(第27号) 乗合馬車をしのぶ 駒つなぎ石 (平成元年9月1日号)

 郷土資料館玄関前の屋外展示に、昔の大仁駅近くにあったと伝えられる「駒つなぎ石」が新たに加わりました。
 駒つなぎ石とは、文字通り馬をつないでおく石です。大人が一人では持ち上げられないほどの大石で、上部に綱通しの穴が空けられています。地面に置かれたそのさまは、どっしりとしていて、まるで地中から生え出たように見えます。この石がどのような故郷の歴史を見てきたものでしょうか。
 明治31年、豆相鉄道(現在の伊豆箱根鉄道の前身)が国鉄三島駅(現在のJR御殿場線下土狩駅)から南条駅(現在の伊豆長岡駅)まで開通、翌32年大仁駅まで全通しました。(注・今のように修善寺駅まで行けるようになったのは、この時から15年後の大正13年8月のことです)
 駒つなぎ石のあった大仁駅が伊豆の表玄関としてにぎわったのはこの時代でした。駅前には旅客待合所が設けられ、周辺には人力車や乗合馬車が客待ち顔で並んでいました。乗合馬車の立て場は、伊豆方面各地の行き先別にあって、御者はそれぞれの定位置に馬をつないで待機したものです。客は馬車に乗り込むと「修善寺温泉までやって下さい」などと告げ、それを受けた御者は、クラクションの代わりにラッパを吹き、カツカツという蹄の音を響かせながら馬車を走らせました。
 ところで三島の町での乗合馬車は、明治13年に営業免許を受けて、三嶋大社前から大場までを客次第で随時運行したのが最初ときれます。開業当時は路面も悪く、事故などもあって利用者が少なかったそうです。
 江戸時代に東海道の各宿場に百頭の馬が配置されたように、馬は古くから交通運搬の主役でした。馬の集まる立て場に、馬棒(ばぼう)や駒つなぎ石がたくきん並んでいる風景が浮かんできます。
(広報みしま 平成元年9月1日号掲載記事)