グラウンドワーク三島」が「柿田川みどりのトラスト」の協力を得て、清水町柿田川に自生するミシマバイカモを「三島梅花藻の里」に移植し、市内の河川に再びよみがえらせました。三島梅花藻の里では、1年を通じて、ミシマバイカモの花を見ることができます。

現在では、多くの市民、行政、企業の協力により、増えたミシマバイカモを源兵衛川などに移植しています。


 三島梅花藻の里


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