(第62号) ~鍛冶屋の守り神様~  金山様 (平成4年8月1日号)

金山様
 その日、後藤清一さんの笑顔には、どことなく淋しさがただよっていたように思えました。

 後藤清一さん(大正3年3月15日生れ)は、三島で15代続いた鍛冶屋の末裔【まつえい】です。その日、後藤さんは仕事場の整理をしていました。使い馴れた鍛冶屋道具の一つ一つに、後藤さんの手の跡が残っています。火をおこすふいごの取っ手、鉄を叩く鎚【つち】の柄、真っ赤に灼けた鉄をつかむハシの柄、どれにも鍛冶屋の魂がこもっているように見えました。思い出を語り掛けるように、自らの汗のしみこんだ様々な道具を片付けていきます。今日を最後に、鍛冶屋の看板を下ろすことにしたのです。

 その後藤さんから、「金山様」の掛け軸を寄贈していただきました。鍛冶屋の守り神です。憤怒【ふんぬ】の形相の3つの頭、6本の手には刀剣を2本、斧、弓矢、宝珠を持ち、雲に乗って睨みをきかす明王形の像。像の下では、装束に身を包んだ2人の鍛冶師が、金敷【かなしき】の上で刀剣を打っています。1人はしゃがみこんでハシで刀剣を押さえ、右手の小鎚を振り下ろそうと構え、もう1人は立って大鎚を握り、合図を待っています。

 鍛冶屋における、「金山様」の出番は11月7日の金山様の祭日です。この日、仕事場には注連縄【しめなわ】を張り、茶ぶ台に鯛、みかん、大根、せん米、塩などを供え、中央に「金山様」を飾ります。近所の子供たちにはみかんを配ったりもしました。主に仕事の安全を祈願したものだといいます。

 後藤鍛冶屋は、元、沼津藩に仕え、三枚橋(沼津市)で刀剣を打っていたそうです。明治になり、刀鍛冶から農鍛冶に代わり近在の農家の鍬や鎌,押切などを打ったり、またそうした農具の修理をするようになりました。

 清一さんには、一つの自慢話があります。それは、昭和の初めのころ、天皇陛下が植樹祭に使う鍬を打ったことです。
(広報みしま 平成4年8月1日号掲載記事)