トップページ > 市の紹介 > 地勢・歴史 > 三島アメニティ大百科 > 目次 > 三島市の総合計画

三島市の総合計画

 
 
第3次三島市総合計画シンボルマーク
第3次三島市総合計画シンボルマーク
        

 三島市では、地方自治体法にまちづくりの指針である基本構想のさくてい策定が各市町村に義務付けられる以前の昭和42年(1967)に、三島市総合開発計画を策定しました。

 この背景には、昭和39年(1964)に石油コンビナート構想が県から発表され、この計画に市民ぐるみで反対し、進出はそし阻止したものの、その後のまちづくりをどのような方向に進めていくべきかという基本理念がないことに危惧(きぐ)をいだいた三島市が、市長参加の中で策定したものです。
 
 この構想は、昭和42年(1967)から昭和60年(1985)までの19年間を計画期間として策定されたもので、将来と都市像を「水と緑と太陽の輝く都市」と定め、将来人口を15万人と想定していました。
 また、この計画期間満了に伴い、昭和60年(1985)から平成13年(2001)を計画期間とする第2次三島市総合計画を策定しました。

 「水と緑と文化のまち・三島」を将来都市像と定め、無限の可能性を秘めた未来を切り開いていくため、友愛と連帯の精神を高めつつ、市民の英知と想像力を結集し、その実現を目指すことを目標としました。将来人口は12万人を想定しました。

 平成12年度には、少子高齢化の進展や地球規模の環境問題などを踏まえ、新三島市総合計画の計画満了期間を1年前倒しして、平成13年度から平成22年度までの10年間を計画期間とする第3次三島市総合計画の策定に取り組みました。
 今回は、素案(そあん)の策定段階から、ボランティアとして市民まちづくりスタッフ(66人)を公募し、策定に加わっていただいたことが大きな特徴です。
 なお、総合計画の基本構想は平成12年(2000)12月12日に議決され、「水と緑と人が輝く夢あるまち・三島―環境先進都市をめざして―」を将来都市像と定め、本市の魅力であり象徴である湧水と豊かな自然環境のなかで、活気ある市民が主体となって躍動し、環境と人、人と人とが共生しながら、住みやすく夢のもてるまちとしていくことをめざしています。
 
 平成22年(2010)の人口を11万7千人と想定し、市民と企業、行政が協働してまちづくりをすすめていくことを基本的な理念としています。
 
 なお、平成13年度から17年度までの5年間の具体的なまちづくりの指針である「前期基本計画」については、平成13年(2001)1月18日に市長から審議会に諮問され、三島市総合計画審議会において審議されました。

 第3次三島市総合計画の基本計画の骨子は、
(1)共に支え、育むまち
(2)にぎわいのある豊かなまち
(3)安全で安心・快適なまち
(4)まちづくりの効率的な推進方策

 以上の4つの施策の大綱を設け、それぞれの大綱に基づいた主要施策を掲げています。

→ 石油コンビナート進出阻止


目次へもどる 前ページへ 表紙へもどる