(第349号)観音霊場の道 横道巡礼と観音講 (平成29年6月1日号)

 三島には江戸時代の初期に設けられた「横道」と呼ばれる観音霊場(霊験あらたかな場所)があります。そこで続く庶民の観音講を紹介します。

 古くから、観音菩薩は三十三の姿に変わり、衆生を救うと信じられていました。平安時代末に近畿地方を中心とした三十三所巡礼が始まり、中世には「西国三十三所」を巡礼する風習が広がります。

 江戸時代、観音霊場巡りは、伊勢参りとならび、民衆に人気の旅でした。しかしひと月に上る旅路であるため費用もかかり、裕福でないと行くことが難しいものでした。そのため全国各地に西国を模して三十三観音霊場が設けられるようになります。

 伊豆と駿河の二国にまたがる観音霊場三十三カ所をめぐる「伊豆駿河両国横道観音霊場」が成立したのは江戸時代の初めごろと考えられています。その際、三島の白滝寺に安置されていた白滝観音像が一番札所と定められました。巡礼は三島から始まり、田方、沼津、富士、富士宮、静岡、島田の古い寺院を巡り、三十三番目、静岡市清水区大内にある霊山寺で終了です。歩いて一週間の旅でした。

 県内でも古い観音霊場である北伊豆や東駿河地域の寺院には、「よこどう」「横道」「両国」などと刻まれた江戸時代の石造の観音供養塔を見かけることがあります。多くの民衆、特に女性たちがこの「横道」を巡礼し、奉納絵馬や奉納写真の記録も残されています。こうした巡礼は昭和三十年代まで続きました。

 安政元年(一八五四)に起きた安政の大地震や明治初期の廃仏棄釈(仏像や経典を破棄する運動)により、白滝寺は廃寺となり、白滝観音堂も荒れ果ててしまいました。その後、白滝観音像は本町にある常林寺の住職が預かり、常林寺の観音堂に安置されます。

 昭和二五年(一九五〇)に芝町の人々が中心となり、白滝公園に観音堂が再建されました。新たに彫られた白滝観音像が納められ、観音霊場が復活したのです。

 毎月十八日の十時、白滝公園の隅に建つ観音堂に数人の婦人と常林寺のご住職が集い、観音経を上げる観音講が催されています。

   また、常林寺の山門入って右手、源兵衛川沿いに建つ観音堂にも白滝観音がまつられています。ここでも毎月十八日午後、婦人たちが集まり、住職に唱和して観音講を催しています。

 数奇な歴史を刻む二つの白滝観音像と、そこに集う婦人たちのきずなを感じることができます。

常林寺の観音講
常林寺の観音講

せせらぎの上に建つ白滝観音堂
白滝観音堂


【広報みしま 平成29年6月1日号掲載記事】