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災害(さいがい)

 
 災害は天災、人災から発生し、その結果、人畜
じんちく)、家財などが多くの被害を受け、また飢饉ききん)、悪疫あくえき)の流行などが起こりました。三島でも、江戸時代以降多くの災害が発生し、その記録があります。主なものを挙げると次のとおりです。

1 丑年(うしどし)の大火

 貞享(じょうきょう)2年(1685)12月10日、駿東郡伏見から出火、折からの西風にあおられ三島に延焼(えんしょう)、三島宿は全部焼失しました。このとき三嶋大社も社中残らず類焼しました。翌年、幕府から2,000両(注)を借り入れ復興の資金としました。

(注)現在の価額に換算すると1億5000万円と思われます。

2 安政(あんせい)の大地震

 安政元年(1854)11月4〜5日、東海地方に大地震が起り、各地で大きな被害が出ました。三島宿は、満足な建ち家はないほどの被害を受け、その上火災が発生しました。また三嶋大社では、境内の樹木の大半が折れ、建物は全部倒壊しました。

 このような大惨事
だいさんじ)を被(こうむ)りながらも、宿場は公用の継ぎ役を果たさなければならず、11月18日から、一般人馬など往還(おうかん)の継立(つぎたて)を始めました。幕府から2,000両(注1)と米130石(注2)を借り入れ、復興の助けとしました。

(注1)現在の価額に換算すると1億5000万円と思われます。
(注2)約19.5t


3 関東大震災(かんとうだいしんさい)

 大正12年(1923)9月1日(11:58)、東京、神奈川、千葉、茨城、埼玉、山梨、静岡の1府6県に大地震が起こりました。各府県とも大火に見舞われ、また海岸沿いでは津波による惨害さんがい)を受けました。(関東一円の被害は死者99,574人、行方不明者38,782人、負傷者102,961人)

 このとき三島住民は義勇警察隊、少年警察隊を組織し、消防組、在郷軍人会などとともに出動、警察に協力して、火災の発生と盗難の予防警戒に当たり、大いに活動して人々を安心させました。

4 北伊豆地震(きたいずじしん)

北伊豆地震の写真1 北伊豆地震の写真2
                北伊豆地震の様子            

 昭和5年(1930)11月26日(4:02)、函南町軽井沢
(かるいさわ)付近を震央として、伊豆半島北部を縦断する丹那(たんな)断層の出現、地面の亀裂、隆起、陥没、山崩れ、崖崩(がけくず)れ、山津波など、多くの地変が現れる大地震となりました。被害は静岡、神奈川両県に及び、人畜、家屋、農耕地などの被害は著しいものがありました。(静岡県の被害、死者260人、負傷者1,209人)

 このとき三島では、11月7日以降頻繁
ひんぱん)に発生する前震におののいているとき、ついに11月26日の大烈震(だいれっしん)となり、広小路以東が莫大な被害を受けました。(西は、比較的軽微に済んだという状況でした。)

 関東大震災では、住民が一丸となって避難者救援に当たりましたが、今回は救助される身となりました。北伊豆地震の報が伝わると、県の内外から消防隊、青年団、その他各種団体や個人などが続々と救援にかけつけてきました。

 また、三島高等女学校に労力奉仕団派遣協議会が開かれ、三島、中郷、錦田、北上の各地域へ総数8,521人が10日間に分けて派遣されました。これらの人々は、死体の発掘、倒壊(とうかい)家屋の整備、道路の復旧などに献身的奉仕を惜しみませんでした。

 その他県内外の医師会などの衛生救護班は、三島衛戍(えいじゅ)病院などと共に、大社前、錦田役場に救護所を設け、傷病者のための無料治療を施しました。


5 狩野川
かのがわ)台風

狩野川台風の被害 狩野川台風の被害2
               狩野川台風の被害の様子

 昭和33年(1958)9月26日夜、伊豆半島東岸を北上した台風22号(狩野川台風)は伊豆半島中部に750mm(狩野川上流一帯に80mm〜120mm/時間)の豪雨を降らせました。

 このため各地で山崩れが発生し、多量の土砂と流木が谷川を堰
(せ)き止め、決壊しては津波のような大洪水を起こしました。特に狩野川流域の被害が大きく、伊豆北部では、死者930人、住宅全壊822戸、農地や農作物の被害、道路の損壊など未曽有(みぞう)の被害となりました。

6 七夕豪雨(たなばたごうう)

 昭和49年(1974)7月7日、大型台風8号が対馬(つしま)海峡から日本海を通過した際、日本海から南下してきた梅雨前線が東海地域に停滞、台風の刺激を受け、長時間にわたり記録的な豪雨(50mm〜70mm/時間が約7時間)をもたらしました。
このため三島市においても住宅の浸水、河川の氾濫
はんらん)、道路の損壊そんかい)など各所に大きな被害が発生しました。

7 秋雨前線(あきさめぜんせん)による集中豪雨(しゅうちゅうごうう)

 平成2年(1990)9月15日(1:00)から16日(14:00)までの間に、三島地区では、総雨量161mm(最大時間雨量54.5mm/時間)を記録。前日から降り続いた雨と、裾野方面の集中豪雨(総雨量259.5mm、最大時間雨量81mm/時間)が、同時に大場川に流れ込み、川の水位を一気に押し上げ、上神川橋付近では、水位4mの濁流が両岸を超える激流となって荒れ狂いました。この短時間での集中豪雨は、局地的な豪雨となり、大場川沿いの家屋の流失など被害は甚大となりました。

8 静岡県東部・伊豆水害

 平成10年(1998)8月30日、台風4号から流れ込む湿った空気により、本州上の前線が刺激され、静岡県東部、伊豆地方は未明から激しい豪雨に見舞われました。大場川上流では総雨量261mm、特に30日の4:00から9:00の間に171mmを記録しました。

この豪雨により大宮町地先(ちさき)の大場川の護岸が決壊、あるいは住宅敷地の一部が流失するなどの被害が発生しました。また、近隣の函南、韮山両町においても来光川、柿沢川の氾濫による被害が多く発生しました。

出典  『三島市誌 下巻』p788。、864、『三島市誌 増補』p163、172、三島市交通防災対策課 資料、『狩野川台風誌』p.2、『48年8月静岡東部・伊豆水害速報』p.26  

災害記事(1〜8)における三島の被害状況

災害名

発生時期

人的被害(人)

住宅被害(棟)

田畑の被害(ha

道路・ガケ崩れ(カ所)

特  記

死亡行方不明

負傷

全損

半損

床上浸水

丑年の大火

貞享2年(1685)12月10日


不明

不明

652

三嶋大社も全焼

安政の大地震

安政元年(1854)11月4日

不明 不明

1,031

47

関東大震災

大正12年(1923)9月1日

4

10

58

90

9月1日〜11月30日の間の余震回数1,208回

北伊豆地震

昭和5年(1930)11月26日

25

294

   913

2,108

11月7日からの前震から11月28日の余震が収まるまでの有無感地震回数は2,595回

狩野川台風

昭和33年(1958)9月26日

1

不明

6

161

不明

不明

七夕豪雨

昭和49年(1974)

7月7日

1

0

6

14

293

194

121

田方地域における被害がより甚大

秋雨前線による集中豪雨

平成2年(1990)9月15日

0

0

1

1

102

13

104

大場川氾濫

静岡県東部・

伊豆水害

平成10年(1998)8月30日

0

3

3

2

6

8

209

その他河川58カ所、電気、上下水道などの使用不能が多く発生



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