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三島(よ)んだ 俳句(はいく)



俳句1

俳句2

三嶋大社の鹿  




 三嶋大社の鹿




 
みた こじょう 昭和4年〜昭和57年(1929〜1982)


 三島市松本に生まれる。農業を営む傍ら、昭和35年(1960)「壁」主宰萩原麦草門下生となり翌年同人、同年新人賞受賞。昭和37年(1962)「氷海」主宰秋元不死男に師事、昭和49年(1974)「氷海」同人の賞第8回星恋賞受賞。同年俳人協会会員に推挙された。俳壇での活躍と並行し、地元三島市民俳句会の指導者とし、弟子の育成に尽力を注いでいたが、昭和57年(1982)、47歳の若さで急逝。




 なかがわ そうえん 明治40年〜昭和59年(1907〜1984)


 台湾生まれ。一高(現、東京大学)在学中より俳号
「朧且」俳句に親しむ。東京帝国大学国文科在学中には日本文学のみならず西洋文学、音楽にも傾倒。卒業論文は芭蕉「猿蓑」。同時に諸方の禅会に通い、昭和6年(1931)
得度。同年「雲母」主宰飯田蛇忽に師事。昭和26年(1951)
龍澤寺第十世として晋山。海外布教も精力的に修め、国内外での強い信望を集めた。77歳で逝去。




 たきのもと れんすい 天保3年〜明治32年(1832〜1899)

 三島伊豆佐野村の名主、勝俣家の長男として誕生。27歳で家を継ぎ、村民の信望も厚かったという。江戸末期から明治にかけての地方俳諧全盛期に、俳人として活躍。高名な沼津の俳人、種玉庵連山に師事。自宅の裏山に滝があったことから、滝の本と称した。広く名声を得てからは、各地から俳人をはじめ、書家、画家が連水のもとに滞在していた。



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