(第5号) 古代ロマンの発見 楽寿園西口古墳(昭和62年11月1日号)

楽寿園西口古墳から出土した石棺

 郷土資料館の西側、楽寿園西門付近にあった古墳についてご存知でしょうか。
 昭和30年1月、楽寿園の西側を南北に通ずる道路に水道管を敷設するための工事中、路面下30cmの地点で石棺を掘り当てたのでした。
 石棺の内部や周辺には多くの副葬品も配置されていました。内部には小刀・耳飾り・銅製の釧(腕輪)、周辺に直刀・須恵器等。さらに、石棺の外には、頭がい骨も数個発見されました。
 古墳を緊急調査した当時の担当者達は、このような発掘状況や副葬品から、次のような報告書をまとめています。  「石棺内の副葬品から、この中には時期を前後して男女二体が埋葬されたのではないだろうか。石棺外の頭がい骨は、石棺に埋葬された者の近親者か従者のものではないだろうか」。
 古墳時代は、大陸からさまぎまな知織や技術が渡来した日本文化の基礎形成時代でした。墳丘を築き、死者を葬る風習も大陸からの影響でした。
 楽寿園西口古墳が築かれた時代は、奈良朝以降のものと推定されました。大興寺、山興寺などの大寺院建立に続き国分寺の創建など、伊豆の国府、三島の成長発展期でもありました。
 一基の古墳発見から、古代史への思いが膨らんできます。
(広報みしま 昭和62年11月1日号掲載記事)