(第395号)弥生~古墳時代の水田跡―西大久保遺跡―(令和3年4月1日号)

 中田町の日清プラザ・イトーヨーカドー三島店がある付近には、弥生時代後期から古墳時代前期にかけて、水稲耕作を営む人々の集落が形成されていました。郷土資料館では、7月下旬から三島の旧石器~古墳時代を テーマとする企画展の開催を計画しています。今回は企画展で紹介を予定している西大久保遺跡の水田跡を取り上げます。

 国道1号と136号バイパスが交わる立体交差点の北側には、奈良橋向(ならはしむかい)遺跡・西大久保遺跡・大進舎(だいしんしゃ)遺跡という三つの遺跡が集中しています。平成4・5年および25年に行なわれた発掘調査の結果、この三つの遺跡がある地には、水稲耕作を営む一つの集落が形成されていたことがわかりました。

 水田跡は、バイパス沿いに位置する西大久保遺跡から見つかりました。また、この遺跡の北西から南東にかけて最大幅10m余の河川跡が発見され、その河川跡の中に畦けいはん畔(あぜ)で区画された水田跡が確認されました。

 この河川跡は、御殿川(現在遺跡の西側を流れる)の旧流路の一つで、この遺跡が形成される以前に流れを止め、湿地化したようです。西大久保遺跡の水田は、この旧流路跡を利用して作られています。  
 写真1が発掘された水田跡(旧流路跡)です。横方向に一列、縦方向に一列、板が並んでいるのがわかります。この板によって補強されているのが大畦畔(水田を大きく区画するもので、その中にさらに小さく区画 する小畦畔がある)です。この大畦畔を補強する板には、住居や掘立柱(ほったてばしら)建物(地面に掘った穴に柱を立てて固定した建物)で使われた廃材が再利用されています。

発掘された水田跡(西大久保遺跡)

写真1 発掘された水田跡(当時)



 写真2はその内の一つで、厚い板の片面に足をかけるための出っ張りが削り出されています。大畦畔の補強材に転用される前は、住居や掘立柱建物の出入口にとりつける梯は し子ご(はしご/階段)として用いられていたものです。

大畦畔部材に転用された梯子(西大久保遺跡)

写真2 大畦畔部材に転用された梯子



 水田跡からは他にも、田んぼを歩くための田下駄(たげた/穴があいていて、紐を通して足裏に固定するもの)や、土をたがやす際に使う又鍬(またぐわ)などの木製品が見つかっています。田下駄や又鍬は郷土資料館3階に展示していますので、楽寿園に遊びにいらした際にはぜひ一度、実物をご覧 になってください。


【広報みしま 令和3年3月1日号掲載記事】