(第147号) ~伝統の技を伝える~ 「セイロ(曲物【まげもの】)と職人」 (平成12年8月1日号)

セイロ(曲物【まげもの】)と職人
 少年と自転車の写った古い写真があります。よく見ると。自転車にはセイロやすだれが積まれています。これは昭和16年頃(1941)、山梨県南部で曲物【まげもの】職人の修行をしていた17歳の少年が、自分の作ったセイロ(曲物)を自転車に載せて初めて売りに出た時の記念の1枚だそうです。

 農家の二・三男は職人となるのが通例の土地柄の中で、少年は曲物職人となるために小学校を卒業すると親方の下に弟子入りし、徴兵検査の年まで約5年間技術を身につけました。この間写真のように自転車に製品を載せ、富士・沼津から三島まで売りに行きました。戦後、三島に定住し、曲物を製造販売しながら、市ヶ原(現在の大社町)に店を持つことになります。

 戦後まで三島は職人の町でした。三島大社周辺や、水上【みずかみ】(大宮町一丁目)、田町駅周辺、西町(広小路駅の西側一帯)は傘屋、下駄【げた】屋、紺屋【こうや】、鍛冶【かじ】屋、大工、石工、左官、畳屋、桶【おけ】屋、建具屋、車屋などの職人がおり、毎月1日・15日の職人の休日は映画館がたいそうにぎわったといいます。

 手に職をつければ一生食べるに困らないと信じ、多くの少年達が職人への道を歩み、厳しい修行に耐え、技術を身に付けました。しかし、工場で大量生産される品物に押され、現在、職人と呼ばれる人はわずかとなっています。

 写真のセイロは蒸し料理に欠かせない道具です。桶が一般に普及するのは中世末以後で、それ以前は曲物が容器の主流でした。三島では奈良時代から使用されていたことが、中郷地域の発掘調査から確認されています。(箱根田【はこねだ】遺跡、御殿川流域遺跡群)

 セイロの作り方は、北海道のトウヒを板に整え、冬、熱湯で煮て繊維を柔らかくしてから、棒でのして丸め、円筒形の型に入れて数年乾燥させます。これを側板として直径を決め、合わせる部分を削り、万力【まんりき】で挟んで桜の皮で縫います。縫う作業は簡単そうに見えますが、年季の要る技術です。
(広報みしま 平成12年8月1日号掲載記事)