歴史の小箱
(第108号) ~おばあちゃんが使った~ くけ台 (平成8年6月1日号)
布端を折りまげてなるべく縫い目が見えないように縫うことを「くけ縫い」といい、そうすることを「くける」といいます。
家庭から、裁縫をする女性たちの姿が消えるとともに、ほとんど聞かれなくなった言葉です。むかしは、どこの家庭でも、着物を仕立てるのはお母さんやお祖母さんたちの役目でした。くけ台(写真)を立て、めがねを鼻にかけて子供らの着物を縫う母の姿を思い出します。
くけ台は、木製の板と棒、二つを直角に組み合わせただけの単純な道具です。板は台になる部分で、ざぶとんの下などに差し込んで、その上に坐り、立てられた棒が、ぐらぐら動かないようにします。棒は台に直角に立て、これに布の一端をくくりつけ、布がたるまないようにひっぱる役割を果たします。棒の先端には針刺しが備えられていました。くけ縫いが終われば棒は反対側に倒れるようになっているので、折りたたむことが出来ます。このような単純なくけ台のほかにも、意匠をこらした針箱などと一体になっているくけ台もありました。
むかし、家庭にはさまざまな道具が備わっていて、それを使う人の分担も決まっていました。生業(漁業、狩猟、農業、林業など)の道具は家の経済を支える道具です。これを使うのは、主に男たちでした。一方、家の中で、家族の生活を助ける道具は、女性たちの管理の下におかれました。台所周辺におかれた食事の料理道具、そして部屋の一隅におかれた機織りや裁縫の道具類です。くけ台もそういった道具の一つでした。
機を織ったり、着物を仕立てたりすることを衣料調製といいますが、この分野における女性の役割は、特に厳しく、男たちと分けられていたものです。これは女性たちの繊細な器用さもあるためですが、古代より、衣・食という生活の基本が、お母さんやお祖母さんのもっている暖かさや、優しさに支えられてきたという人類の生活伝統でもありました。
一個のくけ台から、さまざまなまことが浮かびます。
(広報みしま 平成8年6月1日号掲載記事)
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