(第9号) 伊豆佐野の俳人 滝の本連水(昭和63年3月1日号)

 「富士のふもと 廻り尽さで 老にけり」

 伊豆佐野の俳人、滝の本連水の俳句です。富士のふもとに生まれ、こんなにも生きてきたのに、もっともっと廻りたかったと述懐する作者の、古里を愛する思いが察せられ ます。
 連水は天保三年(一八三三)に、豆州佐野付の名主勝俣常昭の長男として生まれました。本名は猶右衛門、二十七歳の若さで家を継ぎ、佐野村名主役となっています。名主猶右衡門は、行政手腕にも非凡なところをみせ、村民の信望厚かったと語り継がれています。
 ところで連水が後世に名を残したのは、名主としてではなく、むしろ俳諧人「滝の本連水」としてでした。
 連水が活躍した江戸末期から明治にかけての時代は、地方俳諧全盛期であり、全国各地に俳諧を教養として楽しむ一般の人々がいました。俳諧が、庶民の知的・文化的レベ ルの基準とされたような世間の風潮もありました。
 穐の本連水は、このような当時の俳諧の潮流における、当地方の宗匠でした。伊豆佐野の連水宅は、裏庭に滝があることから「滝の入」とか、庭に柿の大木が生えていたか ら「連柿堂」等と風流に称され、多くの地方俳諧師たちの集う拠点となっていました。後に連水が師から継いだ称号「俳関」は、ここが地方文化・教育の中心地であることを象徴するものでした。俳関に集った弟子たちが、関を越えて巣立って行ったのです。
 連水の晩年の自著『雲霧集』(明治二十五年)には、富士を愛し、古里を愛した連水の心がみごとに表現されています。  冒頭の俳句はその中の一句です。
(広報みしま 昭和63年3月1日号掲載記事)