(第326号)村を襲う水害 安久・杉山家文書(平成27年7月1日号)

 三島市安久は中郷地域の中でももっとも南に位置する地区の一つで、江戸時代には安久村という一つの村を形成していました。また、地区の南側を大場川が流れています。大場川は河川改修が進んだ現在と比べるとかなり蛇行しており、たびたび水害が発生していました。

 写真の資料は村に水害が起こった際にその被害状況を報告しているものです。これによると、文政十一年(一八二八)六月三十日、朝から東風があり洪水となりました。「東風」と、わざわざ風について触れていることから、強風であったのではないかと推測されます。この洪水により田んぼの七割ほどとすべての畑が水に浸かり、二日後の七月二日夕方まで水は引かなかったようです。

■洪水の被害状況(文政十一年)
洪水の被害報告(文政十一年)

 文政十一年(一八二八)六月三十日は旧暦(太陰太陽暦)による表示ですが、今日使われている太陽暦に直すと八月十日に当たります。この時期の強風を伴う大雨ということで、これは台風によるものとされています。被害は静岡県中西部、長野県で特に大きく、天竜川や大井川流域では多数の死傷者を出しています。伊豆地方はこれらの地域ほどではなかったようですが、それでも安久村のように川沿いにある村では大きな被害がありました。

 また、この時は六月二十日ごろから連日雨が降り続いており、そのことも被害が拡大した要因となりました。

 この洪水で安久村では晩稲(収穫の時期の遅い稲)にはそれほどの問題はありませんでしたが、すでに穂が出始めている早稲(生長の早い稲)や夏野菜に被害がでたということです。

 この洪水に近い年代では文政八年(一八二五)と九年(一八二六)にも大雨があり、これらの際には用水や堰などの施設に損害が出ています。このとき村では領主に対して修復費用の助成を願い出ています。(助成が下りたかどうかは不明)

 また、川が決壊して耕作ができなくなってしまった田畑に対しては「川欠引」といって領主に納める年貢が軽減されることがありました。安久村の年貢割付状(毎年の年貢高が書かれたもの)にはよくこの記載を見ることができます。

 このような資料からもこの地区が水害に悩まされ苦労していたことを察することができます。

【広報みしま 平成27年7月1日号掲載記事】