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地蔵尊(じぞうそん)

言成地蔵(いいなりじぞう)

言い成り地蔵堂の写真 物語のイラスト

尾州藩浪士(びしゅうはんろうし)、尾張屋源内(おわりやげんない)の娘小菊の霊を祀(まつ)った地蔵堂です。浪士源内は二日町(現、東本町)に住み、猟師として生活していました。

 貞享
(じょうきょう)4年(1687)春のある日、播州(ばんしゅう)明石(あかし)の城主松平(まつだいら)若狭(わかさのかみ)直明(なおあき)の行列が三島宿にさしかかったとき、当時6歳の娘小菊は、道の向こう側にいました。これを見た母親は粗相(そそう)があってはいけないと思い、小菊にそちらにいるように声をかけました。それを娘は自分を呼んだのだと思い、何気なく列を横切ったので、前駆(ぜんく)(注)が小菊を取り押さえてしまいました。それを見た家老が機転を利かせて「犬だ、捨て置け」と命じましたが間に合わず、小菊は本陣に引かれて行きました。驚いた町民たちは問屋役人、町名主、本陣などを総代とし殿様に命乞いをしましたが聞き入れてもらえませんでした。

そこで大名と同格の10万石の格式をもつ玉澤妙法華寺の第24代住職日迅(にちじん)上人(しょうにん)が、下座について助命を乞いましたが、それでも聞き入れられず、小菊は本陣庭先でお手討ちされることになりました。その折、幼い小菊は手を合わせ、「なんでも殿様の言いなりになりますゆえ、命ばかりはお助けください」と懸命に頼みましたが、小菊の願いも空しく聞き届けられませんでした。

怒った父源内は、箱根街道石割坂付近(接待茶屋下)に待ち伏せし、殿様の籠(かご)に鉄砲を打ち込みましたが、察知されていて、目的を果たすことができませんでした。源内は自害し日迅上人は雲水(うんすい)(そう)として旅に出ました。
 町の人々がこれを憐
(あわ)れみ、小菊の霊を祀るための地蔵堂を建てました。今では、この地蔵に願いをかけると必ず叶えられると言われているそうです。

(注) 行列などの先導をする人
出典 『三島の昔話』p.91


手無地蔵(てなしじぞう)

手無地蔵のイラスト 手無地蔵堂の写真

昔、この地(現、三島市中(なか))に延喜式内(えんぎしきない)(注)父梨(ててなし)神社がありましたが、この神社が焼けたあとに石の地蔵を祀った地蔵堂が建てられました。

この地蔵は夜な夜な鬼女に化けては往来の人々を驚かせていました。ある日のこと、狩野領の若侍が夜更けにここを通ると鬼女に髪を引っ張られました。驚いた若侍は刀で鬼女の左手を切り落としました。夜が明けてから見ると地蔵の左手が切り落とされており、その手は田の畦(あぜ)にありました。それ以来人々は、この地蔵のことを手無地蔵と言うようになりました。
 地蔵堂の中の手無地蔵は秘仏
(ひぶつ)とされ、60年に1度、開帳されます。毎年7月23日の祭日には、地蔵堂の中の「お前立(まえだち)」(本物に似せた像)を見ることができます。

 (注)  延喜式の神名帳に記載されている神社
出典 『Welcome to ふじのくに 三島』p.103



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