(第354号)小出正吾著「江川太郎左衛門の話」(平成29年11月1日号)

 郷土資料館では、平成30年2月12日(月・振)まで企画展「挿絵で見る江川太郎左衛門英龍」を開催しています。今回はこの企画展に関連して小出正吾による伝記「江川太郎左衛門の話」とそのために描かれた福島県出 身の日本画家、渡部菊二の挿絵を紹介します。  

 

 小出正吾は久保町(現中央町)出身の児童文学作家です。明治三十年(一八九七年)に生まれ、平成二年(一九九〇年)に亡くなりました。旧制韮山中学(現在の県立韮山高等学校)、早稲田大学を卒業し、また、敬虔な キリスト教徒でもありました。天性のユーモアに富んだ人で、自然と人間と平和を愛し続け、生涯童心を失わない稀有な児童文学作家、と評されています。

母の遺言
▲母の遺言  

 

 小出正吾はいくつもの伝記を書いていますが、今回の企画展では第二次世界大戦末期に制作された「江川太郎左衛門の話」とその挿絵をとりあげました。  挿絵を担当した渡部菊二と小出正吾とは何回かコンビを組んで制作を行っています。そのなかで、この伝記は小出の死後に出版された全集に収録されるまで公開されることがなく、また、その全集では渡部菊二の挿絵は使用されていません。この挿絵が一昨年郷土資料館に寄贈されたことから、今回の展示を企画しました。  

 この伝記のいう江川太郎左衛門とは、今では知らぬ人のない『世界遺産 韮山反射炉』建設の立役者、韮山代官・江川英龍のことです。「太郎左衛門」は江川家当主が代々襲名してきた名です。また、坦庵という号でも呼ばれています。

韮山反射炉
▲韮山の反射炉


 英龍はさまざまな業績を残しただけでなく人格も高潔だったといわれています。小出正吾は英龍を学祖と仰ぐ旧制韮山中学出身であり、伝記の冒頭に当時の英龍に対する地元での評判をいくつも描くなど、作品に対する強い思い入れが感じられます。  

 この伝記には幕府代官としてのさまざまな挫折とその後の活躍だけでなく、家族や仲間との交流などが描かれており、英龍のひととなりもうかがい知ることができます。


 企画展では初公開となる挿絵の貴重な原画も多数展示しますので、ぜひご鑑賞ください。

海防意見書
▲海防意見書を書く


【広報みしま 平成29年11月1日号掲載記事】