歴史の小箱
(第8号) 気の利いた贈答品 三島暦(昭和63年2月1日号)
今回は、三島暦がどのように広められたか、あるいは、一般の人々からどのように求められたかについて記してみたいと思います。
第一に、三島暦は、政治を行う権力者への献上用でした。いかに偉大で、力のある権力者でも、難しい暦法をあやつっての編暦(天文学の計算をもとに暦を作ること)まではできませんでした。だから、毎年の暦は、支配下の暦師に特権を与えて作らせ、それを使用していました。暦がなければ、その年の政策予定も成り立たたないのが実情でした。
三島暦師は、鎌倉幕府以後、歴代の関東地方の支配者に仕え、暦献上を許されていたものでした。
次に、三島暦は、江戸時代の宿場三島の名物でもありました。歌人の香川景樹(1768-1843)は、東海道を歩いて記した旅日記「中空の日記」の中で「此里に三島暦とて、世に名高くものせるは、ことなるふしもやあらんずらんと、買い求めて見るに、ただ一綴の冊子にて、そのさまのみぞ変われる」と書いています。有名だから買ってはみたが、形が変っているだけで、ふつうの暦だったということです。
それも、そのはずです。この時代の暦は、幕府が原稿を作る全国同一の内容だったからです。
三島暦が、御歳暮の贈り物に使われたことを記録した三島本陣の古文書もありました。
本陣定宿泊の得意客に、暮れのあいさつとして贈っていたものです。気の利いた、三島らしい贈答品と言えるでしょう。
(広報みしま 昭和63年2月1日号掲載記事)