(第221号)津で行われた祓の道具 箱根田遺跡(平成18年10月1日号)

 箱根田遺跡は三島市安久(やすひさ)の国道一三六号線沿いに位置します。平成一一年の発掘調査で、古代伊豆国もしくは田方郡(たがたぐん)に関係すると見られる、奈良時代後半から平安時代前半にかけて経営された津(川の港)と、そこで行われた祭祀の道具が見つかりました。

 遺跡の中央部には、幅一二メートル、深さ七〇センチメートルの北から南に流れる大溝があり、その北岸には六棟の掘立柱建物がありました。建物の面積はそれほど大きなものではありませんが、条理(じょうり)(奈良時代、全国に施工された地割)の方向に沿って、板塀と溝で区画された内側に整然と配置されており、公的な倉庫群と考えられました。このことから、大溝は大場川・狩野川を経由して駿河湾に繋がる運河で、北岸に広がる建物群は津の施設と考えられたのです。おそらく田方平野で生産された物資の集積場として機能したのものと考えられます。

 この大溝の底からは、土器や木製品、動物遺体など約二万点に及ぶ多数の遺物が見つかりました。中でも注目 されるのは墨書人面土器や木製祭祀具、ミニチュア土器などの祭祀具です。墨書人面土器は、甕や壺などの外面に、疫病神と思われる髭面の恐ろしい顔を描いたもので、この中に息を吹き込み蓋をして、病の気などの穢を封じ込め、川に流して病気や災厄を祓ったものと考えられます。また、木製祭祀具は人形・馬形・舟形・斎串(いぐし)の四種類がみられます。人形は一撫一吻(ひとふき)して体の穢を移し、川に流して心身の浄化をはかったもので、馬形や舟形は、この穢を負った人形を乗せ、他界へ運び去る役割を担ったものと考えられます。斎串はこうした儀式を行う場所に立て並べ、神の依代となる聖域を区画したものです。ミニチュア土器は日常生活用具を模した超小型の土器で、臼形、鉢形、椀形、杯形、革袋形など様々な形のものがあり、異国の神への饗応(きょうおう)に用いられたものと思われます。

 この様な祭祀具は、平城京はもとより西は太宰府から北は多賀城まで、主に国府や郡衙(ぐんが)など、古代の役所に近接した河川や水路、道路などで発見されており、外界から進入する災いを祓う公的な祭祀が継続的に行なっていたことが知られています。      

箱根田遺跡の祭祀遺物は、都と同じ祭祀が地方の津においても行われていたことを示すもので、地方における公的祭祀のあり方を知る上で、極めて重要な資料として、注目されています。
【平成18年 広報みしま 10月1日号 掲載記事】