(第181号) 茅の輪 ~夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)~ (平成15年6月1日号)

茅の輪くぐり
 古代より旧暦6月30日は夏越の大祓の日で、鳥居の下の大きな茅(ち)の輪をくぐり抜けることにより身の不浄を落とすことができると考えられていました。三島では、祓所神社(はらいど)の「茅の輪くぐり」が有名です。

 神事の中心となる茅の輪を毎年製作しているのは、かつての宮川町地域の人々です。昔の水上、浦町、祓所、新屋の4地区は大正始めころ、宮川町一丁目、二丁目となりました。現在は中央町と大宮町一丁目の一部となっています。

 茅の輪を作るのは前日、早朝6時にトラックで箱根三ツ谷・市ノ山へ茅(ススキの葉)を刈りにいき、夕方6時から三嶋大社参集殿前で始まります。宮川町の「竹馬会」の人々は長い竹を縦に裂いたひごを芯とし、周囲に茅を束ね、少量の茅を外側へ取り出して強く撚(よ)りながら、茅束の周囲をぐるぐる巻いていきます。均等の太さにするよう少しずつ茅をたしながら、直径約3メートルの茅の輪を2本作りあげます。他の多くの茅の輪が縄で巻かれているのに対し、ここは昔ながらの形を保っています。1本は祓所神社の鳥居へ、もう1本は大社参集殿前の参道へ取り付けます。

 現在の夏越大祓式は大社宝物館前で催されていますが、昭和30年代までは祓所神社の鳥居で行われていました。この頃は、神事や茅の輪くぐりの後、人々の穢(けが)れを移した紙の人形(ひとがた)と、神事に使われた榊と麻布を、湧水が大量に流れる桜川に流したものでした。車の通行量が増えたために、大社境内で催されることとなったのです。

 また、茅の輪を八の字にくぐる時に唱える「蘇民将来(そみんしょうらい)」とは、奈良時代の『備後国風土記』に見え、「あるとき武塔神(ぶとうしん)が宿を願った所、裕福な弟巨旦将来(こたんしょうらい)は断ったが、貧乏な兄蘇民将来(そみんしょうらい)は応じて手厚くもてなした。この後に神が兄宅を訪れ、家族に茅の輪を腰に着けさせて、自分は速須佐雄(はやすさのお)の神である、後の世に疫病が流行った時、蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫と言って茅の輪を腰に着けた者は免れであろう」と記されていることが起源といわれます。
(広報みしま 平成15年6月1日号掲載記事)