歴史の小箱
(第407号)歓喜寺のお地蔵様 (令和4年5月1日号)
今回は、徳倉地区の安あんようさん養山(あんようさん)歓喜寺(かんきじ)に伝わる不思議なお話を紹
介します。
臨済宗円覚寺派のお寺である歓喜寺は、室町時代の応永20年(1413)、法周和尚(ほうしゅうおしょう)によって創建されました。このお寺には、お地蔵さまにかかわる次の二つのお話が伝わっています。
一つめは、幕末にあった出来事で、本堂北東側の地蔵堂に安置されたお地蔵さまのお話です。
歓喜寺は、嘉永7年(安政元、1854)におきた安政東海地震の際、堂舎倒壊の被害に遭(あ)いました。4年後の安政5年、今度は集中豪雨がこの地を襲うのですが、そのとき寺には多くの檀家さんが集まり、堂舎の再建
について話していたそうです。
その際、誰ともなしに自然と地蔵堂の周りに移動して話し合いを続けていたところ、寺の後ろの山が崩れ、大量の土砂が本堂・庫裏(くり)をのみ込んでしまいました。人々は地蔵堂の周りに移動していて無事だったため、お地蔵さまがお守りくださったと、より信仰を深めたそうです。
歓喜寺の地蔵堂
二つめは、三代前のご住職の時、大正時代の出来事で、本堂(現本堂の北側にあった旧本堂)内に安置された位牌堂のお地蔵さまのお話です。
ある晩、住職の夢に人の雲水(うんすい/禅宗の修行僧)が出てきました。雲水は寝ている住職の枕元にやってきて、起きるように呼びかけて帰っていきました。住職が目覚められずにいたところ、ちゃんと起きられたのか確認するため、雲水が再びやってきたそうです。眠り続ける住職を見て「ずうずうしい和尚だ」といい、その枕元にマムシを放り投げたといいます。住職はこれに驚き、自分では起きられたと思ったそうですが、それでも身体は目覚めませんでした。そうすると、今度は本堂の方で大きな音が鳴り、その音でようやく目覚めることができたそうです。何事だろうと思って身体を起こすと、枕元で飼っていたヒヨコの籠(かご)から火が出ているところでした。ヒヨコに暖をとらせるために吊っていた裸電球からの出火でした。住職はす ぐさま自分の布団で籠を包(くる)み、布団ごと外に放り投げることで大事に至らずに済みました。
やがて夜が明け、お経をあげるために本堂へ入りますと、ご本尊の脇に並び置かれた位牌堂から、厨子(ずし)内に奉安されていたはずのお地蔵さまの像が転がり出ていたそうです。どこかへぶつけたものか、額(ひたい)が打ち剥(は)げてしまっていました。住職は、お地蔵さまが雲水に姿を変えて夢に現れ、さらにはその身を呈(てい)することで、お寺の危機を知らせてくださったのだろうと思われたそうです。
この二つのお話は、歓喜寺の二躯(く)のお地蔵さまのご利益(りやく)を伝えるものとして、今も大切に語り継がれています。
【広報みしま 令和4年5月1日号掲載】
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