(第304号)家政女学校と実践女学校 (平成25年9月1日号)

 今回は、「近代教育」中等教育から一部を紹介します。  

 長泉町にある私立三島高等学校は、かつてその名前のとおり三島市内にあり、昭和三十四年(一九五九)五月、現在の場所に移転するまでは、東本町二丁目十二番辺りにありました。  

 大正七年(一九一八)宮倉町成真寺境内(現大社町)に高度な裁縫技術指導と女子教育を目的とし、女学校卒業者を対象とする三島家政女塾を土屋智重が開きます。その後、三島家政女学校と改称し、予科・本科・研究科を設置して、裁縫など家庭婦人として必要な教養と技術の指導に重点をおきました。昭和三年(一九二八)には、共立三島家政女学校となります。  

三島家政女学校の体操授業の風景
304三島家政女学校の体操授業の風景

三島家政女学校のタイプライター実習風景
304三島家政女学校のタイプライター実習風景

 一方、昭和五年、大仁高等女学校初代校長を務めた青木千代作が田町駅南側(翌年東本町に移転)に三島実践女学校を開校します。このため、女子職業学校が三島に二校となり生徒獲得競争が激しくなりました。昭和九年、両校は統合され、東本町の校舎に移転し「三島実科高等女学校」と改称します。このころは、伊豆箱根鉄道駿豆線にそって学校のグラウンド東側にポプラ並木があり、辺りは田園風景が広がっていました。学校は四年制で、最上級生になると新入生の夏服の製作をするのが慣わしだったそうです。新入生が四月に入学し、衣替えに間に合わせるために足踏みミシンを使って夢中で縫い上げたというエピソードが五十周年記念誌に残っています。  

三島実科高等女学校のミシン授業風景
304三島実科高等女学校のミシン授業風景 

 昭和三十年には男女共学となり、「三島高等学校」と改称します。大正時代から約四十年にわたって三 島の地で教育を築いてきた私立学校でしたが、昭和三十三年の狩野川台風による災害や、校舎の老朽化により、昭和三十四年五月、元競馬場であった長泉町竹原の地に校舎を移築、移転します。そして、今年八十周年を迎え「三島高等学校」は来年から「知徳高等学校」となります。
【平成25年 広報みしま 9月1日号 掲載記事】