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にぎわい

春のみどりまつり

みどりまつりのようす緑豊かな街づくりに向け、各家庭に多くの緑を植え、快い生活環境づくりの推進を図るため、毎年春と秋の2回「みどりまつり」が長伏(ながぶせ)公園で行われます。実行委員会に参加している市内外の植木屋さんや花屋さんが、出品の競り市(せりいち)、やさしい木の植え方などの花と緑のミニ講習会が行われ、植木・草花・園芸資材を求める人で会場は一杯になります。競り市の売上金はグリーンバンクに寄付されます。

春の開催日  4月第1土・日曜日

秋の開催日 10月第3土・日曜日


フェスタ大場川(だいばがわ)

毎年5月3日、大場川にかかる新町橋、うるおい橋、やすらぎ橋付近の親水公園を会場として行われます。川を横断して飾られた鯉のぼりがはためく下で、コンサート、子供シャギリ、フリーマーケット、アユの放流、アユやアマゴのつかみ取り、アマゴ釣り、餅まきなどの他、ゴムボートでの川下りが行われ人気となっています。また、近くの自治会の出店による各種の模擬店(もぎてん)の前には、市民が列を作ってにぎわいます。

山中城(やまなかじょう)祭り

山中城まつりでの合戦のもよう毎年5月の第3日曜日に山中城跡公園で行われます。当日JR三島駅から城跡公園前までシャトルバスが往復し、車中でボランティアの三島市ふるさとガイドの会が山中城の歴史などを説明します。

 広い会場を使って、山中城音頭、農兵節、三島囃子、笹原太鼓の演奏などの披露や凧揚げ教室、竹細工教室、ウォークラリー、山かご体験など多彩な催しがあります。また、箱根西麓(はこねせいろく)特産の野菜をふんだんに使った「雲助鍋(くもすけなべ)」が無料で振舞われ大好評です。祭りはまた、山中城一周クイズなどで歩きながら、山中城の姿を想い浮かべ、戦国時代にタイムスリップしてみるのも楽しみの1つとなっています。

 多彩なイベントの中での一番人気は、戦国絵巻模擬(もぎ)合戦で戦国時代の勇壮な合戦絵巻を再現した「山中城悲話」です。約400年前に北条、豊臣両軍が繰り広げた同城の攻防戦(こうぼうせん)をもとに物語化されたものを、地元坂地区の住民とプロの時代劇役者らの約60人が出演。大勢の観客が見守る中、兜(よろい)や鎧(かぶと)で身を固めた武将らが、刀を手に激しい立ち回りを演じます。

平成12年(2000)5月21日、伊豆新世紀創造祭の一環として行われた山中城祭りは、好天に恵まれ約2万人の家族連れでにぎわいました。


山中城祭りはいつから?  

     三島市は、本城を史跡公園として公開するため、昭和48年(1973)から、発掘・環境整備事業を続け、10年後の昭和57年(1982)の第10次発掘調査を終了しました。この年第1回山中城祭りが開催され、多くの市民が公園に集(つど)いました。



大通り商店街まつり

毎年5月5日、広小路踏切から県道三島裾野線大社町西交差点間の市内メーン通りを、正午から午後5時まで歩行者天国にして行っています。地元商店街のワゴンセールを始め、三島名物うまいもの市、青空野菜市場、竹細工などの子供の手作りコーナーや落書きコーナー、ライブコンサート、ストリートギャラリーなど、各種イベントで一杯です。また、三島名物のうなぎをアピールし、町おこしにと始めた「うなぎ料理コンクール」や「うなぎ横丁」も好評です。

 平成12年(2000)の伊豆新世紀創造祭の一環として、スケールアップして行われた大祭では、「食」と「アート」をテーマにしたイベントが多彩に繰り広げられ、大通りは終日大勢の市民で埋まりました。


富士登山道開山式

開山式での農兵節披露
富士山開山式での農兵節

毎年7月1日、富士山のお山開きにあわせて、富士登山者の安全と三島への来遊客増加を祈願する「富士登山道(三島・須山口)開山式」が、JR三島駅南口で行われます。当日は農兵節や太鼓が披露(ひろう)されます。

 古くは浅間神社(せんげんじんじゃ)(芝本町)を出発点とする表登山道として栄えた道で、山頂までの最短コースとなっています。7月1日〜8月31日の夏山登山の期間中、JR三島駅と新5合目を結ぶバスが運行され、たくさんの登山客でにぎわいます。

 出典 『みずべのうた 9号』


 

水と蛍と福祉祭り

ホタルの光跡 スローガン「よみがえれ清流、ホタルの飛び交う街、心のふれあう夢ある街」を掲げ、三島市内各種団体が参加して毎年5月下旬〜6月上旬に開かれます。三島市は市街地にホタルが生息し、日本でもっとも早い時期に発生します。
 この祭りの開催の目的は次のとおりです。

1 ホタルの飛び交う清流を取り戻し維持する

2 私たちの住むこの街の素晴らしい水辺環境を維持しPRする 
              
3イベントを通して三島市街周辺地域の商業振興をはかる


4 未来ある子供たちや心身に障害を持つ子供たちに夢のある事業を行う

5 福祉の関係者と一般市民との交流を通じて新しい認識や接点を探す

6 参加団体の相互協力の強化とこれをきっかけとした新しい交流

祭りはホタル鑑賞期間の初日に行われ、源兵衛川西側通りと笑栄通りが歩行者天国となり、各種イベントや夜店など新しいにぎわいを創出し、毎年多くの市民や観光客が参加して、ホタルを鑑賞しながら楽しい交流を持っています。


水まつりと灯籠(とうろう)流し  

灯籠流しのようす 毎年7月15、16日の浅間神社の祭典と合わせ、一番町の白滝公園を会場に「水まつり」が行われます。15日の夕方から、水に感謝する神事に続き、子供シャギリや農兵節が披露され、カラオケ大会も行われます。

 16日には、午後7時から9時まで盆の行事でもある「灯籠流し」(仏教会主催)が行われます。それぞれの家庭から持ち寄った灯籠のろうそくに灯を付けて、人々は合掌(がっしょう)して公園脇を流れる桜川に浮かべます。色とりどりに列をなして流れる灯籠が、夜の桜川を彩(いろど)り、かき氷、冷やしラムネ、金魚すくいなど涼しさを呼ぶ夜店も出てにぎわいます。


門前町(もんぜんまち)下田街道(しもだかいどう)祭り

東本町1丁目にある言成地蔵尊(いいなりじぞうそん)の縁日に合わせ、毎年9月23日に、旧下田街道の三嶋大社前信号から言成地蔵尊前信号の間は歩行者天国になります。祭りのイベントとして、お手討ちになった小菊を偲(しの)んでの講談「小菊物語」をはじめ、三島御輿(みこし)、三島太鼓、三島囃子(ばやし)、子供マーチングバンド、音楽横町などが行われ、多くの模擬店(もぎてん)も出てにぎわいます。


街角(まちかど)ウォッチングA

南見付(みなみみつけ)の橋石(はしいし)

写真 左側の石
南見付の橋石

言成地蔵尊のお堂右前に、表面が平らで縦2m横60cmの細長い大きな石が置かれています。その横には言成地蔵の由来が書かれている掲示板があります。裏面にはこの石(橋石)の由来記が次のように書かれています。

 「この橋は元和(げんな)8年(1622)徳川二代将軍秀忠の時代に町役人鈴木権衛門が南見付(現在地の当時の呼称)、桜川の橋石として使用したものです。その後文政5年(1822)十一代将軍家斉(いえなり)の時代に見付橋の架けかえが行われ、昭和年代まで存続していました」



きたうえ友遊(ゆうゆう)まつり

きたうえ友遊まつりこれまで「きたうえ友遊まつり」は、八乙女(やおとめ)神社の祭典と一緒に行われてきましたが、平成12年(2000)から、主催する徳倉商工振興会青年部の発案で、9月最終の日曜日に行われます。“ちょっくらおもしれ〜で夢いっぴゃあ”のキャッチフレーズで、投げ菓子、卵つかみ大会、じゃんけん大会、木工工作、野菜即売会、グラウンドゴルフ、屋台村に三島サンバ、子供シャギリなど“うんとたんとおもしれ〜”イベントが目白押しです。

 中でも「徳倉商工会めぐり」は、お客様に地元商店街をよく知ってもらい活用していただく祭りの趣旨に合わせ、工夫された催しです。商工会に加盟する47店舗を7グループに分けて、各グループのお店を訪ねて7個以上スタンプを集めると、祭り当日にすてきな商品がもらえるそうです。“あめがふってもやっているから、きをつけてきにゃん!”のキャッチフレーズも楽しく、主催者側の心意気が感じられます。


大通り宿場まつり

大通り宿場まつり春の商店街まつりに対応して、毎年11月3日、三島広小路駅踏切〜大社町西交差点間の市内メーン通りを、11時から16時まで歩行者天国にして行われます。東西の入口には木戸口が設けられ、江戸時代に宿場町として栄えた三島にタイムスリップして、楽しんでもらうイベントが用意されています。講談、落語、俗曲(ぞっきょく)(注)などを聞かせる三島宿寄席、伝統芸能である農兵節踊りやシャギリの披露、尺八や琴の演奏のほかに、商店街のワゴンセール、三島名物うまいもの市、青空野菜市場、ちびっこ広場などが行われ、終日大勢の人でにぎわいます。
      

(注) 三味線などに会わせて歌う通俗的な歌曲。都都逸(どどいつ)や、さのさなどの類



市民すこやかふれあいまつり

市民すこやかふれあいまつり

毎年11月の第1日曜日か第2日曜日に三島市民体育館で開催され、障害者の作品展示と販売、福祉関連器具の展示、健康体操、健康診断などが行われます。体育館前の広場にはテントが張られ、やきとり、やきそば、おでん、おしる粉など模擬店が出て終日にぎわいます。


農業祭

 谷田にあるJA三島函南本店を会場に、11月中旬〜12月初旬の土曜日に毎年行われ、にぎわいます。農作物品評会、餅まき、大根や白菜などの野菜即売、模擬店、牛の乳搾り(ちちしぼり)体験など楽しい催しがあります。また、市内の児童を対象に募集した絵と習字の展覧会も行われます。


箱根の里まつり

箱根の里まつり「冬の1日、楽しく過ごしてみませんか」の呼びかけのもと、毎年12月第3日曜日に「三島市立箱根の里」の施設を使って行われる祭りです。箱根西麓の中腹にある広い敷地でのオリエンテーリング大会をメーンに、プラネタリウム、餅つき、ミニ門松やお飾り作りなどのイベントと、やきそば、豚汁、野菜市などの出店もあります。ちょっと風流なところでは、野点(のだて)が行われます。終日、大勢の家族連れでにぎわいます。


市民除夜祭

広小路町にある三石神社の「時の鐘」で行います。毎年12月31日の大晦日(おおみそか)、午後11時より先着108人の方が順番に平和の祈りを込めて鐘を打ちます。来場者には甘酒が振舞われます。


伊豆新世紀創造祭

新世紀創造祭「チェンジ伊豆2000」を合言葉に、平成11年(1999)12月31日〜平成13年(2001)1月1日の間、伊豆の各地の市町村で多彩なイベントが展開されました。三島市でも「大通り商店街祭り」や「山中城祭り」など、毎年行っているにぎわいイベントを創造祭の一環として、催しを拡大して行いました。

 また、旧東海道石畳ウォーキングコースを紹介するリーフレット「三島夢街道」を創造祭実行委員会が作り、合わせて、JR三島駅から箱根峠元箱根間の割安バス乗車券を発行し、PR活動につとめました。マスコットキャラクターの「イズノスケ」グッズは、「だんご3兄弟」で有名な伊豆出身のイラストレーターのデザインで、なんと100種類以上作られ、「チェンジ伊豆2000」期間中だけのレア物として、人気を集めました。


東海道四○○年祭大宿場まつり

静岡県内のトップをきって、平成13年(2001)3月18、19、20日の3日間、大通り商店街、三嶋大社、楽寿園などの中心市街地を会場に「東海道四○○年祭大宿場まつり」が開かれました

 平成13年(2001)は、江戸時代に東海道が整備されてから400年。静岡県内各地で多彩な催しが開催されます。三島では「道の持つ歴史、文化を活かして、皆が主役。21世紀に輝く自慢できる町づくり」を目的に、かつて東海道5大宿(注)の1つと呼ばれた三島に、広範(こうはん)な交流や集いの舞台を用意して、往時のにぎわいを再現しました

 イベントとして、全国に発信し公募した「三島茶碗全国陶芸作品展」をはじめ、「着物物語、東海道400年祭着物ショー」、「企画展『三島宿』展」、「天空の響き 東儀秀樹(とうぎひでき)コンサート」などが行われました。

また東海道沿線や県内各地の特産品、おいしいものを大集合させ、各地のお国自慢や伝統芸能が日替わりで行われた「東海道見世小路」、「東海道食彩広場」や「きもの再発見館」「みしまノスタルジック館」などイベントゾーンが設けられ人出を呼びました。


(注) 品川、小田原、三島、府中(静岡)、桑名が5大宿と言われ、旅人で大変にぎわった所です。

イベント・バリアフリーにチャレンジ

バリアフリーにチャレンジ 人にやさしい街づくり(ハートビル法の施行)を目指して、三島市では、この2つのイベントの中で次の取り組みを行いました。

 
 イベント会場の3カ所に「よろず案内・ヘルプ ステーション」と表した案内所を設け、誰もがイベントに参加し、楽しんでもらうための会場サポートを行いました。また、障害者対応トイレ、ベビーベッドルーム、駐車場などのアプローチの案内表示や車道と歩道の間の段差解消などに取り組み、小さな1歩を踏み出しました。



竹倉(たけくら)温泉

 錦田の竹倉温泉には、昭和11年(1936)ころから、開業を始めた3軒の温泉旅館があります。

泉質(せんしつ):単純/鉄泉(弱酸性)

効能:リュウマチ性疾患、神経痛、腰痛、婦人病などに良く効くといわれています。   

その中の1軒、錦昌館
(きんしょうかん)の若女将・勝又ちづ子さんにお話を伺いました。

「鉄分の多い赤茶色を帯びたお湯はやや熱めに沸かしてありますので、冬場などはいつまでも体がぽかぽかとして湯冷めしにくいお風呂です。昔は、近隣の農家の人たちが農閑期(のうかんき)に体を休めに来たりしていました。子供のころ、お婆ちゃんや、お母さんに連れられてきたことのある方が、今ご自分が母親の年になって体を休めたいなと思ってとお見えになる場合もあります。また、駅から車で20分くらいですので、会社の出張や、工事現場の仕事で滞在する方もいらっしゃいます。そのような滞在型のお客様には、ビジネス料金でお泊まりいただけますのでご相談ください。また地元の方や、お忙しい方には、今流行の日帰り入浴もお勧めです」

〔竹倉温泉〕 普通宿泊料金・1泊6,500円〜8,500円(朝夕2食付き最低料金)・日帰り入浴・9:00〜16:00 1,200円〜1,300円(大広間での休憩自由)

*詳細は各旅館にお問い合わせください。

錦昌館055-975-3433、みなくち荘055−975−3791、伯日荘055-975-3533

街角ウォッチングB
 

          クラシックな洋風建築の家


クラシックな洋風建築の家
本町のツバメタクシーの真裏に、旧池田病院の建物があります。住んでいる人にお聞きしたら、大正7〜8年(1918〜1919)に建てられたそうで、玄関、ドアや窓は改築してありますが、2階建ての木造建築で、建物全体が水色の美しい容姿の家で「町中でよく残っていた」との感に打たれました。この家のブロック塀(へい)の下部に「国庁址」と書かれた石碑がはまっています。


静岡県営三島競馬場跡

県営三島競馬場は、昭和13年(1938)5月に第1回公認競馬を開催しました。戦時の鍛練馬(たんれんば)育成の名目(めいもく)もあって、県の認可を取ることができました。場所は現在の長泉町竹原区のグラウンドを中心にして、馬場は幅50mで1,200mのコースを取り、階段式の大きな観覧席を持つ立派な施設でした。

 昭和18年(1943)ころから戦争が激化し競馬の開催が不可能になり、コースの外側は非農家の甘藷(さつまいも)栽培に無料で貸し出されました。昭和20年(1945)7月17日の沼津空襲の折、競馬場にも焼夷弾(しょういだん)(注)が投下され観覧席が全焼してしまいました。

 戦後、昭和22年(1947)に規模を縮小して競馬場が再建されましたが、娯楽のない時代であったことやインフレの波に乗って盛大に行われました。しかし、公認でありましたが、施設面や交通面で他の競馬場に見劣りすることなどから次第に業績が悪化し、昭和31年(1956)についに廃止されてしまいました。


(注) 都市、森林、家屋などを焼き払うために落とされた爆弾
出典 『長泉町竹原区誌』p.180



街角(まちかど)ウォッチングC

木戸口(きどぐち)と菰池(こもいけ)

木戸口の写真毎年、春秋に行われている「大通り商店街まつり」。旧東海道の大通りを歩行者天国として、その東西の入口に木戸口が置かれ、通りのあちこちに飾られた三島宿ののれんと共に、情緒(じょうちょ)を醸(かも)し出しています。

かつての三島の東境は、新町橋がかかる神川(かんがわ)(現、大場川)で、江戸から下って三島宿の最初の町は新町(現、日の出町)でした。新町側の宿場境には、枡形(ますがた)(注)が設置されていました。石塁(せきるい)を組み、そこに木戸を立てて、明け暮れの六つ時には開閉したそうです。同様に、西境の千貫樋(せんがんどい)のかかる境川、それにかかる橋が境川橋で、桝形が設置され木戸が置かれました。また、新町の木戸口近くには、処刑された罪人の首がさらされていたそうです。江戸時代の処刑場は、そこから更に北の方、現在のJR三島駅新幹線の引込み線辺りにあり、そこで処刑された罪人は、菰(こも)で包まれ、菰池に運ばれ洗われ、首だけが新町に運ばれさらし首となったようです。菰池の名もそこから付けられたものと言われています。

(注)  城の一の門から二の門との間の広く平らな正方形または長方形の地。
出典 『郷土資料館シリーズ22』、沼上城山さん(日の出町) 談

街角ウォッチングD

中央町界(ちゅうおうちょうかい)わいの町屋(まちや)

丸平金物店の蔵造りの家
中央町界わいの町屋

昭和40年(1965)の町名変更まで、久保町と言われた地域の町屋(通りに面し建つ建物のこと)を訪ねてみました。

 この地域では江戸時代の昔から問屋場(といやば)もあって三島の中心地として栄えた場所で、明暦元年(1665)創業の伊伝、文化13年(1816)の山城屋、天保13年(1842)の吉田屋、文久4年(1864)の扇屋本店を始め、創業100年以上の老舗(しにせ)を10数軒数えます。また、アーケードの屋根で少し見にくくなっていますが、モルタル塗りの「看板建築」の名残を止めるお店を何軒か見ることができます。代表的なものは、今はニュースターパチンコ店となっている旧丸屋呉服店の建物です。

建物の古さでは、北側の通りに面し、左の角から3軒目の「丸平金物店」で、木造の上に土を塗った蔵造りと思われる建築様式で、なまこ壁の蔵とともに歴史を感じさせます。店内の中央に黒光りをした大黒柱、その横に戦前から使っていた年代物の金銭登録機や、踏み台に使われている銭箱などお宝を見ることができます。

 この通りのホテルアリストから西に2軒目の「梅月堂(ばいげつどう」菓子屋は、かんがい用水路として、源兵衛川を造った寺尾源兵衛を先祖に持つ家で、左甚五郎(ひだりじんごろう)の花押(かおう)のある大黒像を神棚に祀ってあります。さらにそこから2軒目の電化製品を扱う「渡辺商店」は明治18年(1885)の創業ですが、家屋敷の構えはそれ以前より古い物のようで表通りから裏通りに抜けている細長い屋敷の中に、先ず店があり、土間続きの店の裏に蔵があり、屋敷神の稲荷社を祀ってある中庭があり奥に隠居所という造りになっています。なお、蔵には盗人が穴をあけたときに、上から砂が落ちてきて穴を塞(ふさ)いでしまうなど、いろいろな細工がされているようです。

渡辺商店の枯山水の庭
渡辺商店の枯山水の庭

この筋向かいの南側は「熊沢糸店」で、創業は明治10年(1877)ころ、店内には大正時代の看板や古い柱時計が歴史をしのばせます。昔の屋号は市を○で囲み「まるいち」と称し、大変繁盛したお店のようで、薬を販売した看板も残っています。店の奥の中庭の中央の辺りに、西から東に水路の跡が見えます。昭和30年(1955)代には、まだ清らかな水が流れており、ご主人に聞くと夏はスイカを冷やした思い出があるそうですが、江戸時代の三島宿の絵図にも御殿川から分流され、桜川に落ちる水路が書かれています。昔から水を巧みに利用した三島の姿を垣間見ることができます。

さらに東に歩くと、兎月園(とげつえん)などの駐車場の隣に「ヨシカワ商店」があります。今はボタン、糸、婦人洋品の店ですが昔は絹物を扱っていた呉服屋で、三島の養蚕(ようさん)産業の衰退とともにその扱いをやめたそうです。第2次世界大戦中は突然軍隊の要請で立ち退きを命じられ、建物が壊されてしまい、戦後店を建て直しましたが、店の西側に大きな断層があり苦労したそうです。店の裏には昭和5年(1930)の伊豆地震以降建てたコンクリート造りの蔵があり、当時としては大変珍しがられたそうです。屋根瓦(がわら)に沼津の殿様であった水野家の家紋が付いています。

昔のヨシカワ商店
昔のヨシカワ商店



街角ウォッチングE

大場駅(だいばえき)周辺を探る

大場駅周辺を探る伊豆箱根鉄道駿豆線の大場駅周辺の商店街は、古くからこの地方の商工業の中心地としてにぎわいました。昭和40年代に熱函(ねつかん)道路が開通し、道路沿いに広い駐車場を持った新しい商店街が生まれ、その影響を大きく受けています。地元商店街(大場商工会)では、駅前立地を生かし「便利で楽しいコミュニケーションタウン」のテーマのもとに、活性化に向けさまざまな取り組みが行われています。

 この駅周辺での最近の話題の中心は、平成13年(2001)にこの大場の地に移転する県立三島南高等学校のことでしょう。通学時の混雑(こんざつ)緩和(かんわ)のため、大場駅東口が通学時のみ利用できます。なお、平成11年(1999)の大場駅の利用者数は、駿豆線沿線では、三島駅、修善寺駅、伊豆長岡駅に続き4番目となっています。ところで、学校が建つ以前、田んぼであった土地は、この地域の人たちが「苗場(なえば)」と呼んだ共同(きょうどう)苗代(なわしろ)の場所だったそうです。この地で学んだ生徒がすくすく育つといいですね。

 大場駅下りホームの東側に県営住宅コーポラス大場が建っていますが、ここに昭和52年(1977)まで、森永製菓椛蜿鼾H場があり、昭和19年(1944)に日本で第1号のペニシリンが生産されています。また、現在、伊豆箱根鉄道(株)の本社のところに、クジラの皮を主体に軍靴(ぐんか)や革製品を製造する共立水産工業(株)の工場が、昭和15年(1940)〜昭和28年(1953)の間、操業していました。最盛期には700人を超える人が働いていたそうです。

 大場駅の改札口を出てすぐ斜めの道を入ると、和菓子屋があります。ここの豆大福は中のあんこの塩味が効いていて、大変おいしいと評判です。右角には肉屋があります。1枚30円のコロッケがジューシーで、若い人たちはおやつとして食べています。すぐ傍に豆腐(とうふ)店があります。今でも鐘を鳴らして行商しています。旧下田街道に入り、右側2軒目は鍛冶屋です。三島市ではただ1軒残っていた鍛冶屋ですが、ご主人の高田芳雄さんに聞くと、もう辞めるとのことでした。

最後の鍛冶屋
最後の鍛冶屋さん


 大場踏切周辺の函南役場への道は、北が三島市、南が函南町と境目になっていますが、旧下田街道に近づくと南側の町並みの家も三島市となります。中には、屋敷裏の半分は函南町間宮という家もあります。

 この大場駅前の踏切を渡って左右に伸びる道路は、明治31年(1898)の豆州鉄道(ずしゅうてつどう)の開通に伴って、大場駅(停車場と呼ばれていた)が開設されたとき、熱海街道の取り付け道路として開かれました。その後、大正年間の丹那トンネル工事に伴って、大場駅からトンネル工事の飯場を結ぶ軽便鉄道が昭和10年 (1935) の工事完了までの20年間運転されました。工事関係者をはじめとする大勢の人たちの往来があり、このにぎわいが道路沿いに広がっていき、今日の大場駅周辺商店街の基礎ができ上がりました。

 近くには、大場神社、珎ぴ稲荷神社、光明寺などの社寺や歴史ある町並みの大場駅周辺です。

 出典 『大場誌』(大場町内会)
 出典『くらしを支えた職人』(三島市郷土資料館)

だるまさんの日

イラスト1 昭和58年(1983)11月4日の夕方、沢地に町内放送が流れました。「だるまさんをやりますから、子供たちは龍澤寺(りゅうたくじ)に集まってください」。懐中(かいちゅう)電灯を持って、子供たちだけで連れだって出掛けました。5時半のことでした。

 本堂に入ると、子供たちは名前を聞かれ、座ってからお経を聞きました。少し、かしこまった時間が過ぎていきました。その後、杖を持った年寄りのお坊さんが、「はい、暴れなさい。うんと暴れていいですよ」と言いました。

 子供たちは大喜びでした。「わあ」「やあ」と賑やかです。「プロレスやろうぜ」と本当に暴れ出す子もいました。お坊さんと相撲をとったり、おんぶしてもらったり、子供が寝転んだ上をお坊さんが蓑虫(みのむし)みたいにごろごろしたり、お坊さんの眼鏡を隠したり、いたずらっ子もいたようです。

 この日はお坊さんのことを「だるまさん」と呼んで、大騒ぎしていいのです。やがて1人ずつ夕食のお膳が出て、子供たちの帰宅は8時半になりました。イラスト2

 出典 『かわらばん沢地』No.30


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