歴史の小箱
(第145号) ~一家総出の農作業~ 「田植えと牛」 (平成12年6月1日号)
6月では入梅で雨のうっとうしい日々が続きますが農家の人達はこの雨を待って田植えを始めるのです。
田植えや田起こしが現在のように機械化されるようになったのは昭和30年代後半からでした。それまでは犂【すき】で丹念に田越こしし、手で苗を植える重労働でした。
農家のおじいさん・おばあさん達に昔の田植えの話を伺うと、毎朝4時前に起きて5時前には田に入って植えたと言います。お腹に赤ん坊のいる妊婦もお産前日まで田植えしたとか、とにかく6月は田植えで大忙しでした。
田植えの時、水田に水が欠かせませんが、限られた量の用水を上流地域から配分するため、早いところでは1月に田植えの日程が決められ、その日程内に田植えを終わらせなければなりませんでした。そのため数件の農家がイイ(結い)を組み、田植えのソートメサン(早乙女さん)を貸し合い、町場からソートメサンを雇うなどして人手を確保しました。男衆の仕事は苗が真っ直ぐ植えられるようにソートメサン達の前に赤い目印のついた縄(縄張り棒)を張り動かしたり、苗を運び田に投げ入れたり、代ならしをします。
また、田植え前の田起こしや代かきになくてはならないのが牛や馬でした。馬は裕福な農家でしか飼うことができませんでしたので御殿場、裾野・須山まで借りにいっています。牛を飼う農家では牛を家族の一員のように大事にしました。田の代かきをする時、その牛や馬を先導する鼻取り役は子どもたちの仕事でした。昔は、田植え休みが学校の休みとして認められていたのです。
一家総出の田植えが終わるとマンガライ(馬鍬洗い)という農家の休みになります。農具は丁寧に洗われ、モチが供えられ、農家の人達は温泉に行き疲れを癒しました。
マンガライ(馬鍬洗い)の頃になると梅雨も明け本格的な夏となります。
(広報みしま 平成12年6月1日号掲載記事)
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