三島の村名5 梅名(中郷地区)―梅縄(うめなわ)城― (平成28年4月1日号)

 梅名の御殿川右岸には、かつて梅縄城と呼ばれた城がありました。梅縄城の築城年代は不明ですが、戦国大名・後北条氏(ごほうじょうし)支配の時代には領地の境と韮山城の間にあって繋ぎの役割があったと考えられている平城(ひらじろ)です。堀、土塁、館、船着き場などを備えていたと推測されます。

 天正十八年(一五九〇)の豊臣氏による小田原攻めにより後北条氏が敗れた後、徳川家康の家臣で掛川城主も務めた石川家成に与えられました。江戸時代初期に家成の養子ほか、数代の居住があった後に城は廃止され、江戸時代中期には年貢や備蓄用の穀物を納める郷蔵(ごうぐら)が作られました。郷蔵は明治四年(一八七一)ごろまで使われていましたが、今ではその面影を残すものはありません。

 現在は梅名郷土史研究会によって「梅縄城址/御蔵場址(おくらばあと)」の石碑が建てられ、稲荷社(いなりしゃ)が祀られています。

現在の梅縄城跡
▲現在の梅縄城跡

【広報みしま 平成28年4月1日号掲載記事】