(第90号) ~旅の必需品~ 矢立【やたて】  (平成6年12月1日号)

矢立【やたて】
 だれでも旅に出ると、旅先の印象を日記に記し、思い出にしたいと思うものです。

 現在ではカメラやビデオなどのように写真や映像で記録して帰り、後々までも旅の思い出に浸って楽しむことが可能ですが、そうした文明の利器の無かった東海道の旅の時代はどうしたものだったでしょう。

 矢立は今風に言えばペンにあたります。墨壷と筆を入れる筒を一つにしたもので、持ち歩きのできる筆記用具として、使用されました。矢立と共に、日記帳も欠かせません。また、このような小物道具は、旅だけではなく、日常にも使用した個人的な便利品でしたから、その意匠や材質などには人それぞれの趣味を凝らして、互いに自慢し合ったものだそうです。

 ところで、江戸文化年間に出版された旅の便利長「旅行用心集」(八隈蘆庵著)には、旅の所持品が次のように記されています。  「矢立・扇子・糸針・懐中鏡・日記手帳(一冊)・櫛・鬢付【びんつ】け油・提灯・ろうそく・火付け道具・懐中付け木・麻綱・印板・かぎ」

 そして「道中での日記の書き方」として、「道中で名所、旧跡やすばらしい風景、珍しい物を見たり聞いたりしたら、何月何日どこで何を見たと、ありのままに書き付け、もし詩、短歌、俳句、連歌などが浮かんだら、後先は続かなくてもよいから、どんなようすだったかを日記に記しておくがよい。また山川の景色などを絵にするにも、見たままを写生しておき、後日帰ってから清書しなさい。」と、ていねいです。

 東海道を庶民が自由に旅するようになったのは、伊勢参りなどに代表される幕末の頃の神社仏閣参拝道中でした。伊勢参りには、三島、裾野などからも、日頃から積み立てておいた「伊勢講の日掛け貯金」をはたいて盛んに出掛けていたことが、残された旅日記等で判ります。

 それにしても、日記好き、記録好きな日本人は、江戸の昔からいたようです。
 (広報みしま 平成6年12月1日号掲載記事)