(第298号)村の名主の家に残された検地帳 (平成25年3月1日号)

 今回は、リニューアル後に展示予定の資料の中から、徳川幕府成立前の検地帳を紹介します。  

 戦国時代から江戸時代を通じて、全国の村々では田畑の面積や耕作者、そこから上がる収穫量などを把握するための土地調査を行ってきました。これが検地と呼ばれるもので、年貢負担者と年貢の基準を確定しました。  

 図1は検地がどのように行われていたかを示した絵ですが、竹竿と縄、十字などを用いて面積を図っています。また、検地の際、たいていは名主などの村側の人間が立ち会いました。検地の作業に直接加わっていない者が何人か描かれていますが、村側の立会人もこの中に含まれているのでしょう。  

図1検地の図 徳川幕府県治要略
図1検地の図 徳川幕府県治要略 より

 図2は「中 鈴木家文書」に含まれる文禄三年(一五九四)の検地帳、図3は「中島 落合家文書」に含まれる天正十八年(一五九〇)の検地帳です。どちらも幕府成立前に徳川家が伊豆を支配していたころのとても貴重な資料です。その他、鈴木家文書には慶長八年(一六〇三)の検地帳も残されています。  
図2文禄3年検地帳
図2文禄3年検地帳

図3天正18年検地帳
図3天正18年検地帳

 中の鈴木家、中島の落合家ともに江戸時代には名主を務めた村の有力者でした。江戸時代には税の徴収や裁判に至る前の村人のトラブルの解決など今日では行政機関が行っているような事務の多くを村々が行っていました。鈴木家や落合家にこれら貴重な検地帳が残っていたのもそのためです。        

 しかし、時代とともに貴重な資料も少しずつ散逸していきます。  

 皆さんの周りで、もし、古文書が出てきた、あるいは、敷地が狭くなったから古いものを捨ててしまいたい、といったことがありましたら郷土資料館へ情報をお寄せください。
【平成25年 広報みしま 3月1日号 掲載記事】