(第157号) ~宗祇【そうぎ】と三嶋大社~ 「三嶋千句【みしませんく】」 (平成13年6月1日号)

三嶋千句【みしませんく】
 なべて世の 
  風を治めよ 神の春

 戦乱の嵐が吹きすさぶ室町時代、三嶋大社の社前で、神の力によりその嵐を治め、平和の春の到来を願う気持ちが込められた句。

 これは、室町時代後期の連歌師、飯尾宗祇【いのおそうぎ】(1421~1502)が、三島に戦闘で滞陣中の東常縁【とうのつねより】から「古今伝授【こきんでんじゅ】」を授けられている間に詠んだ独吟【どくぎん】「三島千句」の発句【ほっく】(始めの句)です。

 「古今伝授」とは「古今和歌集」の解読・解釈を伝えたもので、平安時代末、藤原基俊から俊成・定家…と代々二条家に伝えられ、次いで東常縁に伝わり、宗祇に伝授されたことにより成立した歌の道の宗匠を示すものです。宗祇はこれを三条西実隆【さねたか】他の三流に伝え近世末まで受け継がれました。

 宗祇への古今伝授は1471年(文明3)正月から4月始めまで三島で、6月から7月は三島または東常縁の本拠地、郡上【ぐじょう】(岐阜県)で行われたといわれます。

 この三島滞在中の3月27日に師常縁の子息竹一丸の病気平癒と平和を願い三嶋大社にて「三島千句」を独吟したものです。

 宗祇は和歌を極めると共に、連歌を大成しました。京を拠点に全国を歩き、宗長【そうちょう】など多くの門人を指導し、後の近世俳諧に大きな影響を与え、特に松尾芭蕉【ばしょう】は宗祇を敬慕し、宗祇の句に呼応した俳句を多く残しています。

 晩年1502年、江戸へ下り、次いで駿河へ向かう途中の7月29日箱根湯本で急逝、遺骸は富士を愛した宗祇の遺言により定輪寺(裾野市桃園)に葬られました。

 今年は宗祇没後五百年忌にあたり、宗祇に関係する裾野市、箱根町、郡上八幡【ぐじょうはちまん】などは宗祇関係の催しが盛んとなっています。

 宗祇が歌の道の第一人者と認められ、代表する句を残した地が三島であること、この頃、三島暦が関東を始め京まで有名であったことを考えると、中世の三島は文化の香り高い町であったと想像されます。多くの人々に宗祇と三島のことを知っていただきたいものです。

(写真「三島千句」江戸初期写本、矢田部家蔵、三嶋大社宝物館展示)
(広報みしま 平成13年6月1日号掲載記事)