(第240号)暮らしから生まれた人形~端午の節句と五月人形など~ (平成20年5月1日号)

 郷土資料館で開催中の企画展「☆み~つけた!暮らしから生まれた人形と生活の中の美☆」(平成二十年三月十五日から六月一日まで)から端午の節句について紹介します。  

 毎年五月五日は「こどもの日」の祝日として皆さんにもおなじみだと思います。五月は十二支の午の月にあたり、この月の最初の午の日を「端午の節句(節供)」として祝っていました。「午」が「ご」と発音されることや、中国では月と日が重なる日を祝っていたことから、五月五日になったともいわれています。この日、中国では菖蒲や蓬によって邪気を払い健康を祈願しました。現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るし、菖蒲の束を浮かべた風呂に入る風習が残っています。また菖蒲が「尚武」「勝負」に通じるとして江戸時代には武家に好まれました。  

 端午の節句は中国から伝わったものですが、日本では元来女性の日であったといわれ、早乙女と呼ばれる若い女性たちが、田植えの前に「五月忌み」といって小屋に篭もり、穢れを祓い身を清めてから田の神様をお迎えするという儀式がありました。後にこれらが端午の節句に結びついたとされます。  

 江戸時代になると、病気や災厄を祓うために、武家屋敷の塀や門に柵を作り、幟や兜、槍などを並べました。それが後に、鎧兜を着せた武者人形を飾るようになり、「五月人形」となったのです。他にも鎧兜や太刀、鍾馗人形などを室内に飾り、男児の誕生や成長を祝う日に変わっていきました。  

 また、外に飾られる鯉幟ですが、これも江戸時代に武家で男児の出世を願って始まった慣習です。中国の史書『後漢書』による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みましたが、鯉のみが登り切り、竜になることができたことに因んで鯉の滝登りが立身出世の象徴となりました(「登竜門」の語源)。
 
 さらに粽や柏餅も端午の節句には欠かせないものです。粽はもともと中国で作られた料理で、日本へは平安時代頃に伝わりました。中国の伝説では、楚の屈原(政治家・詩人)が、汨羅江という川に身を投じた後、人々がその霊を弔ため、端午の節句の日に笹の葉で包んだ米の飯を川に投げ入れたのが起源とされています。このた め、日本でも中国でも端午の節句に食べる習慣があるのです。  

 一方の柏餅ですが、柏の葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、子孫繁栄という縁起をかついだものとされ、この日に食べて子供の成長をお祝いしました。
【平成20年 広報みしま 5月1日号 掲載記事】