(第53号) 天から降ってきた阿弥陀様 (平成3年11月1日号)

 「俺んとこの阿弥陀さんはなあ、よーく聞きなよ。天から降って来たんだぞ」と言う高木さんからの一報を聞いて、私たちは大いそぎで駆け付けました。
 現在開催中の三島市制五十周年記念企画展「わがやの家宝」の出品者募集中のことです。
 西本町の高木家では、個人の家としては珍しいほどの立派な仏像(阿弥陀如来)を仏壇に据え、ねんごろに供養を続けていました。聞けば、この阿弥陀様は、江戸時代末期から当家に伝わるものだそうです。像の高さは二尺七寸(約九十センチ)。黒光りのする姿も神々しく、バランスの取れた品の良さを保っています。伝来が、また珍しい話で、たいへん面白い。次のような言い伝えが残っていました。
 「慶応三年(一八六七)十月二十三日、朝の明け六ッ時(午前六時)のこと。居宅の屋根の上に、阿弥陀如来様がご降臨されていた。尊像には手が無かった。
 ところが、その夜、駿河の国堂庭(現在の清水町)の椙山傳左エ門という方の夢枕に、手の無い阿弥陀様が立たれた。傳左エ門さんは、早速そのことを高木家に知らせると共に、尊像の修復代として米一俵を置いて行った。尊像の手などの修復には安国良運という仏師があたり、御入仏と御供養には境河山善教寺の住職が導師を務め、長谷山成真寺の住職もこれを助けた。この噂はたちまち広まり、伊豆半島からはもちろん、東は江戸(東京)、西は府中(静岡)、北は郡内(甲州)など、各地からの参詣者が昼夜も構わずやってきて、門前に市をなすほどの賑わいだった」。この話を高木家では忘れないように伝えるために、これを家の過去帳に記しました。同家の十五代目伊三郎さんの代の時のことで、「明治十年三月、これを記す」と書き加えています。付せん(張り紙)もあり、これには、参詣に来た安良里の人の記念の和歌が一句、書き残してありました。
(広報みしま 平成3年11月1日号掲載記事)