(第164号) ~豊作を祈願する~ 「三嶋大社の『お田打』」  (平成14年1月1日号)

三嶋大社の『お田打』
 正月の晴れやかさが残る1月7日の午後、三嶋大社の舞殿では「お田打」【おたうち】(神事)が催されます。
 現在では正月三ヶ日に初詣をする人々が多いですが、戦後までは田方駿東一円の農家の人々はこの七日に「お田打」を見ながら、三嶋大社に初詣に来たものでした。
 この「お田打」は「田祭」【たまつり】ともよばれ、室町時代から伝わる民俗芸能です。かつては旧暦1月6日(現在の二月初旬)の深夜、最も寒い時期に神前で演じられたと伝わります。

 「お田打ち」の内容は、米作りの一年の過程を模擬的に演じて豊作を祈願するもので、「予祝儀礼」にあたります。
 山林に住まう山の神が、正月または二月に、山から下りてきて里の神(田の神)になるという信仰が広く信じられています。その山の神の前で米作りの様子を演じ、今年の豊作への感謝をあらかじめ伝えると、山の神様も悪い気はせず、願いのまま豊かな実りを約束して下さると信じられていました。
 三嶋大社の「お田打」は中央にうすべり薄縁二枚を敷きこれを水田に想定して、穂長【ほなが】(おきな翁の白仮面)と福太郎(翁の黒仮面)を中心に、田打ち、苗代【なわしろ】作り、葦草敷き、種まき、鳥追い、雨ごいまでを演じます。田起こしの所作には牛役で子供が出てきて牛の鳴き声をまね、雨乞いでは乱打する太鼓の音と共に、八乙女【やおとめ】や諸役たちが傘をさし、田の周囲を回る所作を行います。米の生育に最も大事な恵みの雨が雷鳴とともに天から落ちてきたことを象徴したものです。

 こうして多くの農民に関心のある米の豊作が約束された後、籾【もみ】がまかれました。 これを持ち帰り、田の水口へ蒔き、豊作の願いを込めた農民がいたものです。
 かつて日本の大部分の人々が携わっていた米作りは、収穫が天候に左右されるために、天や地の神々に降雨と好天と豊作を祈りました。四季折々の神まつりを中心に農作業や村の生活が回っていたものです。
(広報みしま 平成14年1月1日号掲載記事)