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音楽

 三島には、雅楽やシャギリなどの伝統的音楽、また、歌い継がてき民謡や、歌謡が数多くあります。


雅楽(ががく)と三嶋大社



 雅楽は天皇中心の貴族社会の宮廷音楽として、また神社仏閣の儀式音楽として今日まで伝え継がれた音楽、舞踊です。
 成立の系統や用途により、1アジア大陸系、2平安時代の新作歌曲、3神道系の祭祀(さいし)用歌舞のおよそ3部門に分類されます。

 また、演奏形態での分類は、管絃(楽器だけを演奏するもの)と舞楽(舞とともに音楽を奏するもの)とに分けられます。 

三嶋大社では、平安時代から祭礼のたびに年に何回となく、倭舞(やまとまい)という男舞や八乙女舞(おとめのまい)という女舞が祭祀用歌舞(御神楽(おかぐら))として明治元年(1868)まで行われてきました。いったん中断し、その後八乙女舞が復興され、今に伝えられています。

 また、年間115回の恒例祭典や、結婚式などには、『黒田節』の原曲ともいわれている『越天楽(えてんらく)』などの雅楽(管弦楽)が楽人(がくじん)により演奏されます。境内にある天然記念物金木犀を愛でる「木犀(もくせい)の夕(ゆうべ)」には、宮中楽師の家である東儀(とうぎ)家、三嶋大社楽人合同による舞楽も演奏されています。

シャギリ(三島囃子(みしまばやし)

三島夏まつりで華やかにくりひろげられる「シャギリ」は、太鼓や笛とともにテンポの速い鉦(かね)のリズム打ちが特徴的です。

その歴史は天文年間(1532〜1554)にさかのぼり、三島の農村部から市民へ受け継がれ、今では「子どもシャギリ」も盛んに行われています。
→  シャギリ、子どもシャギリ


三島の歌


農兵節(のうへいぶし)←ここをクリックしてください。踊り方が見られます。

「ノーエ節」から昭和初期には「農兵節」となり、三島の民謡として親しまれるようになりました。 

♪ 富士の白雪ノーエ 富士の白雪ノーエ

  富士のサイサイ 白雪朝日でとける

  とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ

  とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ

→ 農兵節

 
『三島市歌』(作詞・大岡博、作曲・堀内敬三)は、三島町歌として作られましたが、市になってそのまま市歌になったものです。ほかに『三島市制施行祝賀行進曲』(作詞・大岡博、作曲・小田切信夫)、『三島行進曲』(作詞・穂積忠、作曲・明本京静)などの曲があります。

また三島市制50周年には、三島青年会議所が『水よ輝け』(作詞・伊藤アキラ、作曲・森田公一)、市制55周年には『三島まつり』と『大場川』を作っています。

 大衆歌謡としては『三島山中城音頭』『追想三島山中城』『三島小唄』『三島の人』『三島夜曲』などがあげられます。

三島音頭(おんど)

 昭和43年(1968)、JR新幹線三島駅の開業時に歌詞が公募され、選ばれたのが水郷三島と観光ルートを紹介した、情感豊かな歌詞でした。

“めざましい普及をとげつつある自家用車、開駅したばかりの新幹線駅。街には大社の金木犀(きんもくせい)の香が漂い、桜川のせせらぎが奏でるハーモニーに誘われて柳がゆれる水上を歩けば楽寿園の森へ。満々と水をたたえる小浜池には野鳥も楽しそうに遊んでいる”と、今と変わらぬ情景が見事なまでに描写され、市民に親しまれました。
 歌い手は、国民的歌手の三橋美智也でした。今では耳にする機会もなくなりましたが、昭和50年代までは、小、中、高校の運動会で父母も一緒に、農兵節とともに歌い踊ったものです。

市民の音楽活動

 三島の音楽活動は、昭和31年(1956)建設の旧三島市民公会堂に始まります。

平成3年(1991)に現在の三島市民文化会館が設立されると、これを基盤に個人、団体による演奏活動が一気に盛り上がり定着しました。ベートーヴェンの“第九”は、1983年に初演されて以来2〜3年間隔で演奏されています。文化会館開館記念では400人が“新星日響”と共演しました。さらに、平成13年(2001)の市制60周年には、市民合唱団400人と市民オーケストラとの合同公演も予定されています。
 一方、定期公演36回を重ねる児童合唱団、メサイア全曲演奏を果たしたグロリア合唱団、親しめる作品を中心としたピアノ研究会などの存在も大きく、また、外来オーケストラの公演、地元演奏家による協奏曲を聴く機会にも恵まれています。
 今世紀には、市民オペラなどの発展も期待が持たれ、質量ともにレベルの高い芸術味豊かな世界が繰り広げられることも夢ではありません。

(杉山一郎さん記)

三島フィルハーモニー管弦楽団(かんげんがくだん)

楽器のイラスト

 昭和49年(1974)、「駿河管弦楽団」として発足し、静岡県東部を中心に活動を始めました。県内一長い歴史を持つアマチュアオーケストラです。
 年1回の定期演奏会のほか、ファミリーコンサートなどを中心に演奏活動をしています。
 昭和59年(1984)から日本を代表する指揮者の1人、三石精一を常任指揮者に迎えました。
 平成10年(1998)には、「三島フィルハーモニー管弦楽団」と改名し、平成12年(2000)現在、20〜70歳代の三島市在住者を中心に60人ほどの団員が地域に根ざした活動をする楽団として活躍しています。地元出身の演奏家との共演のほかに、花房晴美、清水和音、漆原啓子、徳永二男など一流演奏家との共演も多く、定期演奏会の魅力の1つにもなっています。



楽友協会(がくゆうきょうかい)クラッシック・サロン

昭和31年(1956)、クラッシックをこの街で聴きたいと願う愛好家たちの熱意で、勤労者音楽協議会「労音」が誕生しました。クラシック音楽がより身近なものになり、沼津で発足したこの鑑賞運動は、昭和32年(1957)には三島に、やがては静岡県東部全域に広がっていきました。 

昭和64年(1989)「楽友協会クラシック・サロン」と改称。内外の著名な音楽家による定例会を年12回開催し、発足以来、例会開催数は優に2,000回を超えています。また、ピアノ音楽祭(毎年8月)は平成12年(2000)で16回を数えています。

優れた演奏家と共に創る数々のコンサート、新人の育成などを通して、クラッシックの似合うそんな街にと願い、日々活動しています。



 
オペラのプリマドンナ

片岡 啓子(かたおかけいこ)
 声楽家
 昭和25年(1950)生まれ
片岡啓子の写真

 三島市出身。オぺラ歌手として国内外で活躍中です。中学校のコーラス部で、すでに彼女の美しいソプラノと、ずば抜けた声量は一際(ひときわ)目立つ存在でした。指導の先生の「ソ口で歌う方が良い」との助言を得たこのころから、声楽家への一歩を踏み出しました。
 三島北高校から国立音楽大学へ進学。卒業後、同大オぺラ研修室を修了しました。その後、昭和49年(1974)に日伊声楽コンコルソ入賞を手始めに、数々の輝かしい入賞歴を重ねました。
 昭和56年(1981)にイタリア、パルマ歌劇場でヴェルディ「アルツィーラ」でイタリアデビューを飾り、昭和58年(1983)、同歌劇場でヴェルディの2作品の公演を続けて成功させ、以後もヨーロッパでヴェルディ作品を中心に活躍を続けました。日本でも、二期会公演、藤原歌劇団などで主演。ソプラノ役に欠かせないプリマドンナとして、国際的地位を確立しました。スケールの大きい実力派で、イタリアでは「ヴィーチ・ヴェルディアーナ」、「ヴェルディ歌いの声」と評され、人気実力とも日本を代表するソプラノ歌手です。


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