水と道

水と道
鎌倉時代になると、京の都と鎌倉間の往来が激しくなり、《平安鎌倉古道》が整備されました。
このころの平安鎌倉古道は、《十六夜日記》の著者阿仏尼が通り時宗の開祖一遍上人一行などが仏教を布教した信仰の道、また、政治の道としても重要な役割を担っていました。
水と道
平安鎌倉古道から東海道へ。
時代の変遷に連れ、道の姿は変わりゆくものですが、変わらざるもの、それは富士山から湧き出す清らかな湧水です。
《あじさいや三島は水の裏通り》と詠まれた俳句にも豊かな水の風景が偲ばれます。
三島宿は、三島明神を基点に主要街道が四方に伸びる《四辻の町》。
水と道
この四辻に対して、三島には八つの小路があります。
当時、この八小路の名前をすらすら言えれば、三島人の証明として、箱根関所を手形なしで通してくれたという逸話が残されています。
天下の大通りである《四辻》に対して《八小路》は生活感漂う裏通りだったのでしょう。
この八小路にも、美しい湧水が流れ、人々の心をなごませていました。