(第38号) 昔をしのぶ村絵図 (平成2年8月1日号)

 「古地図展」を開催しています。江戸時代と明治初期のさまざまな珍しい地図、楽しい地図、そして懐かしい地域の村絵図等を多数展示しました。
 地図はたった一枚の紙にすぎませんが、その上に村や町あるいは国や世界などというはるかに大きな広がりを載せて、私たちの目の前に提供してくれます。地図の楽しみは、これを眺めて手軽に地図の世界を旅することが出来る点です。これが古地図となれば、楽しみの大きさは倍になります。つまり古地図は、現在では決して見ることの出来ない過去の世界まで、生々しく再現してくれるからです。
 さて、一枚の村絵図を見ながら江戸時代の″ムラ″を探訪してみましょう。
 「豆州君沢中村絵図」(市内中、鈴木哲子さん提供)には、中村の東西の距離、道、川、隣村との境、寺社、集落そして石橋まで記されています。
 絵図中央に横たわる太い一本の道には「奥伊豆往還」とあります。旧下田街道の別称です。絵図左側(北)を東西に流れる川には「新町川」(現・大場川)と記してあります。絵図下(西境)には「御殿川通り」とあり、「用水三嶋小浜より同地迄十八町」という書き込みがあります。小浜(楽寿園一帯)の湧き水が、ここまで流れて来て用水として利用されていました。村の土地の大半は、年貢米を収穫するための水田でした。
 集落は、絵図右端(南)に当たる中嶋村(現・中島)境に寄り添うようにありました。屋敷森で囲まれた集落は、家数の多い「居村」と少ない「枝郷」に分かれています。居村はいわば本村に当たり「氏神」神社や「寺」(醫王寺)がこの中に備わります。神社は「氏神」のほか、居村と枝郷の間に鋲座する「稲荷社」と「三宮神社」、村の南に鎮座する「鯨宮」と「熊野神社」の合計五社が描かれています。
 ところで、現在の中地区で昔の面影を残しているのは、今も旧集落に茂る屋敷森の濃い緑です。長く大切にしたい景観です。
(広報みしま 平成2年8月1日号掲載記事)