三島の村名3 山中新田(錦田地区) (平成27年11月1日号)

 山中新田は、箱根西坂にある五ヵ新田のうち最も上に位置する村です。この五ヵ新田は江戸時代初期の元和(げんな)年間(一六一五~一六二四)に近隣の次男・三男を集めて成立したとされています。村の名前は、北西にある元山中からの移住者が多かったため、この名で呼ばれるようになったそうです。

 また、戦国時代末期築城の山中城があり、三の丸跡には山中城の戦いで戦死した豊臣・北条方両軍の武将をまつる宗閑寺(そうかんじ)があります。

 江戸時代、西坂を往来する旅人の休憩所として茶屋が建ち並び、三島宿と箱根宿の間(あい)の宿として盛況でした。しかし、明治二十二年(一八八九)の東海道線開通を境に徒歩での箱根越えの旅人が激減し、家業が成り立たず多くの家が転廃業し、畑中心の農村へと変化していきました。

山中新田遠景
▲山中新田遠景

【広報みしま 平成27年11月1日号掲載記事】