三島の村名5 梅名(中郷地区) (平成28年3月1日号)

 梅名は御殿川西岸に位置する一帯で、中郷耕地中央部を広く占めています。昭和二十九年(一九五四)に三島市と合併するまでは中郷村の一部でした。地名の由来として梅の木が多い野であったという説〈「豆州志稿(ずしゅうしこう)」〉や、窪地を埋めて田畑にしたため埋畦(うめあ)と呼ばれていたものが転じて梅名となった説(「中郷村誌」)があります。古文書などでは「梅縄(うめなわ)」とする表記も見られます。

 戦国時代は後北条氏の領地で、同氏の領地を書き上げた文書に梅名の地名が記されています。山中城の戦いで後北条氏が豊臣秀吉に敗れたのちは、徳川氏家臣の武将石川家成の領地となり、この地にあった梅縄城に居住し ていました。

 梅名の集落内にある右内神社は、対岸の左内神社とともに三嶋大社の守護神とされています。

右内神社鳥居
▲右内神社鳥居

【広報みしま 平成28年3月1日号掲載記事】