(第205号) 明治新政府の法令 太政官高札~五榜の掲示~ (平成17年6月1日号)

五榜の掲示
(1)定
 一 人たるもの五倫(ごりん)の道を正しくすべき事
 一 鰥寡(かんか)孤独は癈疾(いしつ)のものを憫(あわれ)むべき事
 一 人を殺し家を焼き財を盗む等の悪業あるまじく事
(2)定
 何事によらず、宜しからざる事に大勢申合候(もうしあわせそうろう)を徒党と唱へ、徒党して強いて願がひ事企だつるを強訴と言ひ或は申合せ居町居村を立退き候を逃散(ちょうさん)と申す。堅く御法度たり。若(もし)右類の儀これあらば早々其筋の役所へ申出べし。御褒美下さるべく事
(3)定
 一 切支丹宗門の儀は是迄御制禁のとおり通固くあいまもるべきこと可相守事
 一 邪宗門の儀は固く禁止の事

 これらは明治維新後の新政府が発した「五榜(ごぼう)の掲示」という五つの高札のうちの三札です。「五ヶ条の御誓文」が出された慶応4年(明治元年・1868)3月14日の翌日、明治新政府が旧幕府の高札を撤去し、その代わりに立てることを命じました。
 高札はよく時代劇にも登場しますが、制札(せいさつ)ともいい、法令や禁令を板の札に墨書し、市中の人目につきやすい場所に掲示されました。三島では三嶋大社の西側と二日町に高札を掲げる場所、いわゆる高札場があったようです。
 この三枚は「定三札」といわれるもので、永年掲示とされました。それぞれの内容ですが、第一札は人として「五倫の道(儒教における五つの基本的な人間関係)」を正しくすることや殺人・放火・盗みなどの禁止、第二札は徒党・強訴・逃散の禁止、つまり集団の力を利用して事を起すことの禁止、第三札はキリスト教の禁止を命じています。この三札以外に「覚札」と呼ばれる二札があり、これらには外国人への加害の禁止(第四札)、郷村脱走(浮浪)の禁止(第五札)が記されていました。
 江戸時代以前から広く庶民に法令を伝達してきた高札も、伝達手段の整備や印刷技術の向上などにより、この「五榜の掲示」を最後に明治6年2月24日をもって撤廃されました。
(広報みしま 平成17年6月1日号掲載記事)