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身近な美術作品

 三島市民文化会館、三島市民生涯学習センターなどの公共施設や三島のまちで、身近に鑑賞できる美術作品が数多くあります。


三島市民文化会館

  ロビーなどには、三島の美術文化の振興のために活躍された方々、三島市主催、美術展審査員の作品が展示されています。


作品種類

タイトル

作 者

日本画

『富士山』

下田 舜堂

『柏槙』

古口 弥生

『十二月』

森井 三千枝

『波丘』

秋本 三歩

油彩画

『工場』

芹沢 晋吾

『白い水牛』

大沼 貞夫

『城ヶ崎風景』

中茎 幸治

『野寒布夕照』

小池 タケシ

水彩画

『梅林』

西村 進

『忍野の春』

原田 幸夫

彫刻

『ケンタウロス』

下山  昇

工芸

『青磁大壷』

遠藤 春雄

七宝額絵 『街』 

遠藤 依子

『樹』

阪野 杜紫

『蕭兵曹に送る』

大武 高葉

『西行のうた』

土屋 祥香

写真

『清流の辺』

矢部 健

『決勝点』

秋山 文夫

『風』

山本 昇平

『夕暮れの頃』

市川 康夫

 
絵画 波丘
 『城ヶ崎風景』
  中茎 幸治
 
  『白い水牛』
   大沼 貞夫
絵画 白い水牛
   『青磁大壷』
     遠藤 春雄
陶芸 青磁大壺
        
書 樹
  『樹』
    坂野 杜紫
   

その他の作品 

作品種類

タイトル

作 者

リトグラフ

パリの風景6点

ベルナール・ビュフェ

フレスコ画

『旭日三島賛歌』

絹谷 幸二

彫刻

『シャツを脱ぐ水浴の乙女』

オーギュスト・ロダン



三島市民生涯学習センター

 せせらぎのある前庭には彫刻があり、建物のそれぞれの階には、絵画を中心とした作品が展示されています。

前 庭

作品種類

タイトル

作 者

彫刻

『永遠』

下山 昇


2 階

作品種類

タイトル

作 者

日本画

『風景』

高梨 勝瀞

『春』

油彩画

『スペイン風景』

芹沢 晋吾

『農夫』

『屠殺者』

『月と芋畑』

細井 繁誠

『裸婦』

『風景』

杉本 英一

『絵画教室』


                『絵画教室』
『農夫』
絵画 農夫
『月と芋畑』
絵画 月と芋畑
絵画 絵画教室

3 階

作品種類

タイトル

作 者

日本画

『四季彩映』

木村 圭吾

絵画 四季彩映

4 階

市民の方々の作品(非常設)

5 階

作品種類

タイトル

作 者

油彩画

『薔薇園』

中田 邦子


蓮 沼 川(宮さんの川)

彫刻のある散歩みち

作品種類

タイトル

作 者

彫刻

『時の流れ』

堤  直美

『絆』

山田 收

『水の精』

下山 昇

彫刻 時の流れ 彫刻 絆
       『時の流れ』              『絆』



 蓮沼川、別名・宮さんの川辺にはその他、ガス灯風の街灯、手作り水車、手作り漏剋(ろうこく)(飛鳥時代の水時計)が置かれています



佐野美術館初代館長

下田 舜堂
(しもだしゅんどう

  日本画家
  明治32年〜平成元年
 (1899〜1989)
下田舜堂の写真

 鮮やかな構図と色彩の絵画を多く残し、また地域の文化振興にも大変貢献しました。『小浜池』『朝焼けの富士』は市の文化財になっています。
 三島市芝本町の旧家に生まれ、旧制沼津中学より東京美術学校(現、東京芸術大学)日本画本科に3番の成績で入学。また3番で卒業し、卒業制作の作品は学校で買い上げられました。昭和3年(1928)、帝展(現、日展)に入選しました。
 昭和11年(1936)より大妻女子専門学校(現、大妻女子大)で、教授を務めました。戦時中生徒たちが特攻兵器工場に動員され、引率長となったとき、将校から生徒の夜勤を命じられましたが、強くこれを拒否しました。その後夜間に工場は爆撃されたので結果として、生徒たちを守れたのです。
 戦後は三島に戻り、沼津精華高校で教えながら、地域文化のために活躍しました。三島文化協会設立に参加し、五所平之助の後を受けて会長になり、
また昭和41年(1966)、佐野美術館の初代館長になりました。その後三島市民文化会議議長なども務め、「三島市市政功労者」表彰や「静岡県教育学術文化功労賞」を受賞しました。
 独自の墨絵描法を考案し、多くの人たちに感動を率直に表現すること、スケッチしてから墨の濃淡で自由に描く方法を伝授しました。優れた後進たちがそれを継承し、描く楽しさを伝えています。
 平成元年(1989)、90歳で永眠しました。



仏像から現代彫刻まで

下山 昇
(しもやまのぼる)

 彫刻家
 昭和18年(1943)生まれ
下山昇の写真

 三島市出身。韮山高校卒業後、東京で和田金剛に師事し、彫刻の道へ。昭和42年(1967)日展に初入選以後、15回連続入選をしています。
 西小学校、向山小学校、国立遺伝学研究所の肖像レリーフ、三島市役所、三島市民生涯学習センターの記念像など、市内随所で作品が見られます。
 また市内のみならず、各地の寺などにも大作が収められています。神奈川県伊勢原市
龍散寺(りゅうさんじ)にある「伊勢原聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」は、制作に7年を費やした高さ3.5m直径2mのいちぼく一木彫りです。制作中は近所の子供たちが周りで遊び、またお年寄りが、未完成の像にお参りに来ました。「このことは精神的な支えと励みになり、彫り進んでいく瞬間がうれしく、自分が存在している幸福感を味わうことができた」と当時をふりかえります。
 東京都大田区の萬福寺にある梶原景時(かじわらかげとき)像は、石橋山合戦で、源頼朝を助ける場面のものです。時代考証を重ね、自分の感性を注ぎ込んで像の具体案を決定しました。この像の写真は出版物に用いられ、代表的な景時像として認められています。
 現在三島市在住。弟子は取らず1人で制作する毎日です。アトリエの片隅にある小さなレリーフは、母校韮山高校野球部の甲子園出場記念として、選手たちにプレゼントしたものです。もともとスポーツマンであった作者の、後輩に寄せる思いが伝わってきます。

『ケンタウロス』
彫刻 ケンタウロス



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