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ホタル

ゲンジボタルのイラスト ゲンジボタル
ホタルの写真

 三島でも見られるゲンジボタルは、水がきれいで、緑が豊かな、大気が澄んだ地域に生息し、ヘイケボタルは、同じような場所の田んぼや畑の周辺に生息しています。
 世界には2,000種以上のホタルがいると言われています。ほとんどのホタルの幼虫は陸上に棲
(す)んでいて、それらを陸生ホタルと言います。  

 日本には46種類のホタルがいますが、この内で幼虫が水の中で生息する水生ホタルは3種類だけで、ゲンジボタル、ヘイケボタル、クメジマボタルです。クメジマボタルというのは、ゲンジボタルの亜種
(あしゅ)(注1)ではないかという考え方の人もいます。

 水生ホタルがいる条件は、きれいな水が流れていてカワニナがいることと、水辺まで草木が生い茂っている岸辺があることです。つまりホタルの幼虫が食べるエサと、親ホタルが枝に止まって昼間休んでいられる林があることです。

 幼虫は、昼間は小砂利の下に潜っていて、夜になると出て来て、カワニナを探して食べます。

 ホタルが蛹化
(ようか)(注2)するまでに食べるカワニナの数は、大体25個と言われています。カワニナの敵は、サワガニ、アメリカザリガニ、口の大きな鯉(こい)などです。
 水を張るとよく鯉を放す人がいますが、ホタルにとっては絶望的なことです。今、源兵衛川の状況が正にこれで、対策を検討しています。

 ホタルは最低でも9カ月かかって次の年の春、雨の降っている晩に上陸します。上陸した幼虫は粘液を吐いて土繭
(つちまゆ)をつくります。そしてその中に体を丸めて40日くらい動きません。前蛹(ぜんよう)という状態です。ホタルには独特な臭いがありますが、自己防衛のためだと思われます。

ホタルの幼虫 ホタルの幼虫


 蛹
(さなぎ)はジメジメした所にいます。湿って終日(しゅうじつ)陽が当たらない濡れている土が、蛹になるために必要です。蛹になって10日から2週間して羽化(うか)します。上陸してから羽化するまで、大体50日を要します。羽化するのは、卵の全数のおよそ2%から3%ぐらいと言われています。

 4月ごろの源兵衛川の岸辺を人が歩いたらホタルを踏み潰
(つぶ)してしまいます。ですから、春先から岸辺を踏まないようにしたいものです。

(注1) 生物分類上の1階級で、種の下位におかれる。
(注2) 昆虫の幼虫が蛹に変態すること。
出典  『ホタルと人里』


三島ホタルの会

 三島市は「富士の白雪朝日で溶けて三島にそそぐ」と農兵節で歌われるように、かつて市内のあちこちから湧水が湧きホタルが舞っていました。

 特に昭和30年代中ごろまでは、源兵衛川の流域には多くのゲンジボタルが見られました。しかし「楽寿園」の湧水の減少と共に、源兵衛川は1年の半分は水のない状態となり、ついに、ホタルは全滅してしまいました。

 そのような状態の中で、昭和60年(1985)から平成4年(1992)まで「よみがえれ清流」をスローガンに、楽寿園でホタル祭りを開催してきた三島青年会議所の青年たちや市民の間に、ホタルに対する思いが大きくなり、「ふるさとの水辺にホタルを飛ばそう」という、ロマンをもった市民が集まり、平成3年(1991)2月15日「三島愛蛍会(あいけいかい)」が発足しました。

 最初の事業として、すでに手がけていた青年会議所の加藤安延(やすのぶ)さんのホタルの幼虫を、平成3年(1991)3月6日の啓蟄(けいちつ)の日に、「三島愛蛍会」副会長の塚田冷子邸の小川と、押切(おしきり)蛍委員長の小林将(すすむ)邸のせせらぎに放流しました。

 第1回総会開催と同時に「三島ホタルの会」と改称したその夜、塚田邸の庭に、第1号のホタルが飛んだ感激を会員はよく話します。

 三島市と県による源兵衛川の整備がほぼ完成した平成4年(1992)、東レ三島と「三島ホタルの会」等が加盟する「グラウンドワーク三島実行委員会」と行政の三者が協議をして、湧水のない期間も環境水利として、東レ三島工場の1次冷却水が流されることになりました。平成4年(1992)12月25日、コンクリート管の中を伝わってくる水の流れ来る音に、歓声が上がりました。

 一年中水が途切れる心配がなくなった源兵衛川に、平成5年(1993)3月、試みにゲンジボタルの幼虫を放流したところ、結果は上々で、同年5月には、放流した幼虫が羽化し、源兵衛川流域に久しぶりにホタルが復活しました。

 源兵衛川にはその後、芝本町の子供会がカワニナを放流したり、三島市や中郷用水組合等関係団体、周辺町内の人たちの管理や清掃により、平成6年(1994)には全国的にも早い4月29日にホタルの発生を確認し、以来5月の初旬には繁華街の川にゲンジボタルの舞が見られるという珍しい川となりました。

とホタルの里

 「三島ホタルの会」が取り組んだ主要事業である「花とホタルの里」づくりは、三島市の後押しもあり、中郷温水池の南側の休耕田を利用して、多くの市民と地元企業、商店会などの支援を受け、平成4年(1992)の7月と8月には、各種団体や市民有志約180人が参加して共同作業に汗を流しました。

 この「花とホタルの里」づくり活動は、英国のグラウンドワークトラスト事業(市民・行政・企業が協力して地域の環境改善を推進する活動)のミニ版のようなものと考えて取り組みましたが、「花とホタルの里」のホタル生育の最大課題は「水」でした。

 砕石
(さいせき)・木炭・植物のアシ(ヨシ)などによる、自然浄化によって対応できるとは思いつつも、家庭雑排水が混じった水なので不安はありましたが、他市の水質浄化のデータと比べてみると「花とホタルの里」の水質は問題ありませんでした。

 「花とホタルの里」への導水は、田植え用の水路からもらっていましたので、農作業の関係で、時々水が止まることもあり、ホタルにとっては苛酷な生息環境でしたが、毎年十数匹は飛ぶまでになりました。暗がりの橋の上から、若者たちが声も出さずに見入っていた光景が印象的でした。

 現在は、県の事業に協力し「花とホタルの里」に代わり、「ホタルの小川」を整備しています。



沢地川(さわじがわ)のほたる見物

 昭和60年(1985)6月2日(日)の夜8時半ごろ、ほたる見物にでかけました。沢地川のとぶらい橋(現、庚申橋(こうしんばし))付近で、最も多くのほたるを見ました。暑からず寒からずのほど良い天候で、9時15分ぐらいまでの間に30匹ぐらいのほたると出会いました。ぽっと明るく照らしたかと思うと光を消して飛び、また光りながらふわっと舞うほたる。大人も子供も、ついつい歓声をあげてしまいます。

 美しいふるさと沢地を再認識した夕べでしたが、10年以上も前には、もっとたくさんのほたるが見られたことを考えると、本当に貴重な光だと思いました。

 住んでいる人1人ひとりに、今、何ができるでしょう。台所洗剤、洗濯洗剤その他、沢地川へ流れ込むものを、もう一度点検してみましょう。



この歌を知っていますか?
−ほたる−


ほたるの宿は川端柳
柳おぼろに夕闇よせて
川のめだかが
夢みるころは
ほ、ほ、ほたるが
灯をともす



出典 『かわらばん沢地』 38
*沢地川は、その後護岸(ごがん)工事が施(ほどこ)されましたが、一部多自然型工法の採用により、平成12年(2000)も夏には、ほたるを見ることができました。


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