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地名・町名の由来

1 三島宿の名残(なごり)をとどめる旧町名の由来

町 名 由    来
おおなかじまちょう
大中島町
源兵衛川、四ノ宮川に挟まれた大きな川中島状の所にできた町
こなかじまちょう
小中島町
四ノ宮川と御殿川に挟まれた小さな川中島状の所にできた町
くぼちょう
久保町
大中島・小中島に比べて窪地(くぼち)になっている所にできた町
てんまちょう
伝馬町
駅伝馬が置かれた町
かなやちょう
金谷町
武具師、刀剣鍛冶(とうけんかじ)などの技術者が住んでいた町(本来は金屋と書くべきか)
みやぐらちょう
宮倉町
三嶋大社の倉庫があった町
ちょうやちょう
長谷町
伊豆国府の庁舎があったところから庁舎→庁屋→長屋→長谷と表記されたようになった町
ろくたんだちょう
六反田町
初めて6反歩の水田が拓(ひら)かれたときに付けられた
れんぎょうじちょう
蓮行寺町
蓮行寺(現、伊豆国分寺)が創建されたとき、寺号をとって付けられた町(その後国分町と改称された)
しんしゅくちょう
新宿町
三島宿が西方に発展し、町並みが延長したため新しい宿といった意味で付けられた町、のち木町、茶町に分かれた
きまち
木町
木屋(きや)(木工業者)が多かった町
ちゃまち
茶町
茶屋(ちゃや)(茶店)が多かった町
いちがはら
市ヶ原
三嶋大社の前で市(いち)が開かれた町
ふつかまち
二日町
毎月2の日に市が開かれた町
うらまち
後(浦・裏)町
裏通りの町(明治以降、宮川町に改称された)
しばちょう
柴(芝)町
雑木林が多い所にできた町、また長圓寺が芝増上寺の末寺であったことからとも言われている
かやまち
茅(加屋)町
境川沿いの低地で茅が多く生えていた所にできた町
にのみやちょう
二ノ宮町
二ノ宮八幡(はちまん)がある町
たまち
田町
水田が多い所にできた町
とうじんちょう
唐人町
慶長12年(1607)に初めて朝鮮使節が来朝し、将軍に謁見(えっけん)のため江戸往来のとき、従者の宿舎に当てられたことから呼ばれるようになった
ちくりんじちょう
竹林寺町
竹林寺がある町
しんまち
新町
三島宿になったときに新しくできた町


2 旧三島町以外の地名の由来


地 名 由   来
きたうえ
北上
古くは道上(みちうえ)とよばれた地域で有弁(うえ)の郷(ごう)とも書かれた。官道(東海道)の北方(上方)に位置するところから起こった地名昭和10年(1935)4月1日三島町に編入
にしきだ
錦田
昔の錦の郷(にしきのごう)(川原ヶ谷(かわらがや)・坂五カ新田)と谷田郷(やたごう)(谷田・御門(みかど)・棗木(なつめぎ)(夏梅木)・小山(こやま)・竹倉(たけくら)の1字ずつを合成してできた地名。昭和16年(1941)4月29日三島町と合併、三島市となる
なかざと
中郷
中の郷(なかのごう)13カ村とよばれていた地域で、明治6年(1873)初めての学校が中郷学校と命名され、それが後に村名となった。昭和29年(1954)3月31日三島市に編入
さの
佐野
(せま)い平地、小平野の意味で狭野(さの)と言われていたものが佐野となった
はぎ
江戸時代に萩ヶ窪(はんがくぼ)と呼ばれていた土地で、萩の茂った窪地であったと思われる
とくら
徳倉
狭い崖山(がけやま)のある土地を意味する戸倉が徳倉となった
せんまいはら
千枚原
千枚はたくさん、原は野原の意味、この一帯は広い野原の意味があったことから付けられたと思われる
こうばら
幸原
国府があった原という意味で国府原(こうばら)と言われていたものが幸原となった
さわじ
沢地
谷川の流れる土地の意味から付けられた
いっちょうだ
壱町田
江戸時代に沢地村から1町歩(ちょうぶ)(約99a)の田地が分けられ三嶋大社の神領(しんりょう)となり、壱町田村となったといわれている
かわはらがや
川原ヶ谷
昔は河原ヶ谷と書かれていて河原(川原)は川のこと、谷は低湿地のことで現在もその地形を残している。川原ヶ谷の地籍の中に山田、小沢(こざわ)、元山中が入っている
つかはらしんでん
塚原新田
塚すなわち古墳が分布している原から付けられ、新田は新たに開墾(かいこん)した田地のこと
いちのやましんでん
市山新田
箱根の山へ登る初めの野山であることから一の山となり、市山と当て字されたと思われる。山市が立ったから市山となったという説もある
みつやしんでん
三ッ谷新田
三ッ屋とも書かれ茶店が3軒あったことから付けられた
ささはらしんでん
笹原新田
笹の原があったことから付けられた
やまなかしんでん
山中新田
西北の谷沿いに親村(おやむら)である元山中が今もあり、山中の人々によって拓かれた新田という意味。
坂五カ新田はいずれも元和(げんな)年間(1615〜1624)に村づくりが始められたものと思われるが、新田の名とは裏腹に、茶店、宿、駕籠(かご)かきなどで生計をたてる者が多く、間(あい)の宿(しゅく)(注)としての性格が強く現金収入があったので比較的裕福な家が多かったようだ。その後、農業に転じ箱根野菜の産地になった。
(注)正規の宿駅(しゅくえき)間に設けられた旅人休憩の宿
やた 
谷田
水田を意味する地名(谷戸(やと)、谷地(やち)などと同義)から付けられた。また矢田と書かれたものもある。谷田はかつて谷田、御門、棗木(夏梅木)、小山、竹倉で成り立ち谷田五箇(ごか)と呼ばれていたが、このうち竹倉は江戸時代初期に独立したと言われている
たけくら
竹倉
その昔は滝倉(たきくら)ともいい滝の多い谷(くらは谷、岩、断崖、岩場などに付けられる地名)から付けられた
なか
大場川と御殿川の中間にあること、または、この地域の中心になった集落ということから付けられた
中(中村)は全国的に最も多い字名(あざめい)である
たまざわ
玉沢
大木沢と呼ばれていたこの地に日蓮宗妙法華寺が移ってきたとき、旧地である鎌倉の玉沢の地名を寺号(じごう)とともに移したもの
あおき
青木
神籬(ひもろぎ)(神霊が宿っている場所を神聖に保つために作られる囲い)に使う青木(神籬ともいう)が多く生えていたことから付けられた
あらや
新谷
新屋、つまり新しい家の意味から転訛(てんか)したもの
つるはみ
鶴喰
源頼朝がこの地に来たとき、たくさんの鶴が餌を取っていたのを見て名付けられたと伝えられている
はったばた
八反畑
もと八段畑と記され、畑が八段あったとことからという説と、古代の機織場(はたおりば)(機端(はたばた))から転訛(てんか)したという説がある
たまがわ
玉川
富士山の清冽な雪解け水が流れる玉川池を水源とする川の名前からきている
ほりのうち
堀の内
堀をめぐらした土地の意味
ひらた
平田
平坦な田地の意味
まつもと
松本
大きな松の木の下に3軒の家があったという説と、開拓者の松本殿から付けたという説がある
ながぶせ
長伏
長布施とも記し、ふせは傾斜地を意味することから、この地は長いゆるやかな傾斜地で、布施が伏に転訛したと考えられる
みその
御園
古代、ここから朝廷へ野菜を献上したことから付けられた昔は伊勢神宮領で源頼朝が旗挙げに成功したとき、三嶋大社に寄進したのもこの地だと言われている
やすひさ
安久
古老の話では、ヤツサー(八つの沢)のことと言われている。上流からの用水が八つの堀に分かれて注いでいるという意味、また最初に村を開いた人が安久という名でありこれが地名になったという説もある
うめ
梅名
梅の木が多い野原という意味(名は野の転訛)
なかじま
中島
大場川と梅名川(御殿川)に挟まれた川中島の意味
きたざわ
北沢
古代、佐婆郷(さばごう(沢の郷)の北に位置したため
たろ
多呂
源頼朝が定めた奉幣使(ほうへいし)(神に幣帛(へいはく)を献上する使者)多呂氏が居住していたことから付けられた
だいば
大場
場所が大きいためとか、大山祗(おおやまつみ)(山の神)の大庭(おおにわ)(祭りをするところ)からきたと言われる


3 住居表示に関する法律施行後の新町名の由来


町 名 由    来
たいしゃちょう
大社町
三嶋大社の前面に位置することから付けられた
おおみやちょう
大宮町
旧宮町の名を残したいという願いと、三嶋大社の広大な神域を含むことから付けられた
ひのでちょう
日の出町
市街地の東端に位置し日の出が最も早いところから付けられた
ひがしちょう
東町
市街地の東端に位置することから付けられた
ひがしほんちょう
東本町
中心部の本町の東部に位置することから付けられた
ちゅうおうちょう
中央町
市街地の中央にあることから付けられた
しばほんちょう
芝本町
旧芝町の本町に近い地域であることから付けられた
みなみほんちょう
南本町
本町の南隣にあることから付けられた
きたたまち
北田町
旧田町の北部であることから付けられた
なかたまち
中田町
旧田町の中部にあることから付けられた
みなみたまち
南田町
旧田町の南部にあることから付けられた
ひろこうじちょう
広小路町
江戸時代の通称地名から付けられた由緒ある町名、火除け土手(ひよけどて)を千貫樋(せんがんどい)の辺りに移したことにより、道路も広くなっていて、実情をよく表している
にしわかちょう
西若町
市街地の西方にあることと、若宮神社の若を組み合わせたもの
かやまち
加屋町
旧茅町(かやまち)の表記を変えたもの、江戸時代にもあったので唯一の復活町名
いずみちょう
泉町
湧泉(ゆうせん)が多いことと、言葉の響きの良さから付けられた
さかえちょう
栄町
町の繁栄を願って付けられた
ことぶきちょう
寿町
町の発展を願って付けられた
いちばんちょう
一番町
JR三島駅周辺が三島市の中心部であるという意気込みを一番町の名に託(たく)したものと思われる
みどりちょう
緑町
若い町、発展性のある町というイメージから付けられたと思われる
きよずみちょう
清住町
清らかで住み良い町を願って付けられた
みよしちょう
三好町
電業社の社宅を中心に住宅が発展したことから、当時の電業社社長の三好松吉氏の名を取って新町名としたもの
みなみちょう
南町
市街地の南端に位置することから付けられた
にしほんちょう
西本町
本町の西側に位置することから付けられた
ほんちょう
本町
市街地の中心部に位置し、住居表示の基点になっていることから、本(もと)になる町ということで本町となった
みなみふつかまち
南二日町
旧二日町の南に位置していることから付けられた
ぶんきょうちょう
文教町
文化教育の中心にふさわしい町であることと、さらにそうありたいとの願いから付けられた
かもがわちょう
加茂川町
この地に鎮座(ちんざ)している古社賀茂川神社にあやかって付けられたといわれている
とみたまち
富田町
旧田町の一部が中心になっていて、富士山の眺(なが)めが素晴らしいことから、町名の頭に富士山の富を重ねて、豊かで富んだ町になることを願って付けられたと言われている
すえひろちょう
末広町
将来に向かって末広がりに栄えて欲しいという願いを込めて付けられた

4 大規模開発によって新たに作られた町名

町 名 由    来
ふようだい
芙蓉台
芙蓉は蓮の花の別称で美人の例えに用いられ、また、芙蓉峰は富士山の雅称(風流な呼び方)でもあり、富士山の眺めが素晴らしいことから付けられたといわれている
ふじ
富士ビレッジ
富士山を望めることから付けられ、昭和48年(1973)当時、全国で唯一のカタカナ町名として話題になった
ひかりがおか
光ヶ丘
希望の光に満ちた町に期待を込めて付けられたといわれている

5 その他


地 名 由    来
ぎおんさん
祇園山
賀茂川神社の旧名、八坂(やさか)神社にちなんで付けられた
はつね
初音
源頼朝が箱根権現(箱根神社)に詣(もう)でた帰りにこの原で鶯(うぐいす)の初音を聞いたことにより付けられたという説と、初めて箱根の嶺坂(みねさか)にかかる場所、初嶺(はつね)からきたという説がある
かも
加茂
下賀茂という地名の所を開発したことから加茂と付けられたと言われている

出典 『三島市誌 増補のしおり』p.58 『沼津・三島・清水町 町名の由来』p.168 『ふるさと三島』p.14.96


君沢郡(きみさわぐん)


 国郡の制度が定まって郡名がまとまって記載されているのは、『延喜式』
(えんぎしき)(590郡)、『和名抄』(わみょうしょう)(592郡)です。

 この中で伊豆に属するものは、賀茂
(かも)、那賀(なか、田方(たがた)の3郡です。君沢郡の名を見るのは、文禄(ぶんろく)(1592ころ)から元禄(げんろく)(1688ころ)の検地帳で、このころ、田方郡の一部を割(さ)いて、君沢郡を置いたと思われます。

 その範囲は、市町村制実施後の三島町、北上村、錦田村、中郷村など1町11村でした。(田方郡は函南村、韮山村、など7村に縮小されました。)

 君沢郡の読み方は「キミサワ」「クンタク」と両様あります。本来は、郡司の居所すなわち「郡宅(ぐんたく)」であろうと推測されています。

 明治19年(1886)4月御殿地跡に、君沢・田方郡役所が韮山から移転新築されましたが、明治29年(1896)に君沢郡が廃されて田方郡に統合されました。

出典 『三島市誌 下巻』p.223、『ふるさと三島』p.151

鎧坂(よろいざか)


 昭和39年(1964)完成の東海道新幹線の建設で消滅してしまいましたが、現在の三島グランドホテルの北側に、溶岩で芝や小松におお覆われた形のいい方円塚(ほうえんづか)(法院塚(ほういんづか))があり、そこに『鎧がけの松』といわれた太く大きな2本の松がそびえていました。
 その昔、源頼朝が挙兵(きょへい)の折、三嶋大社に大願成就(たいがんじょうじゅ)を祈念(きねん)しての帰り道、方円塚に至り鎧を松にかけて休息したとの言い伝えがあります。この『鎧がけの松』と、だらだらした坂の組み合わせが、鎧坂の地名になったという説があります。
 他に富士山の溶岩が流れてきて、その形が鎧の形になったという説、甲斐(かい)の武田軍が大水で鎧を流したという説などがあります。

→   鎧坂ミニ公園
出典 『みしま梅花藻の里』p.34


三島八小路(やこうじ)・七石(ななせき)・七木(ななぼく)
七原(ななはら)・八景(はっけい) 


 江戸時代に東海道、甲州道、下田街道などの大路に対して、愛称をつけて呼ばれた小路を総称して八小路と言います。当時この八小路と三島七石、七木、七原、八景の名前をすらすらと言うことができれば、三島人の証明として箱根の関所を通行手形なしで通ることができたという逸話(いつわ)が残っています。

三島八小路(やこうじ)

阿闍梨小路(あじゃりこうじ)


あじゃりこうじの路面案内                 
 広小路町にあるユニー前の酒店東側の道を北へ進み、小浜用水路を渡り、更に道路を越して国分寺の門前までが阿闍梨小路だと言われています。

 阿闍梨の由来はいろいろあり、中でも天台・真言宗の僧位で阿闍梨屋敷があったからという説が有力です。


桜小路

さくらこうじの路面案内


 三嶋大社の西側の祓所(はらいど)神社前を西へ向かう赤橋の通りまでを言います。中世から古代にさかのぼる三島ではもっとも古い道のひとつと言われています。
 「サクラ」の地名の由来もいろいろありますがこの場合は、桜の木そのものより、川沿いの細長い狭い窪地(くぼち)を意味する言葉「サク」からと言われています。


上小路
(うえのこうじ)

うえのこうじの路面案内 
 
桜川から甲州道へ抜ける弓状に湾曲(わんきょく)した小路で、心経寺(しんきょうじ)前を通る小路のことを言います。


下小路(したのこうじ)

したのこうじの路面案内
 上の小路の南側を平行に走っており、桜川の中に三嶋大社の「米とぎ石」が現存しています。

金谷小路かなやこうじ)

 三嶋大社の東側の天神社の横を北へ向かう道と、三嶋大社の総門から東へ抜ける道の2説があります。金谷の地名の由来は、江戸時代に武具師、刀剣鍛冶などの職人が住んでいたためといわれています。

細小路(ほそこうじ)

 三島暦で有名な河合家から西へ50mほど行ったところに北へ折れる細い道があり、この道を細小路と言います。

竹林寺小路(ちくりんじこうじ)
ちくりんじこうじの路面案内

 現在の三島市役所前から中央町商店街へ出る道です。名の由来は、昔この辺りに竹林寺というお寺があったことからこの名が付けられました。


菅小路(すげこうじ)

 昔、間眠(まどろみ)神社周辺には菅がたくさん生えており、この辺りで菅笠を作っていたことから名付けられたと思われますが、場所は特定されていません。

出典 『三島市誌 下巻』p.963、『ふるさと三島』p.93、『ふるさと探訪』、『Welcome to ふじのくに 三島』

三島七石(ななせき)

三嶋大社の祟り石(たたりいし)

 三嶋大社の鳥居を抜けてすぐ右にあるこの石は、もと鳥居の前の路上にあり、交通整理の役をしていたと言われています。後年、この石を動かしたところ災いが起きたことから、祟り石と呼ばれるようになったと言われています。

→ 三嶋大社

耳石(みみいし)神社の耳石

耳石神社の耳石

 耳石神社の境内にあるこの石は、人間の耳によく似ていて、耳の病に苦しむ人たちが、この石に祈願すると治ると信じられています。

→ 耳石神社


楊原
やなぎはら)神社の蛙石(かえるいし)

楊原神社の蛙石 
 楊原神社の境内に、蛙が座ったような形の自然石があります。これが蛙石で、昔から三島の七石として宿場の人々に愛されてきました。 

→ 楊原神社


宝鏡院
(ほうきょういん)の笠置石かさおきいし)

宝鏡院の笠置石
 笠置石は、川原ヶ谷の臨済宗宝鏡院の境内にあります。かつて三嶋大社の事代主
(ことろぬしのみこと)命が、大仁(おおひと)から三島に遷(うつ)られるときに笠を置いた、または、源頼朝が参拝時に来て笠を置いた、などと言われています。

→ 宝鏡院










市子石(いちこいし)
市子石 現在は阿闍梨小路の途中にあります。市子とは霊(れい)や死霊(しりょう)の意中をさぐる巫女(みこ)のことで、きっとこの石にことよせて占ったのではないかと言われています。









山田の鬼石(おにいし)


 山田川沿いの集落にあり、鬼が運んできて、途中あまりの重さにここに降ろした、などいろいろな説があります。

蛇石(へびいし)


 この石は火伏
(ひぶせ)の神を祀る秋葉神社の入り口にあったと言われています。姿が似ていることから、蛇石と呼ばれるようになったと伝えられていますが、現在はどこにあるか不明です。

出典 『三島市誌 下巻』p.963、『ふるさと三島』p.175、p.181


三島七木
(ななぼく) 

        1 間眠(まどろみ)神社の松(現在3代目)
    2 法華寺の松(現存しない)
    3 石神社(おしゃもじ)の松(現存しない)
    4 三嶋神社(三嶋大社)の楠(現存)
    5 陣屋の欅
(けやき)(現存しない)
    6 道満塚
(どうまんつか)の松(現存しない)
    7 清明塚
(せいめいつかの松(現存しない)

三島七原(ななはら)

          
       
1 初音ヶ原
    2 国府原(幸原)
    3 源氏原
    4 高天原
(たかまがはら)
    5 祇園原(
ぎおんばら)
    6 愛宕原
(あたごばら)
    7 まないた原


三島八景(はっけい) 


      
  1 大社の群鳥
     2 水上の富士
     3 間眠の夜雨
     4 加茂川の蛍
     5 広瀬の秋月
     6 広小路の晩鐘(ばんしょう)
     7 千貫樋の夕景
     8 小浜山の暮雪
ぼせつ)

出典 『三島市誌 下巻』、『Welcome to ふじのくに 三島』

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